2012年12月25日火曜日

「忘れない」だけではないメモの効用


 こまめにメモをとることに消極的な意見の二大潮流は、「メモしなければ覚えられないようなことは重要ではない」派と、「メモなどしなくても頭に入っている」派。メモするしないはその人の自由で、ケチをつけるつもりはありませんが、私は徹底的な逐一メモ派です。

 小学生の頃から高校生まで、ノートすらほとんどとっていなかった私が今のようなメモ魔になったのには理由があります。ありていに言えば、学校で教わることはノートしなくても教科書に書いてあるけれど、自分が思いついたこと、考えたことは、どこにもバックアップがないことに気付いたからです。
 さらに言えば、単純なタスクをたくさん覚えておこうとすると、考えを巡らすことの邪魔になるので、それらのタスクは頭の中から一度消去した方がよさそうだということです。

 京都産業大学客員教授の樋口裕一先生は、著書『頭の整理がヘタな人うまい人』の中で、
 「頭を整理し、論理力を生かすためには、基本としてメモをとる習慣をつけるようにしたい。(中略)メモをとることによって、考えを詰めることができるからだ。」
と言われていました。

 私たちコンサルタントの仕事は、ひとことで言えば考えること。アイデアを書きとめ、それを眺めて発展させることほど重要なことはないと思っています。



サンタクロースとの対話


 昨晩、サンタクロースさんがご多忙な中、当事務所にお見えになりました。 以下は、そのときのやりとりのあらましです。

サ『やあケンイチ、ビジネスのほうはどんな塩梅かね?』

私『恥ずかしながら、今月までの売上累計実績で、前期比五割の体たらくです』

サ『ふうむ。しかし、新たなビジネスへの足がかりは築けたようだね?』

私『はい、その点は所期のもくろみを完全に達したと思っています。ただ、それなりに忙しい一年を過ごしてきて、この程度の数字しか上がらないものかと…脱力感を禁じ得ません。』

サ『ハハ、それはいかんね。しかし、私の目には、君たちはさほど魅力的とは言えない現在の収入を維持することに汲々としているように映る。不幸にしていまの収入源を失ったとしたら、挽回する、否、それをバネに一層飛躍するための手立てを考えているかね?』

私『……』

サ『…それは頭になかったようだね。君は、中小企業の経営革新を支援したりもしているようだが、経営革新をいま最も求められているのは、私の見るところ…不動産鑑定士の人たちだ。』

私『おっしゃる通りかもしれません…でも、どうすればいいのか…』

サ『きみがそんなことではいかんね。私が思うに、まずは自分たちの独占業務を根拠づけている法律まで立ち戻ってみることだ。不動産鑑定の重要性はいささかも低下していないが、その根拠法が謳う法目的は、時代にあわなくなってきている。国土利用計画法がいい例だよ。』

私『私たちは、自らの存立基盤に無頓着すぎたということですね。』

サ『そうだ。君たちが説明責任を果たすべきは、まずそこからだ。鑑定評価書の中だけの問題ではない。つぎに、クライアントひいてはその背後にいる利害関係者の期待にどうしたらもっと応えることができるか考えることだ。価格等ガイドラインはもちろん、法律ですら不変の制約条件ではないはずだよ。』




2012年12月20日木曜日

パワポものがたり


 最初は出来心だった。

 安易にセミナー講師を引き受け、付け焼刃で準備したA氏は、こう思ったのだ。
 「プレゼンテーションスライドとレジュメの両方をつくるなんて、めんどくせーな。だったら、スライドをレジュメのかわりに配ったら…。あっ、俺って頭いいー!」。

 未完成のレジュメを、若干字を大きくしてパワーポイントにコピーすると、なんだかそれらしくなった。
 当然、レジュメ通りに話をするつもりだったから、話すことは一応全部スライドに載せた。当然、字を小さし、行間を詰めなければならなかったが、なんとかスライドにおさめた。

 さて、セミナー当日。スライド上には、細かい字がびっしりと並んだ。グラフなどはさらに見にくかった。聴衆は仕方なしに手元に「レジュメ代わりに」配られたスライドのコピーに目を落とした。

 そんなことを繰り返しているうちに、講師らも聴衆たちも「前を見て話を聞く」ことをだんだん忘れていった。誰かが、「講演だってコミュニケーションだ」と言っていたが、実際のセミナーは講師と聴衆とにとって、互いに顔の見えないものになっていった。

 こうなると、レジュメとは別に、「前を見て話を聞く」ためのスライドを用意した講師たちにも、「スライドを配ってくれ」という要求が寄せられるようになった。レジュメを配るという文化は、急速に失われざるを得なかった。

 かくしてプレゼンテーションスライドは、「いま講師はどこの話をしているか?」を示す目次のようなものでしかなくなったのである。「字が小さくてよく見えません」なんてことは、もう誰も言わない。


2012年12月11日火曜日

ミッションに照らして最も大事なこと


 私にはふたりの子供がいます。まだ小学生です。
 一大イベントであるクリスマスには、いつも手柄をサンタさんに独り占めされ、いささか割り切れない思いもしています。
 でも、「本当はパパが買ってやったんだ、感謝しろ」という親はいません。不思議なサプライズに喜ぶ子供の笑顔が何よりうれしいからでしょう。

 「お客さまのよき伴走者として」「お客様の笑顔をつくる」といったミッションを掲げる人たちがいます。すばらしいことです。ただし、そのミッションに照らして最も大事なことは、「お客様が笑顔になった」ことであって「私が笑顔にした」かどうかは二の次のはずです。

 もちろん、事業の発展的継続のためにアピールが欠かせないことも理解できます。ですが、私たち零細企業者が成果を挙げるためには、人の力を借りること、いろいろな能力と知見を持った人たちと相互に結びつくことが、これまでになく重要になってきています。
 自分の成果をアピールしなければならない、という「自己宣伝の強迫観念」が、他の企業者とのネットワークを傷つけてはいないでしょうか。

 先日亡くなった小沢昭一を評して永六輔いわく、「自分の功績を隠したがる人だった」。
 彼が自己宣伝に満ち満ちた人だったとしたら、小沢昭一は我々の前に出現したのでしょうか。あの小沢節はどのように私たちの耳に響いたでしょうか。



2012年12月9日日曜日

森の専門家たちの寓話


「あのう。少しの間、その焚火で暖まらせてもらえませんか?」 
 
マーシャは、背の高い「専門家」に話しかけました。
 
その「専門家」は言いました。
 
「いいよ。娘さん。それにしても、こんな吹雪の森に、たった一人で何をしに来たのかね…?」 
 
「あのう…マツユキ草を探しに…でないと、私は家には入れてはもらえないの…」

「娘さん、きみには色々と大変な事情があるようだね。よーし、分かった。その願いを叶えてあげようじゃないか。」
  
「専門家仲間の皆、どうだろう?」
 
「私達はかまいませんよ。専門家だから!」
 
まず最初に、「気候をコントロールする専門家」がその手に持つ杖を一振りすると…

降りしきる雪は止み、冷たい風は少しずつ暖かいものになっていきました。

次に「花を咲かせる専門家」が春の歌を歌うと、色とりどりの春の草花が咲き乱れ始めました。

さらに「花摘みの専門家」が手のひらを広げると、持ち切れないほどのマツユキ草が。 

「専門家のみなさん、どうもありがとう!ほんとうにありがとう!」
 
しばらくして、専門家たちは、マーシャの訃報に接しました。親に虐待された末の衰弱死だったということです。

仲間のうちのひとり、背の高い「専門家」がつぶやきました。

「僕らがしてあげるべきことは、マツユキ草を摘むことだったのかな?」

即座に別の「専門家」が言いました。

「クライアントの要請は、マツユキ草を摘むことで、僕らは成果をあげ、クライアントに喜ばれた。それでいいじゃないか。」

もうひとりがいいました。

「そうだよ、それを生かすかどうかはクライアントの力量。あの娘さんは寿命だったということさ。」

それを聞いて、背の高い「専門家」はもう一度つぶやきました。

「そうなのかなあ、どこか違うような気がしてならない…。」  (おしまい)




