2013年10月25日金曜日

士業とネット販促

 不動産鑑定士である私のところには、ネットに関わる販促プロモーションについてさまざまな勧誘があります。

「リスティング広告が効果的ですよ!」「士業の専門サイトに登録しませんか?」

 そうしたアプローチは、100%電話です(時間が勿体ないので丁重にお断りしています)。

 でも、ここで疑問が生じませんか?

 リスティング広告がそんなに効果的なら、なぜ彼らは最初のアプローチにリスティング広告をまず用いようとしないのでしょうか。

「不動産鑑定士の人たちはネットに疎いので、リスティング広告にはなじまない」
「この手のアプローチ手段としては、費用対効果が薄い」
「込み入った話なので、サイトでは十分魅力が伝わらない」とでも言うのでしょうか。

 ならば、なぜ不動産鑑定評価の需要者が、ネットに強く、リスティング広告に適し、費用対効果も十分見込めて、魅力をきちんと伝えられると判断したのでしょうか

 そもそも、不動産鑑定評価の需要者属性や発注意思決定過程をどのように捉えてのご提案なのでしょうか
 B to Bでは(とりわけ専門サービス利用シーンでは)サービスや商品をウェブで探す、というのは極めて例外的な顧客行動です。依頼内容が一義的に定まっており、誰に頼んでも同じようなクオリティが期待できるようなケース等に限られるのではないでしょうか。

 じつは、この手の「ナントカ・マーケティング」「カッコ書きマーケティング」(注1)は、不思議なほどに世の中に氾濫しています。成功例を因果関係の見きわめもなしに喧伝したり、需要者の購買行動のあり方について無頓着だったり。彼らが言っていることがどこかおかしいことぐらいは、マーケティングの専門家でない私でもわかります。

 マーケティング・セミナーに行くことは無駄とは言いませんが、質疑応答の際に積極的に講師に質問するとか、後日メールでお尋ねするとか、生じた疑問やわからない点を解消できるよう努めることは必須です。質問のコツは、自分に即して尋ねること。その講師がニセモノでなければ、逃げを打つような回答はしないはずです(注2)(注3)。


(注1)本来のマーケティングとは次元を異にするものだ、という認識から、個人的にこう読んでいます。

(注2)逃げを打つような回答とは、特定のケースを前提とした質問に対し、一般論で答えるような回答を言います。
 たとえば、本稿について、「B to Bの専門サービスでもネット販促が非常に有効なケースはある」と反論するようなこと。
 私は不動産鑑定業について話しているわけで、そうした一般論に関心はありません。このサービスはこのような特性があるので、需要者はこのように行動する。だからネットでどう誘導し、こういう点を訴求すると極めて有効だ、というようなお話なら、興味があります。
 ところで、不動産鑑定業でもB to Cのネット販促モデルは考えられます。たとえば、個人の破産同時廃止の場合の免責申立てに必要な財産価額の評定。当事者が誰かに相談がしにくい(しかも若年層が比較的多い)ため、ネットでの告知は彼らの便宜に資するものだと考えられます。当事者が不動産鑑定士に電話でこの件を相談するのは、大変勇気のいることだと思われますから。

(注3)問題の根本には「まず手段から考える」姿勢があります。手段の有効性の説明の多くは後付け。「ある属性の人々は、こういう行動特性を持っているから、この人たちにアクセスするには、この手段がいいな」と順序立てて検討すべきです。「ネット上では」などと無用な限定をせずに。


<後記>
 対価が数十万円にも及び、しかも具体的に何を依頼すればいいのかわからない案件を、たまたまクリックしたサイトで見た業者に発注するでしょうか?
 もっとも合理的に想定しうるのは「誰か信頼できる第三者に(誰に頼めばいいか)助言を求める」という需要者行動です。この場合の第三者は、顧問税理士や顧問弁護士だったり、先輩経営者だったり、取引金融機関だったりするでしょう。そうした助言者を持たない人や、助言を求められない事情がある人、遠隔地にいて地元の事情に疎い人などがネット検索を端緒にアクセスして来られるケースが多いと認識しています。
 かかるケースであっても、まずは県士協会に問い合わせたり、県士協会のサイトで業者の顔ぶれを確認したのちに、特定の業者のサイトに来訪するのが通常だと思います。






2013年10月21日月曜日

吉田戦車氏が語るやなせたかし氏「現役に対する飢え」

 漫画家・吉田戦車さんは、私とほぼ同世代で、私が社会に出た頃ちょうど『ビッグコミックスピリッツ』誌に『伝染るんです。』を連載開始したと記憶しています。

 独身寮で同期の仲間から、これ読んで見てよ、と渡された『伝染るんです。』は、私にとって浅いのか深いのか分からない、衝撃の問題作でした。

 その吉田戦車さんのツイートがさきごろ話題になりました。

 発端は、やなせたかし氏のインタビューで「無償の仕事の依頼は実に多い。僕はすごく軽く見られてるんだよ。」という述懐を目にした吉田さんが義憤に駆られて次のツイートをしたことです。