2012年11月27日火曜日

夢の世界に遊ぶ可哀想な人

 黒澤明監督初めてのカラー作品として知られる映画「どですかでん」は、山本周五郎のオムニバス小説「季節のない街」を忠実に映画化したものです。

 この作品の中に、三谷昇演じるインテリの乞食が登場します。彼は、幼い息子に残飯あさりをさせ、自分はただ、豪邸を建てるとしたらどんな間取りにするか、一日じゅう空想に耽っています。
 自分のせいで息子が食当たりで苦しむのを見ても、医者に診せるとか、誰かに助けを求めることもせず、件の空想をやめようとはしません。ついには見殺しにしたかたちで息子を亡くしても、その墓穴を豪邸のプールに見たてて、飽くまで空想の世界にしがみつこうとします。そんな彼を見て黒澤の分身でもある老人(渡辺篤)は、「可哀想な人だ!」と慨嘆するのです。

 事業に対する思いや夢を熱く語るのは自由です。自由ですし、それが事業の原動力になることは言うまでもないことです。
 しかしながら、その実現に向けた道筋を自ら着実につけていくことなしに誰かに仮託するだけなら、単なる駄々っ子と変わりません。そういう人達の夢は、決まってリアルじゃない。夢だからリアルじゃないのではなく、借りものだから、自ら考え抜いたものではないからリアルでないのです。

 厳しい指摘には耳を貸さず、都合のいい話だけを聞いて夢の世界に遊ぶなら、その人は起業家などではなく、三谷昇演じるインテリの乞食と変わりません。
 我々はもはや「可哀想な人だ!」と慨嘆するしかないのでしょうか。実に残念なことです。

2012年11月25日日曜日

流行らないお店と求心力を欠く組織の共通点


 流行らない店や盛り上がらないイベント、求心力を欠く組織には、面白いほど共通点があると感じています。それは「自分本位」だということ。

 店主が「日曜日だから休む」「夕方6時には閉店する」一方で、『お仕事のお疲れをどうぞ当店で癒してください!』と呼びかけても、いったい誰が、いつ来るというのでしょう?
 でも、そんな店主に限って、「情報発信が足りなかった」と見当違いな反省をしています。

 組織に関しても、リーダーをリーダーたらしめているのは、リーダーの勝手な思い込みではなく、組織の構成員のコンセンサスであることを肝に銘じるべきです。リーダーが勝手に進軍ラッパを吹くことをリーダーシップとはいわない。構成員が思い通りに動かないのは、命令が聞こえなかったからではありません。
 原因を構成員のモチベーションに求め、小集団活動に走るのも、(方向性としては評価できますが)やや飛躍がある気がします。

 社内コンセンサスのポイントとして、目標の共有とか戦略の可視化を挙げる論者がいます。おそらく正しい指摘なのでしょう。でも、ありていに言えば、「構成員を当事者として遇する姿勢」なのではないでしょうか。組織の重要事項にいっさい参与を許さず、帰属意識を持て、というのは、どだい無理な話だと思われます。




2012年11月14日水曜日

「顧客にとっての」イノベーション


 イノベーションとは、必ずしも技術革新によるものではない。顧客にとってのイノベーションは、案外とローテクなものである場合が多い。
 組合せの妙や、デザインの先進性、そのベースとなるスタイルやシーンの提案、つまりは夢が重要なのだ。そのためには情報量の違い、それも知識ベースではなく、経験ベースの情報量の違いが必要になる。
 対象となる顧客の一歩も二歩も先を行く経験をどれだけ積んでいるかによって、顧客にどれだけ驚きを与えることができるかが決まる。それがマーケティング的に見たイノベーションの源泉だと思う。
 しかも、一般的な顧客の心をとらえるためには、そのピラミッドの頂点に君臨する先端的な顧客の心をまず捉えなければいけない。スポーツの世界で、一流選手の愛用するグッズにアマチュアが憧れるのと同じ道理だ。

              (嶋口充輝他「やわらかい企業戦略」角川書店2001)


 新製品開発に躍起になる企業は多いですが、「そもそも想定される需要者(あるいは世の人々が)が本当はどんなニーズ・ウォンツを有しているか」についての探求に熱心な企業は、あまり見られない気がします。

 経営者のみならず、むしろマーケティングに関しては専門家とも言える中小企業診断士すら、ある業種・業態の研究をする時に「想定される需要者が本当はどんなニーズ・ウォンツを有しているか?」という視点からアプローチすることは、実は少ないのではないでしょうか。

 顧客第一主義とか、マーケットインと口では言いつつも、自分中心にしか考えられないのは、われわれ人間の生来のDNAなのかもしれません。

 しかしながら、せめて「イノベーションとは、企業にとってのイノベーションではなく、顧客にとってのイノベーションである」ことは銘記しておきたいものです。

 ある属性の人たちは、どんなバックグラウンドを持ち、何を大切に思っているのか。この商品(サービス)で何をするのか。それはなぜか。どこを充実させたら商品(サービス)の評価が上がるのか。これまで利用してこなかったのはなぜか。

 これらを豊かにイメージすることなしに、コンセプトもターゲットもないように思います。



2012年11月5日月曜日

グルメなお客さんの寓話


 むかしむかしあるところに、たいそうグルメなおじさんがおりました。仮にA氏としておきましょう。

 A氏にはお気に入りの料理店が5つばかりあって、昼・夜の食事はそのいずれかのお店でとることを習いにしていました。
 A氏ごひいきの5店には、いずれも腕自慢の主人が居て、「ただ旨いだけでなく、お客さんの健康に配慮するのも料理屋のつとめだ」という矜持も持っていました。

 ところがA氏、実は大の野菜嫌い。どこのお店に行っても、なんやかやと理由をつけては、お勧めのヘルシーメニューを避けていたのです。
 たとえば、中華料理店で野菜炒めを勧められると、「野菜はほかでたっぷり食べてきたから、チャーシュー麺でいいや」。トンカツ屋では、「今日は朝からサラダばかり食べているから」と付け合わせのキャベツを全部残すといった調子です。

 それからしばらく。ある日を境に、A氏はどのお店にも全く姿を見せなくなりました。
 「二日とあけずに来てくれていたのに、どうしたんだろう?」
 店の主人たちが心配していると、ひょんなところからA氏の消息が知れました。
 何でも、深刻な糖尿病と栄養失調で、長期入院を余儀なくされているとのこと。主治医が「いったいA氏は、どんなところで食事をしていたのだ!」と嘆いたと聞き、店の主人たちはおおいにプライドを傷つけられました。

 中華料理店の主人がぽつりといいました。「Aさんには体にいいものを、と心がけてきたはずなのに…。俺のせいじゃないよな…。」(おしまい)


2012年11月3日土曜日

自分からするのが報告、聞かれて答えるのは弁明


 先日、Tumblrですてきなフレーズを見つけました。
 『自分からするのが挨拶。人の挨拶に返すのは返事。』というものです。

 最近、挨拶しても返事すら返さない人がいることに少々驚くことがありますが、それはともかく、「だったら自分の挨拶は、半分くらいは返事に過ぎないなあ」と感じるのは私だけでないことと思います。

 ホウレンソウ(報告・連絡・相談)にも似たところがあります。

 あの案件、どんな状況かな?と思っているところに中間報告ないし連絡・相談があるのが本来のホウレンソウ。
 他方、お客様や上司に『あの件、どうなってる?』と聞かれて答えるのは、もはやホウレンソウではなく、一種の弁明でしょう。

 ホウレンソウを怠る根源には、きっと相手に対する無関心があるものと思います。相手のタスクが少しでも早く前に進むように。納期や成果品の内容に関する相手の不安を解消するために。そんな気働きが少しあれば、リレーションシップはガラッと違ったものになります。

 ホウレンソウはほんの「些事」に過ぎません。でも、わずかなエネルギー、ちょっとした「こころ仕事」を怠ったがために失う信頼は、決して「些事」ではすまないものと、私はかつて何度も気付かされました。若かったころの苦い思い出とともに胸に刻んでいることのひとつです。


2012年11月1日木曜日

ポスト桃太郎の寓話


 桃太郎の鬼退治から三年。

 一躍時の人となった桃太郎が朝廷にスカウトされて京の都に去ると、鬼が島ではふたたび鬼たちが悪さをはじめ、村人たちはみんな困っていました。『桃太郎二世が出てこないものか…』村の長老たちは鳩首協議の結果、鬼退治のためのすぐれたプランを持つ者に、軍資金としてキビ団子30個を無料支給することにしました。

 このニュースに『こりゃいいや…』とほくそ笑んだのは、かつて桃太郎のお伴をした経験のある猿でした。彼は、犬とキジを『うまい儲け話がある』と仲間に引き込み、鬼退治コンサルタントとして活動をスタートしました。とはいえ、鬼の怖さは誰よりも理解している猿のこと、また鬼が島に行く気などさらさらなかったのです。

 彼は、いい仕事もなく暮らしに困っている村の若者たちに『私と組めば、キビ団子30個がタダで手に入る。キビ団子は山分けな。』と持ちかけました。

 それからしばらく。「おお、何と頼もしい…」村の長老たちは喜びの声をあげました。なぜなら、村の若者たち十数人が『われこそ鬼退治に!』と名乗りをあげたからです。

 ある若者は、『これまで村人たちは力で優る鬼たちに無策で立ち向かった。でも私には秘策があります。』と言いました。
 別のある者は、『オニイラズという毒まんじゅうを開発します。これで鬼たちを一網打尽にします。』と胸を張りました。
 さらに別の者は、『猿や犬たちと勉強会を続けてきた私の思いを汲んでほしい。私の目を見てください。』と叫びました。

 さて、彼らに軍資金としてキビ団子が支給されて半年。長老たちは若者たちの誰一人として鬼が島に向かおうをしないことを訝しく思いはじめました。
 問い詰めると、彼らの言い分は、『私の秘策が模倣されないよう、まず知的所有権保護の手続きを進めています…』『オニイラズの開発費が思った以上に掛って、船が調達できない…』『なかなかお供が揃わなくて…』『本業が忙しくて時間が取れない』。
 長老たちは、『その程度のリスク要因は、計画に織り込み済みではなかったのかっ!』と詰りましたが、後の祭りです。

 その後も、彼らのうちの誰かが鬼退治に向かったという情報は寡聞にして知りません。
 風の噂では、この村の若者たち、こんどは『かぐやひめを月に返さないすぐれたプランを持つ者に必要な資金を助成する』という企画に応募しているとのことです。(おしまい)





2012年9月24日月曜日

「レディースプログラム」なる講座のエピソード

 私がかつて学んだビジネススクール(以下、KBSと呼びます)は、主たる教育方法として「ケースメソッド」を採用していました。
 ケースメソッドは、実際の経営状況をまとめたケースを素材に、ディスカッションを通して新しい知恵を共創する教育方法で、過去70余年間にわたりハーバード大学ビジネススクールが中心となって開発し、改良してきた実践的な経営教育の方法といわれています。

 「ケースメソッド教育」のプロセスは、大きく三段階に分かれます。第一段階は、数十ページに及ぶケースを個々に事前検討すること。第二段階は、いわば「議論のウォーミングアップ」として6名程度のグループでディスカッションすること。第三段階は、講師のリードにより、クラス全体でさらにディスカッションを重ねること。「英知は教えられない」から、経営者の立場を疑似体験するとともに、学生相互の意見交換を通して各自の問題発見力、問題の構造化能力、判断力、意思決定能力を養成しよう、というのが、ケースメソッドの基本的思考といえます。

 ところで、KBSにはかつて「レディースプログラム」という講座があったそうです。これは、KBSの学生向けではなく、学生(社会人が大多数を占める)の奥さんたち向けの講座でした。「うちの旦那は、会社を休職して、夜中まで何を勉強しているのか」の一端を体感してもらい、彼女たちの日ごろの忍耐と献身に報いるための趣向だったと聞いています。奥さんたちの大半は、「経営」とか「決算書」などに馴染みのない方々だったでしょうが、「レディースプログラム」に用いるケースは、本格的なものだったということです。

 私が学んだ二十年前は、すでに「レディースプログラム」はありませんでした。その頃にはもう、学生の4、5人に1人は女性となっていたことも理由のひとつと推測されます。当時クラスメートには、竹田陽子横浜国立大学大学院教授(経営情報システム)、土橋治子青山学院大学准教授(消費者行動論)といった方たちもいました。彼女たちは(私と違って)当時から明確な目標を持ち、片意地を張るところもない、とてもしなやかな感性の方々だったことが思い起こされます。

 閑話休題。レディースプログラムの話に戻ります。
 ある年のこと、レディースプログラムで用いたケースが、期末試験に出題されました。このとき、数名の学生が自宅に電話をかけ、奥さんにレディースプログラムでの先生のお話を聞き出して、答案に生かしたそうです。
 この話を聞いた時、私は思わず「先生、それってカンニングじゃないですか?」と言ってしまいましたが、恩師はにっこり笑ってこうおっしゃいました。
 「自分をとりまく人たちと情報交換を密にして、それをビジネスに生かすのは経営者の重要な能力じゃない?彼らは、事前に奥さんとの間でレディースプログラムに関してコミュニケーションをとっていて、かつ試験当日、それがレディースプログラムの内容に合致すると気付いたわけだよ。それは正当なアドバンテージだと判断して、いい点数を付けたよ。」(写真はイメージ)


2012年9月19日水曜日

2件のセミナーを担当して


 8月下旬から9月中旬にかけて、「起業家養成講座」「創業セミナー」と題する2件のセミナーを担当させていただきました。
 前者は大学生、後者は社会人を対象とするプログラムであるため、テーマはほぼ同一ながら、受講者の属性を考慮し、内容的には少し違ったものになりました。

 講義とビジネスプラン策定演習を併用したセミナーの中で、私が今回とくに意を用いたのは、「講義を講師が一方的にしゃべる片方向のものにしない」ということです。具体的には、各所に「考えてみよう」というコーナーをおき、具体的な事例に即して発言していただくようにしました。

 この点、大学生の人たちは、現役の強みか、「皆さん、これどう思います?」という問いかけに、即ディスカッションモードに入ることができました。誰かの発言に追従することなく、反対意見がさっと出てくるところには感心しました。
 他方、社会人の方々は、私のリードも拙かったのか、当初はかなり戸惑った様子でした。しかしながら二回目の講義では積極的な発言が相次ぎ、また発言内容もさすが社会人、問題のさまざまな側面に光を当てた内容豊かなものでした。

 思えば、われわれ日本人は、小学生の頃はともかく、活発に議論を戦わせる機会にはあまり恵まれていません。積極的に発言する人が偉い、というコンセンサスも本当はなくて、単に「目立ちたがり」「変わった奴」と思われるだけなのかもしれません。
 そんな日本社会の中で、毎日ディスカッションだけを繰り返す学校があります。それは「ビジネススクール」というところです。次回は、ビジネススクールのクラスディスカッションにまつわるエピソードについて書きたいと思っています(写真はイメージ)。



2012年8月15日水曜日

終戦の日に(宇佐海軍航空隊のお話)


 大分県宇佐市にある「城井1号掩体壕史跡公園」は、かつてこの地にあった旧日本海軍・宇佐海軍航空隊(海軍航空隊宇佐基地)に係る戦史遺跡を宇佐市が買い取り、史跡公園として整備したものです。

 宇佐航空隊は元来、爆撃機・攻撃機の搭乗員の教育を行う訓練部隊でしたが、太平洋戦争末期の昭和20年には特別攻撃隊が編成され、154名の特攻隊員が出撃していきました。

 航空隊の滑走路があったところは、現在フラワーロードと呼ばれる市道になっていますが、その周囲には10基の掩体壕(飛行機を敵の攻撃から守るために造られた小さな格納庫)が残っています。

 隊員であった東條重道さんが戦友の思い出を綴った手記「野中繁男君を回想する」(なにわ会ニュース53号13頁 昭和60年9月掲載)によると、「20年の紀元節までは宇佐は桃源境だった」ようです。
 若い隊員たちは、それぞれに短い青春を謳歌したことがうかがわれます。毎週末日豊本線で湯の町別府に行き、決まって杉の井旅館に泊まったこと。亡き戦友の家に遊びに行き、息子の身代わりのように歓待されたこと。意中の女性について話したこと。

 しかし、のんなのどかな日々も「マルダイ部隊野中一家が駐機するに及んで空気は一変した」。マルダイ部隊とは、有人ミサイルともいえる特攻ロケット爆弾「桜花」を搭載する一式陸攻隊です。
 部隊長の野中五郎少佐は、二・二六事件の首謀者野中四郎大尉の実弟(前出の野中繁男中尉とは全く別人)でした。

 一式陸攻は、緒戦期に大活躍した双発の爆撃機ですが、図体が大きく鈍重で、長大な航続力と引き換えに防弾装備は極めて脆弱でもあったため、昼間攻撃では生還はおろか、敵艦に近づくことすら覚束ないのが実情でした。

 繊細でやさしい人柄であったと伝えられる野中少佐は、特攻に極めて批判的であったと言われていますが、暗くなりがちなムードを払拭するため、隊員たちの前では、任侠の大親分を気取って芝居がかった振る舞いをしていたそうです。部隊はいつしか、彼の名を冠し、「野中一家」と呼ばれるようになりました。

 昭和20年3月、出撃命令を受けた野中部隊は、米機動部隊に到達できぬまま敵艦載機に全機撃墜され、全滅しました。

 前出の東條さんの手記に戻ります。

「戦局日々急迫、3月1日第10航空隊に編入され、練習機をもってする特別攻撃隊が編成された。その第1回の編成が第1八幡護皇隊である。艦攻隊は全機をもって編成した。八幡とは宇佐神宮の八幡さんから、護皇は勿論皇室を護るという意味であった」。

「艦攻は3人乗りである。丁度7分咲きの吉野桜を背に挟み、八幡護皇隊と染抜いた白鉢巻も凛々しく正装して出撃命令を待っている。池田の小母さんも見送りにみえている。野中君とは目礼して十分意は通じた。「かかれ」の号令で愛機へ。そして淡々として次々に離陸、見事な編隊で宇佐空を飛び立っていった。操縦の乱れは全く見られない。何時もの訓練と同じように飛んで行った。私の胸にはジーンとするものが、いつまでも残っていた。俺もすぐ行くのだ、こんな風に見送られてと思いつつ。」

 その後、野中中尉は4月6日特攻出撃し、敵戦闘機と交戦、戦死されました。史跡公園の石碑に、彼のお名前を見つけることができます(下写真、上列の右から四人目)。



2012年8月9日木曜日

戦史遺跡と不動産鑑定士


 今日的な不動産鑑定評価の重要なテーマのひとつに、土壌汚染があります 。

 それゆえ不動産鑑定士は、対象物件の現況(植生、残置物その他)のみならず、周囲の状況、周辺地を含めた過去の利用状況(いわゆる地歴)を調査し、汚染が不動産の価格形成に影響を及ぼす可能性を判断するのが通常です。
 地歴を調べることは、歴史をひもとくことであり、しばしば太平洋戦争が残した様々な傷跡にも行きあたることとなります。

 大分県宇佐市にはいまだに旧陸軍省名義の字図混乱地域が残されたままですし、地元のお年寄りたちも知らない地下壕が張り巡らされているらしき基地跡もあります。中津市の田園地帯では、そこがかつて大手製鉄会社の大軍需工場があった場所だと知りました。熊本市では、図書館で地歴を調べるうち、沖縄戦の義烈空挺隊の発進基地が近くにあったとわかりました。
 そんなときは、わずか一瞬ですが、仕事を通じて当時に思いをはせる機会になります。

 ところで私には、戦史遺跡を見るたび、思いをあらたにすることがひとつだけあります。それは、『戦争体験から得られる知見は、ただ「ふたたび戦争の惨禍が起こることのないように」というだけではないはずである』、ということです。

 若いころ、幹事をつとめたある酒席で重役の方に乾杯のご発声をお願いした時の、その方のスピーチがいまでも印象に残っています。12月8日のことでした。

 『50年前の今日、日本海軍がハワイのパールハーバーを奇襲しました。ご存じの真珠湾攻撃です。功罪はどうあれ、その後の世界史を大きく変えた重大事件であったことは疑いありません。それを実行した搭乗員の平均年齢は21歳だったと聞きます。時代を動かすのはいつも若者です。私は、みなさん若い方々にそんな大きな期待を持っています。』

(写真は、宇佐市の城井1号掩体壕史跡公園=旧日本海軍の特攻隊基地跡です)


2012年8月2日木曜日

資料の妥当性を判断するということ


 わたくしたち専門職業家が、分析調査の過程で採用する各種のデータは、採用した時点でそれを「専門職業家として」妥当と認めたことになる。それゆえ、その提示資料が信頼するに足るものかどうかの吟味がきわめて重要となるし、資料の妥当性を判断する眼力を養う努力は欠かせない。

 以下は、私がかつて経験した案件。

 借金苦で夜逃げするのはテナントの方というのが世間の常識で、オーナーが夜逃げする時代がくるなど、かつては考えられなかった。しかしながら、不動産市況が長期低迷する中、かかる事態は決して珍しいことではなくなっている。

 ある貸店舗で、オーナー行方不明の状況下、テナント側は月額賃料の数十倍の保証金を支払ったと主張、その証拠として敷金授受の旨を記載した覚書を提示した(なお、月額賃料の何倍程度までが買受人の引き受けになるか、という論点はひとまずおく)。
 これをそのまま採用すれば、保証金の運用益を考慮した実質賃料は、月額支払賃料と相当差のある高額なものとなる。しかし、私はこの敷金授受には疑問があると判断し、その運用益を考慮しなかった。その理由は、家賃の入金口座に保証金授受の記録がなく、かつ提示された覚書は、その当時のテナントの名称ではなく、その数年後に商号変更した現在の社名での記名捺印であったからである(商号変更の経緯は法人登記簿で確認した)。

 資料の妥当性を判断する眼力が求められる点は、ドキュメンタリー作家なども同じであろう。
 澤地久枝氏の『雪はよごれていた 昭和史の謎二・二六事件最後の秘録』は、丹念な文献調査に基づき、これまで闇の中にあった昭和史の真実を暴きだした名著とされる。

 しかしながら、一読者としては、アプローチの見事さに興奮を覚えつつも、他の既出資料が意図的な隠ぺいを仕組んだもので、新たに発見した資料や証言こそが真実を語るものとなぜ言えるのかがわからなかった。当時、二・二六をめぐる軍法会議が統制派の掌中にあったことは当然で、そこから得た情報には相当なバイアスがかかっていると見る方が自然に思えたのである(昭和史の研究者である大江志乃夫先生も澤地説には疑問を呈されていた)。

 事実がどうであったか、それはわからない。明らかなことは、澤地氏が実績あるプロのドキュメンタリー作家として、これらの資料を「妥当と認めた」ことだけだ。







2012年7月23日月曜日

娘の誕生日に


 今日は、長女の十一回目の誕生日です。
 生意気さと子供っぽさが同居しているのがこの年代の特徴かもしれませんが、相変わらず全てを母親に依存する一方、最近えらく母親に口ごたえをするようになりました。まあ、これも成長の一環と見て、母親と娘の間への軍事介入は控えています(宿題を見てやる、夏休みの宿題に協力するなどの宣撫工作は続けています)。

 娘の成長にかこつけて言えば、願わくば娘には「あいつのいうことなら聞いてやろう、力になってやろう」と言われるような人になってほしい。誤解のないように念のため付け加えますが、人脈作りが大事、というのとは少し違う気がします(「人脈」という言葉は人を金づると捉えるような響きがあって嫌いです)。

 残念なことですが、私は優秀なサラリーマンではありませんでした。いまでもたまに思い出す大きな失敗がいくつもあります。でも、退職後に当時上司だった方に聞いたら、お仕事で関係のあったいろいろな方たち(お取引先や関連会社や社内の他の部署の人たち)が「あいつ、可愛いとこあるんだよなあ」「あいつがやりかけたことは無駄にしない、俺に任せておけ。」といろいろカバーしてくださったのだそうです。

 たとえ、さして能力や実績がなくても、可愛げのある奴には手を差し伸べてくれる人もいる、ということでしょうか。ところで、私のどこに「可愛げ」があったか、うまく自己分析できませんが、もしかしたら失礼な言動などを「素直に詫びる態度」が評価してもらえたのかもしれません(それが組織の論理に反する場合があることはご存じの通りですし、そもそも失礼な言動などないに越したことはありません)。

 重ねて残念なことですが、私は心の広い人間でもないので、逆に「あんな奴のために力を尽くして損をした」と思ったことが何度もあります。そう思わない人間になれれば越したことはないけれど、娘にはせめて手を差し伸べてくれた人に、後から「やっぱり助けてやってよかったな」と思われるような人になってほしい、とは切に思います。父親は、読書を楽しむ習慣以外、何も授けてやれないけれど(後掲はイメージ画像です)。




2012年7月20日金曜日

不動産鑑定士の鞄の条件


 よく女性が持っている平底のバッグがありますよね?中に仕切りのほとんどないやつ。私はあれが苦手です。鞄に手を突っ込んでも、なかなか目当てのものが取り出せないからです。まるで「これでもない、あれでもない」と毎度ドラえもんみたく騒いで、相当イライラ感がつのります。
 
 今日は、私が毎日持って歩いている鞄のことを書きます。

 二年半使い倒した鞄が劣化してきて使いづらくなったので、本日とうとう新品に買い替えました。先代は、母がバザーだかフリマだかで1,000円で買ったものを貰い受けたと記憶しています。地価公示分科会の資料でパンパンにしたり、肩掛けにして傾斜35度の山中に分け入ったりといった酷使によく耐えてくれました。唯一の欠点は、自立しにくい(床に置くと倒れやすい)ことでした。


 では、後継鞄としてどんなものを選ぶべきか。現地調査が不可避の仕事柄、不動産鑑定士に高級なレザーの鞄は似合いません。重いし、高価だし。軽くて、雨に強くて、堅牢で、中身を取り出しやすい、安価なナイロン製が一番です。


 先代の鞄にはポケットがたくさん付いていて、電卓はここ、縮尺定規はここ、認印はここ、と常備品の格納場所を全部決めていたので、暗がりでもサッと取り出すことができました。でも、鞄が新しくなって、格納場所がまるで変わってしまったので、慣れるまでしばらく時間がかかるかもしれません。
 今回は、先代以上に機能的な鞄を選んだつもり。水筒も、折りたたみ傘もうまく収納できます。自立します。早く慣れて、ストレスフリーで仕事に集中したいものです。




2012年6月29日金曜日

不動産鑑定士のクルマ考


 先日、長年連れ添った愛車に別れを告げ、18年ぶりに新車に買い替えました。
 従前と同じ国産SUV、但し今回はディーゼルです。まだ満載のアクセサリー類をほとんど使いこなせていませんが、この18年間のクルマの進歩には、驚嘆しているところです。
かねてからBMWのファンであった私としては、3シリーズが乗り換えの第一候補、アウディA4クワトロが第二候補だったのですが、経済的理由と以下の「不動産鑑定士のクルマが備えるべき要件」を総合的に勘案した結果、上記の選択となりました。心残りが全くないと言うとウソになりますが、まずは順当な選択であったと思います。


 思うに、私のような田舎の不動産鑑定士は、クルマの使い方に次のような特徴があります。
1 バス・鉄道網が発達していないので最重要(というよりほとんど唯一)の移動手段である。
2 移動距離が比較的長い。ゆえに好燃費や疲労の少ないことが重要となる。
3 屈曲の多い狭隘道路を通行する機会も少なくない。ゆえに大型車は好ましくない。
4 台風・降雪・路面凍結時に長距離移動を強いられることがある。
5 未舗装・高勾配の林道を走破できる能力が求められる。
6 わだちが深く刻まれた未舗装道路を通行することがある(最低地上高は高めに)。

 2WD車で久住山の雪の坂道が登れず立ち往生した経験や、早朝に路面凍結した山間部の沈み橋をおずおずと渡った経験等から、今回は上記4~6を特に重視し、国産SUVにしました。足ながら付け加えれば、現地に外車で乗り付けることが望ましくないこともありうる点も、併せて考慮した結果です。
 あとは、新しい相棒がその真価を発揮できるようなお仕事が戴けることを祈るばかりです。とはいえ、買って間もない新車に早速キズは付けたくはありませんが。




2012年6月11日月曜日

ひとは話のどこを聞いているか


会社の営業支援システム導入を主導し、定着させ、営業部門の生産性向上に貢献した社員がいるとします。その直属の上司が、彼の人事考課書に「無遅刻無欠勤で、まじめに業務に取り組む頼もしい人材である。」と書いたら、人事課長であるあなたはどう感じるでしょうか。

この上司は、確かに彼にプラスの評価を与えていますが、彼の業績やそれを可能ならしめた彼のスキルや徳性には全くと言っていいほどふれていません。ふつう、この人事考課書からまず読み取れるのは、「この上司は彼のことを快く思っていないのだな」ということでしょう。

このように、われわれはある情報を耳にしたとき、その内容を言外のニュアンスをも含めたコンテキスト(文脈)として把握しています。ところが、情報が専門的、個別具体的、散文的になっていくと、たいていの人はコンテキスト(文脈)ではなく、キーワードに反応する傾向が高まるような気がしています。そして、そのキーワードにかつて自分が与えた意味内容でもって、発言全体を解釈しようとします。

ですから私は、中小企業支援の現場で、ある企業の経営課題の切り分けを行う際、「マーケティング上の課題だ」とか「事業承継の問題だ」といった表現はなるべく用いず、具体的なタスクの形で『○○を△△しましょう』と伝えるようにしています。それでもなお「ということは、ITの問題ですよね?」と聞き返されることもありますが、簡単に同意を与えるべきではないとも思っています。

 それは、ひとたび「IT」「事業承継」というキーワードに変換された経営課題は、仮にその人の理解が「IT=ウェブサイト」「事業承継=税制上の措置の活用」であったとしたら、その理解レベルまで矮小化されかねないからです。こういう整理が必要だ、という個別のタスクを具体的に伝えないと、経営支援が本質を逸脱するリスクはきわめて高い、というのが現時点での私の認識です。

どうやら、誰かの発言の意味内容を正確に理解するには、地アタマの良さと、虚心坦懐に人の言うことに耳を傾ける姿勢と、心の余裕と、コモンセンスのいずれもが必要なようです。そしてこのことは、口頭でのアドバイスがいかにあやふやなものか、ペーパーにまとめることがいかに重要かを示唆しているとも思われます。


2012年5月29日火曜日

不動産鑑定士のスーツ考


 大分弁に「一張羅」を意味する「県庁着」(けんちょうぎ)という言葉があります。語源はくわしく知りませんが、おそらくは「県庁に着て行くようなよそいきの服」ということだろうと思います。

 ところで、私が一昨年作った冬物の県庁着は、試着以来一度も袖を通すことなく、また二度目の衣替えを迎えつつあります。
 奇しくも明日は県庁に伺う予定なのですが、この気温では夏物スーツが妥当でしょう。県庁着の出番は、早くとも晩秋になりそうです。

 われわれ田舎の不動産鑑定士は、市街地のみならず山林原野を駆け回ることも多い反面、その足で役所に出向くのが普通ですから、調査時は(よほど山深く分け入るとき以外は)スーツを着ていることが多いです(長靴はクルマのトランクに常備しています)。
 したがって選ぶスーツはあくまで実用本位、多少木の枝に引っ掛けても気にならないものが最適といえます(一度、おろしたてのスーツのひざを破いて、補修に八千円かかったことがありますが、このときは、どこを補修したのかわからないくらい、完璧な仕上がりでした…)。

 県庁着には申し訳ないけど、かかる実用本位のスーツを着ていくのがはばかられる場面が来るまで、風にあててもう少し眠っていてもらうつもりです。



2012年4月22日日曜日

十年後の花形職業は


高校生のころ、暗誦させられた祇園精舎。いまでも大体は諳んじることができます。

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
驕れる者久しからず ただ春の夜の夢の如し
猛き人もついには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ

本当にそのとおりだ、と思います。

戦前の大学生就職人気トップ企業は満鉄(南満州鉄道)だったそうです。
天下の秀才を集めた高収益企業だったようですが、当然ながらいまは跡形もありません。

終戦後は、製糖・製紙・セメント・石炭が人気。三白景気、黒いダイヤという言い方もされました。
バブル期は航空会社・銀行が脚光を浴びました。その後については解説は不要でしょう。
松任谷由美さんは「私のアルバムが売れなくなるとしたら、都銀でもつぶれるとき」と言ったそうですが、いずれも現実となりました。

そして天下の東電はかくの如きありさま。

いまの花形職業も、十年後はどうでしょうか。花形でないどころか、そんな職業はもうないかもしれません。
逆に、いまは名もないような職種が脚光を浴びているかもしれません。

私を含め、業際で活動する人たちの多くは、未だ自分たちの役割を適切に表現する「肩書き」を持ち得ていません。
でもそれらの活動が、既存のサービス以上にお客様に役立つものなら、積極的に「肩書き」を作り、使い、情報発信していかなければ、と思っています。

先日、子供の英才教育に関するテレビ番組をやっていました。子供たちの力量は確かに驚嘆に値すると思いましたが、同時に子供たちがとっても気の毒な感じがしたのも事実です。

だって、親たちが子供のために敷いたレールは、いまの親たちに見えている古いレールに過ぎないのですから。


2012年4月7日土曜日

傾聴に値する意見の要件は


 丸山徹さんという方のブログ『裁判員制度徹底解明』〔http://blogs.yahoo.co.jp/maruyama3t/archive/2009/09/20〕
の中に、「日本にも陪審制があった」と題した興味深い記事がありました。

 30年近く前になりますが、私も当時の陪審裁判を取り上げたエッセイ(たしか和久峻三先生)を読みました。
 市井の「門外漢」「法律の素人」「捜査の現場を知らない人」たちが、実に鋭い指摘をしつつ、真実に近づいていく様子が裁判記録から伝わってきて、感動を覚えた記憶があります。


さてブログの中で、丸山さんは、大正デモクラシーの成果である陪審法(当時の陪審制の根拠法)を『日本の法制史上、最も先鋭的、革新的な法律であったと言っても過言ではない。』と評価し、次のように述べておられます。

『15年間で延べ484件の陪審裁判が行われ、81件の無罪判決が出た。無罪率は16.7%。』

『同期間の通常の裁判の無罪率が1.2%から2.0%だったことを勘案すれば、陪審裁判の無罪率は驚異的である。当時の検察、裁判所にとって、それは悪夢であったに違いない。』

『なぜ、こんな劇的な変化が起きたのか。それは、普通の市民である陪審員が、法廷で裁判官が行う被告や証人の尋問を直接きいたり、法廷に提出された証拠を自ら見たりして有罪・無罪の判断をしたからである。』

『刑事裁判の最も基本的な原則が順守された結果、劇的な変化が起きた。密室での被疑者の取り調べ内容が記された調書が、事実上、無条件で証拠となり、有罪判決が下されるというのが当時の裁判の常識であった。陪審裁判は、この常識に従わず、陪審が自らの思考と判断で、事実を認定し、有罪・無罪を決めた。その結果が、無罪率16.7%という数字となって表れたのである。』

  自分は専門家だからとか経験者でないからとかにとらわれないこと。
  一生懸命考えること。
  そして、できれば、思考するためのコツを知っていること。

 どのような分野にせよ、真理に近づくための要件は、この三点に尽きるような気がします。
 それが誰の意見であれ、これらの要件を備えた意見は、傾聴に値すると私は信じます。
(2012.4.7)

2012年3月30日金曜日

不動産鑑定士が抱く「署名」への格別の思い

 かねてからお世話になっている不動産鑑定士のH先生が先般、所属鑑定機関の社長に就任された。

 そのお祝いとして、ささやかながら某文具店のオリジナル万年筆をお送りした。プロトタイプである大手メーカー品よりも書き味において優ると専らの評判で、私自身かねてから欲しかった一本であった。

 先生ご本人の使用感はまだうかがっていないのだが、「一度万年筆の書き味に慣れたら手放せませんよ。不動産鑑定書に署名するときにも良いかもしれません。」と私が言うと、「でも俺、きっと無くすぜ」とおっしゃる。そこで「普段使い用だから、無くしてもあきらめがつきますよ」と申し上げた。

 私たち不動産鑑定士にとって、「署名」には格別の意義・思いがある。自ら立案した不動産鑑定評価書に署名捺印する一瞬は、改めて「これが俺の意見だと胸を張れるか」と自問するときでもある。「留め、はね、払い」がうまくいかなかったら書き直すくらい普通だ。

 事務担当者による校正後、さらに一読し、署名する。署名した後も、もう一度評価書の内容を吟味する。そこでようやく、事務担当者の製本作業に委ねるのが私の習いになっている。

 このささやかなプレゼントが、先生のそんな「一瞬」の一助になるなら、私にとって多としなければならないだろう。
 (2012.2.26)

保有資産の市場価値下落が気になりますか?

 私の許には、「気になりませんか?愛車の現在価格!」というセールスレターがよく届きます。


 あいにく私は愛車の現在価格などまったく気になりません。何しろ実用15年、走行距離11万km近い私のクルマの現在価格など5万円にも満たないことでしょう(いやむしろ廃車費用が顕在化してもっと安いかも?)。

 そもそも、現に保有している資産の市場価値が気になるのは、どのようなケースでしょうか。

 ①利用していないとき。または有効利用度が非常に低いとき。
→クルマでいえば、半年に一度ドライブに行くだけ、というようなケース。年2回レンタカーを調達する代替案と比較考量すべきでしょう。

 ②より市場価格の低い代替資産で、同等の効用が得られるとき。
→クルマでいえば、通勤用にポルシェを使用しているようなケース。ステイタス性などを考慮外とすれば、コンパクトカーのほうが適当かもしれません。

 ③運用コストが有意に低い代替資産がある場合。
  →クルマでいえば、ハイブリッドカーとの買い替えを検討する場面に相当します。

 以上を要するに、現用中の資産を保有し続けると損になるおそれがあるとき、といえそうです。

 「なんでも鑑定団」で中島誠之助さんが『器は使ってこそ価値が出る』とおっしゃっていました。
 企業用不動産(CRE)も事情は同じ。使ってこそ、それも経営の本旨に沿った利用をしてこそ価値が生まれます。不動産が持つインフレ耐性の強さは否定しませんが、遊休物件の継続保有が許容されるのは、将来本業に活用する予定があるものなど、限られたケースと言えそうです。

 但し、上記のクルマの例と同様、現に利用中の不動産といえども有利な代替資産との比較は欠かせません。他方、事業に不可欠な資産として稼働しており、かつそれが事業継続が可能なだけのキャッシュフローを生む見込みがあるならば、不動産市況の悪化など、関心を持つ必要はないでしょう。
 (2012.1.9)

「お墨付き」の真価を問われる「お墨付き産業」

 不動産鑑定業は「ソリューション産業」であると同時に「権威産業」「お墨付き産業」の側面を有しています。
 鑑定評価書というお墨付きによって、価格の正当性を示し、もって当事者を合意に導いたり、トラブルを未然に防止したりといったソリューションを提供する産業、という言い方もできるでしょう。

 いわゆる「かんぽの宿」問題は、かかる不動産鑑定業の本質に関わるような重要な問題を提起しています。

 『国土交通省は26日、旧日本郵政公社が依頼した宿泊・保養施設「かんぽの宿」の一括売却に絡む不動産鑑定で不当な評価をしたとして、不動産鑑定士4人を業務禁止や戒告の懲戒処分、不動産鑑定業者1社を戒告の監督処分にしたと発表した。また13人を文書注意、1社を口頭注意の行政指導とした。国交省によると、鑑定士らは平成19年8月末にかんぽの宿の評価書を公社に提出。事前に公社に示した原案から大幅に価格を引き下げた理由に合理性がない上、実地調査していない物件や、つじつまの合わない記載があり、不当な鑑定評価と判断した。鑑定士が原案を示した際、公社側は「早期に売却したい。今の市場で売れるのか再検討してほしい」と伝えたという。』(2011.8.26産経ニュース)

 本件では、依頼者側から「低めに評価してほしい」という要請、いわゆる『依頼者プレッシャー』があったことが非常に大きく採り上げられています。
 しかしながら、何らかのソリューションを目的に鑑定評価を依頼している依頼者が、「なるべく安ければ(高ければ)いいな」という期待を持つのはむしろ当然です。依頼者プレッシャー、とひとことに言いますが、相当に執拗かつ悪質な強要があった場合はともかく、プレッシャーが不当鑑定の理由になるのならば、「鑑定評価額は不動産鑑定士の主体的意見である」という前提そのものが覆ってしまいます。

 依頼者の意向に盲目的に従っておいて、「お墨付き」としての真価が問われたときに合理的な説明資料とはならず、「依頼者プレッシャーの結果です」となったのでは、何のための鑑定評価かわかりません。

 「もう少しコストダウンできない?」というクライアントの真意は、「粗悪品を作れ」ということでは決してないでしょう。不動産鑑定士は、依頼者に寄り添い、適切なソリューションを目指しつつも、合理的な価格のありどころを依頼者にこそ示せなければならないと思います。
 本件が「不動産鑑定業の重大な危機」を示していることは間違いありませんが、「ソリューション産業」としての不動産鑑定業は、遅まきながら「お墨付き」の中身をも問われ始めたことで、一層成熟する機会を得たのかもしれない、とも思うのです。
 (2011.9.23)

「新規性」の要件に目を奪われるな

 経営革新計画をはじめとする中小企業の経営計画支援諸制度は、企業が自ら事業を見つめなおし、次の一歩を計画的に踏み出すための意義ある制度であると評価しています。

 しかしながら、「計画承認を得ることが自己目的化」すれば、むしろ当該企業の事業劣化を引き起こしかねない危うさも孕んでいます。端的に言うなら、「企業が計画の実行組織たりうるためにまず手を打つべきことは、計画策定以前にあるのではないか」ということです。

 実行組織の脆弱なまま進められる経営革新計画は、クルマにたとえれば、軽四のシャシーにBMWのストレート6を積むようなもの。ストレート6の能力が発揮されないばかりか、軽四本来の良さすら失わせてしまいます。

 計画支援にあたる専門家である私どもは、「新規性」の要件のみに目を奪われることなく、企業の現状や保有能力に十分配慮しつつ支援を提供したいものです。
 (2011.8.25)

金づちしか持たないものには釘しか見えない

 ネット販売などで目にすることも多くなった無農薬リンゴ。先日も、青森県弘前で無農薬リンゴの栽培を20年続けているという生産者の木村秋則氏がテレビに出演されていました。

 この無農薬リンゴを目にするたびに思い出すことがあります。


 もう20年近くも前、まだインターネットは一般的でなかったパソコン通信全盛の時代ですが、ニフティサーブに農業について語るコーナーがありました。そのコーナーでは生産者と消費者の意見交換などが行われていたのですが、あるときユーザーからリンゴ栽培について質問が寄せられました。内容は概略、『果樹栽培を手がけてみたいのだが、これまでリンゴの無農薬栽培など身近に聞いたことがない。どなたか無農薬リンゴの栽培を手掛けておられる方がいたらご教示いただきたい』というようなものであったと記憶しています。

 回答はすぐに寄せられました。『専門家なら常識のように誰でも知っていることですが、リンゴはきわめて病気に弱いので無農薬栽培などありえないのです』。まるで『だから素人は困る』と言わんばかりのものでした。このやりとりは、『ありがとうございます。やはり無理なのですね。』と終わるはずでしたが、ここでは終わりませんでした。『私は無農薬リンゴの栽培をもう何年もやっている。具体的には…』という別の回答が寄せられたからです。この後のやりとりについては記憶があいまいですが、『無農薬栽培などありえない』と言った先の回答者の発言はもうなかったのではないかと思います。

 私は「金づちしか持たないものには釘しか見えない」「人間は自分は偉いと思ったとたんにバカになる」という言葉が好きです。前者は、経験や知識が不足していると視野が狭まり問題解決策を見出しにくくなること、後者は、虚心坦懐に考えたり他人から学ぶ謙虚さを失うと判断を誤ることを戒めた警句だと理解しています。

 巷間『○○の専門家』を自認する人々の中には、素人の意見を即座に全否定する人もいるし、素人にも「専門家がこう言っていた」とその無謬性を疑わない人もいますが、このような人を見るたび、前掲の警句を思い出して自らへの戒めとしています。
 中小企業診断士などの専門家による支援に、最も求められていることも、「金づち以外の道具」=「その業界には従前なかった知見」でもって「真の課題や改善テーマに対する洞察」を示すことなのではないのか、と。
 (2011.8.20)

ネット上でのマナー違反がもたらす「負のパーソナル・ブランディング」

 ウェブサイトの開設・運営の支援にあたるウェブデザイナーやITスペシャリストなどの専門家は、サイトのコンテンツ作成やコーディングのみならず、率先垂範でクライアントにネット上での真っ当な振舞い方を示すべき立場にあると言えます。


 ところが、現実にはこれら専門家の中に、マナー違反というか常識的でない振る舞いをする人が少なからずいるように思われます。

 面識のない相手に何らメッセージを添えることなくFacebookの友達申請をしたら、相手はどう思うのか(不躾だと思うでしょうし、困惑するでしょう)。
 Facebookページに「いいね!を押してください」と要請され、そのページを訪れたとき、基本データすら入力されていない“のっぺらぼう”の状態だったら、相手はどう感じるのか(何に「いいね!」と思えばいいのでしょう?決してページ開設者にいい印象は持たないでしょう)。

 このようなことは、決して「知っておくべき」事柄ではありません。「感じるべき」事柄です。相手の立場に身を置いたとき、何の抵抗もなく許容できることか?と自問して、感じ取るべきことでしょう。

 最近、Facebook活用の意義として「パーソナル・ブランディング」を挙げる向きもありますが、不見識な振る舞いは逆に、パーソナル・ブランドを傷つけてしまいかねません。増してやクライアントが、指導的立場にある専門家からかかる所作を「学んだ」結果、評判を落とすことになったら、一体何の支援をしたのやらわかりません。

 「顧客目線」や「ユーザー志向」は、ウェブサイト戦略やコンテンツ制作の場面のみならず、中小企業者のサイト運営ひいてはサイバースペースにおける活動全般にわたって不可欠な基本的視点なのです。
 (2011.8.9)

不動産鑑定士は何のプロか

 隣接周辺業務に一歩踏み出すにあたって、「われわれは(私は)どのような専門性を有しているのか」と自問することは、欠かせない作業であるように思います。

 われわれ不動産鑑定士は、いま思いつくだけでも、
1 不動産のプロである
2 評価のプロである
3 分析のプロである
4 地域(土地利用、地誌、地形、地域社会)のプロである と言えそうです。

 上記1の側面からは各種コンサルティング、アドバイザリー業務に、2からは企業価値評価等に、3や4からは地域資源活用や観光その他のリサーチ業務・企画立案等に、それぞれ貢献し得る可能性があると言えるでしょう。

 また、ITのプロ、損失補償のプロ、建築のプロといった方々であれば、さらに異なる局面で、持てる知識やスキルを役立てることができるものと思われます。

 われわれ不動産鑑定士ひとりひとりが「私は何の専門家か?」と自問することを端緒に、「生かせる能力は何か」、「その能力を生かせる場面はどこか」、「補完すべき能力は何か」、「どのように補完するか」、といった考察を進め取り組むべき新規ビジネスを具体化していきたいものです。
 (2011.7.24)

鑑定評価書が果たし得る機能とユーザーニーズとのギャップ

 鑑定評価書が、価格を表示するだけの書類とユーザーに認識されている結果、鑑定評価額がユーザーの都合にあうことや、料金が安いことだけに関心が置かれがちであるとの指摘があります。

 鑑定評価書の有する(または果たすべき)機能は何か、それを社会の共通認識とするためにいかに啓蒙活動を展開するかは、いずれも非常に重要な論点ですが、それは別項に譲るとして、ここでは、「鑑定評価の依頼者は、適正な価格を表示する『お墨付き』として以外に、鑑定評価書をどのように活用しうるのか?」という点について考えてみたいと思います。

 先日、ある企業から、メイン金融機関を通じて次のようなご相談がありました。
 新たな事業拠点設置のために不動産の購入を検討している由(鑑定評価書も入手している)で、ついては、
 ①当該物件にはどのようなリスク要因や懸案事項があるだろうか。
 ②当該物件の利用に当たり、上記の懸案事項はどのように解決すればよいか。
 ③当社の成長戦略に照らし、当該物件をどのように活用するのが妥当か。
について支援を要請されたのです。

 上記相談事項のインプリケーションとしては、次のようなことが挙げられます。

 まず第一に、鑑定評価書に当該物件のリスク要因や懸案事項が記載されているとしても、それを一般のユーザーが読み取るのは至難の業だということ(本件でも相談者は対象物件の極めて重要な特性について理解しておられませんでした)。

 第二に、通常は鑑定評価書は、対象物件に係る懸案事項をどのように解決すればよいかまでには言及していないこと。

 第三に、鑑定評価書は、想定される一般的需要者を念頭に記述されているため、特定の主体の経営政策に照らしてどのような利用が最有効かを示唆するものではないこと(ここでは不動産鑑定士が、経営政策を把握し、それとの整合を図りうるための知見を有するかどうかはひとまず置くこととします)。

 上記のような鑑定評価書が果たし得る機能とユーザーニーズとのギャップに着目することは、
 ①かかるギャップを埋めるべく鑑定評価書の機能的充実を図り付加価値を高める、②鑑定評価書の二次的需要としてコンサルティングレポートの売り込みを図るなど、不動産鑑定評価書の重要性のアピールや不動産鑑定士の職域拡大につながる取り組みの端緒になるのではないかと考えています。
 (2011.6.19)

隣接周辺業務は不動産鑑定士の数だけあるのかもしれない

 私は、おおむね不動産鑑定7割、中小企業支援(鑑定との業際分野を含む)3割程度の業務構成で仕事をしています。


 「切り替えが大変じゃない?」と気遣ってくれる人もいますが、むしろ不動産鑑定を中小企業診断士の視点で見たり、中小企業支援を不動産鑑定士の視点で捉えなおしたりすることを大切にしています。

 ニーズの複雑化・高度化・多様化が、問題解決のあり方自体を変化させ、従前の「業の枠組み」では十分にニーズに応えることができなくなりつつある中、わたくしども専門職業家に求められているのは、従前の「業際=業の枠組み」にとらわれず、その垣根を越えてさまざまな知見を融合し、ニーズに即応した支援を提供することであると考えます。

 そのためには、個々の不動産鑑定士が自らの知識・経験を総括し、他者にはない強み=売り物を涵養し、それを社会の中でどのように発揮しうるか(どのような人たちにどのような局面で役に立てるのか)考えていくことが重要と考えます。
 もしかしたら、隣接周辺業務は、不動産鑑定士の数だけあるのかもしれないとすら思うのです。
 (2011.6.7)

アウトライン整理はあとの話

 隣接周辺業務開発にあたっては「本会がビジネスモデルを示し、それに必要なスキルを会員に教授すべき」「本会が成果品のアウトラインを示すべき」といったような声が各方面から聞かれます。

 隣接周辺業務に限らず、何につけ「枠を示せ」という声が上がるのがこの業界ですが、隣接周辺業務のフレームワークひいてはその反映としての成果品の形式・内容は、ニーズに即して決められるべきものです。
 「枠が予め組まれていればやりやすい」というのは売り手(不動産鑑定士)の都合であって、需要者には関わりのないことです。彼らにとって、本会のガイドラインに準拠しているかどうかは重要ではなく、自分の役に立つかどうかが決定的に重要であろうことは疑いありません。

 世の中には、コンサルタントと称する専門職業家が手掛ける調査研究成果物が数多くありますが、決まりきった形式を持つものはむしろ少ないように思われます。
 それはなぜかといえば、分析の視点や手法その他多くの要素が依頼内容に即して決めざるを得ないからです。
 中小企業診断士の世界でも、成果物の品質の差が大きいことが問題視されることはあります。しかし、コンサルタントの能力向上が課題と言われることはあっても、わたしの知る限り「成果品のアウトラインを統一せよ」という話にはなっていません。「角を矯めて牛を殺す」結果になることが明らかであるからでしょう。未だ十分に成熟していないビジネスを型にはめようとするのは、極めて非現実的なやり方だと言わざるを得ません。

 アウトラインの整理が必要になるのは、サービスが需要者に認知されマーケットが成立してからのことでしょう。
 そして、それは飽くまで需要者の利益保護と市場の健全な発展のために行われるべきことであるということは銘記しておくべきと思われます。

 いま、われわれに必要なのは、枠を求めることではなく、ニーズに即して柔軟にアプローチを案出する能力を磨くことなのではないでしょうか。
 (2011.5.29)

不動産鑑定評価も「周辺隣接業務」だった

 不動産鑑定評価というサービスは、「不動産の鑑定評価に関する法律」(昭和38年)の施行前から日本勧業銀行などの一部金融機関で行われていました。
 マーケットのニーズから生まれた不動産鑑定評価というサービスは、同法によって整備・認知されたことで、その後広く普及することになりました。

 ここで注意すべきは、不動産鑑定評価も当初は銀行業務の「周辺隣接業務」に過ぎなかったということです。
 「不動産の鑑定評価に関する法律」以前から不動産鑑定評価に携わっていた人たちは、いわば業界のイノベーターであって、彼らがニーズに即応して考案した成果物が鑑定評価書の原型となったわけです。

 ひるがえって今日の不動産鑑定業界を見るとき、「周辺隣接業務」が生まれるような基礎的環境があるといえるでしょうか。「価格等調査ガイドライン」は周辺隣接業務の萌芽を妨げてはいないでしょうか。この点、「調査報告書で対応する途は残した」というものの、利用者の利益保護という趣旨からは、より制限的でない規制手段もあり得たように思われます。

 不動産鑑定評価まずありきの発想で鑑定業者の自由な活動を阻むことは、「周辺隣接業務」の芽を摘むこととなり、それは同時に不動産鑑定評価の需要の端緒を狭めることになると思われてなりません。
 (2011.5.25)

不動産鑑定士ブログの第一人者といえば

 不動産鑑定士ブログといえば、田原都市鑑定株式会社の田原拓治先生が当代の第一人者であることに異論はないでしょう。
 私も以前から、アカデミックかつ実務の薫り高い先生の「鑑定コラム」の愛読者です。


 私が最も好きなのは、新聞記事などを基に先生がフェルミ推定を駆使されるコラム。一例を挙げれば、工場の売買価格と売上高との関数関係を捉えようとされたものがありました。このような発想は、中小企業診断士が新製品の需要を予測したり、ある産業セグメントの市場規模を推定したりするときのアプローチに通じるものがあります。

 もし万一、「不動産鑑定というものは、誰か(たとえば鑑定協会)が作った評価パターンをなぞって行うものだ」と思っている不動産鑑定士がおられるならば、ぜひ一度田原先生のコラムをじっくりご覧になることをお勧めします。
 鑑定評価がイマジネーションの産物であることや、特殊案件へのアプローチは舌なめずりしながら考えるべきものだということが感じ取れるものと確信します。

 隣接周辺業務も、われわれの知見を駆使し、舌なめずりしながら育てていきたいものです。
 なお、田原拓治先生のご快諾を賜り、以下に「鑑定コラム」へのリンクを設定しました。
(2011.5.23)
田原拓治先生の鑑定コラムへ

隣接周辺業務開発の端緒

 隣接周辺業務開発は、あくまで「われわれ不動産鑑定士のどのような保有能力を誰のためにどのように役立てることができるか」という問いかけを端緒とすべきであると思います。


 「消防法を改正すれば報知機の需要が増えるはずだ」「ケアマネージャーの資格をとったら商売に有利なはずだ」といった「売り手中心」の発想は、どのような業界にもしばしば見られることですが、今日のような買い手優位の時代、「買い手の立場」を考慮しないことは、ビジネスチャンスを見出すことを著しく困難にするからです。

 先日、接遇マナー講師の方から、このようなお話を聞きました。
 彼女は、スーパーなどにイベント販売などの臨時店舗を出している人の業務終了後の後片付けの様子をよく観察するそうです。お店をお客様が買い物を楽しむ場所だと捉えていれば、自ずとお客様に配慮した後片付けになる。しかし、お店を自分が商品を売りさばく場所だと認識していれば、自分の商売が終わったと同時に、お客様は眼中になくなる…それが後片付けの様子に現れるというのです。

 われわれ不動産鑑定士にとって、お客様(依頼者)は「お金を払ってくれる人」でしょうか。それとも「何らかの利益をもたらすべき相手」でしょうか。
 これまでの隣接周辺業務開発の議論は、「お客様にどのような利益をもたらすか」、その前提としての「お客様はどのようなことに困っていたり、不満だったりするのか」という視点が欠けていたように思われてなりません。需要機会を考えるにあたって、ユーザーの声を聞こうというアプローチをまったく欠いているのは、そのせいであるようにも思われます。
 
 情報技術の飛躍的な進歩により、グループインタビューなどフェイスブック上でもできてしまう時代になりました。
 新業務開発=新しい便益の提供をほんとうに志向するなら、顧客が従前の鑑定評価の枠組みに何が余分で何が足りないと感じているのか、不動産に関してどんな助言や支援がほしいと考えているのか、それを引き出す努力が必要なのではないでしょうか。
 (2011.5.22)

「鑑定評価」が解決できることは何か~隣接周辺業務開発の着眼点

 公共事業の縮小に伴い、不動産鑑定業界では、隣接周辺業務への関心が高まっていますが、現時点では需要者の視点に立った考察はあまり見られないように思います。

 不動産鑑定事務所のウェブサイトには、たいてい次のような宣伝文句が掲げられています。
「不動産活用のさまざまな課題を、不動産鑑定士の「鑑定評価」が解決に導きます!」

 でも、それは本当でしょうか?
 さまざまな課題に即応するアウトプットは、「鑑定評価」でしょうか?
 換言すれば「鑑定評価」を取得すれば、課題は解決できるのでしょうか?何が足りず、何が余分なのでしょうか?
 この点に、隣接周辺業務を育てる大きなヒントがあるように思われます。
 (2011.5.21)