@yojizen: やなせたかしさんの対談いくつかを読むにつけ、あの人の「タダ働き」に甘えてきた多くの自治体とか組織は恥じろ、と思いますね。(ボランティアが適切である場合は、もちろん除いて)

 これが、吉田戦車の激烈批判!のような取り上げ方をされたわけですが、ご覧の通り、やなせたかし氏に対する深いリスペクトから出でたごく冷静な批判文に過ぎません。

@yojizen: タダでもキャラ描くよ、っていうのは、高齢になってしんどいとおっしゃりながらなお「現役に対する飢え」があったからだと思われ、ものすごいことだと思いますが、そこに甘えて描かせたほうの気軽さはちょっといやだ。

 この指摘は、やなせ氏が『なぜ軽く見られつつも多くの無償の仕事を手掛けてきたか』の理由を見事に言い当てているのではないでしょうか。「仕事の報酬は仕事だ」などとカッコいいことを言わぬまでも、「この俺が最適任だろう」と思える仕事は、報酬如何によらず、何としても手掛けたいと思うのがプロだと思います。とりわけ過去に、力を発揮する機会に恵まれない時期を経験したことのあるプロは、仕事にたいして何か飢餓感めいたものを秘めているものだという気もします。
 でも、それを逆手に取るのは如何なものか、という点も同感。

 かかる鋭い指摘をしつつも、吉田さんは次の言葉で一連のツイートを締めくくられました。

@yojizen: 『ほぼ日』対談記事の「原稿料なしで…」「すごく軽く見られてるんだよ」というやなせ氏のお言葉にカッとなってしまい、タダ働きさせた連中恥じろ、というきつい言葉が出てしまったわけですが、その人たちも今悲しんでいるということまで頭が回らなかった。申し訳ありませんでした。

 吉田戦車さんって、思いやりのある方ですね。今般の注目の浴び方は、吉田さんご自身にとってはやや不本意だったかもしれませんが、全体を通して見ると「吉田戦車が男を上げた」出来事と評価していいように思われます。




2013年10月18日金曜日

「二の次」にすべきはどこか?

 国策という言葉を辞書で引くと、「国の政策。特に、一般の政策に対して、国家の基本的方針の意で用いられる。」とありました。

 この言葉が軍人官僚たちにしばしば用いられた昭和初期には「軍事行動を中核とする国の重要政策」のことを指すのが一般的であったようです。

 専門用語が一般名詞に転用される過程で、意味の変化が起こることはよく見られる現象です。
 でもそれには、まるでケモノであるイノシシが家畜としてのブタに変化するようなおもむきがあることも否めません。その変化は進化とも呼べる一方で、大切な要素の欠落であるようにも思われるのです。

 「戦略」という軍事用語にも、それに似た響きを感じます。経営実務の領域では、きこえのいい総花的な施策群を戦略と呼んだり、売り上げ・コスト等各方面にもれなく目配りした施策を戦略と称したりする傾向が強いように思うのです。
 
 乾坤一擲、ある一点にフォーカスした経営政策を「その戦略はバランスがよくない」などとしたり顔で言う人もいますが、戦略というのは、むしろ跛行的なもの、偏ったものではないかという気がします。

 かつて古川公成先生は、『戦略には様々な定義があるけれども、ありていにいうなら「最後の勝利をつかむために、ここでは負けていい」という判断のことだろう』とおっしゃいました。

 つまり「何をやるか」というアプローチより「何をやらないか」「何を捨てるか」というアプローチのほうが、戦略的見地に立ちやすいということではないでしょうか。
 実際のところ、いきなり「どこで勝つか」と発想すると、「その勝利をより確実にするためには、これも必要だ」と、戦略とは名ばかりの戦力分散が行われがちです。

 スティーブ・ジョブスの名言のひとつとされる『方向を間違えたり、やりすぎたりしないようにするには、まず本当は重要でもなんでもない1000のことにノーと言う必要がある』も、これに通底する考え方だと思います。





2013年10月17日木曜日

ネットでよく見る言い間違い

 スマートフォンやiPadでの投稿が増えたせいもあるのか、ネット上では相変わらず言葉の誤用が目につきます。

 投稿文は一度ノートパッドに書いてみて、推敲してから投稿することにしている私ですら、自分の投稿に入力ミスを見つけることはしばしばです。

 とくによく目にするのは、下記に掲げた3つでしょうか。

× 初期の目的
〇 所期の目的

× 肝に命じる
〇 肝に銘じる

× 的を得る
〇 的を射る
〇 当を得る

 私自身も新入社員の頃、研修レポートに「肝に命じる」と書いて、研修指導担当の方に朱書き修正されたことがあります(この表記は間違いやすいので肝に銘じておくように、と添書きがありました…)。

 でも、本文の趣旨は「こんな間違いは恥ずかしいぞ!」ということではありません。ミスは必ずあるのです。
 だからこそ、ビジネス文書や成果物を今一度見直す、自分以外の誰かにチェックしてもらう(目を変えてみる)ということの大切さをあらためて噛みしめてみる必要があるのではないか、と言いたいのです。

 ミスがあったら謝ればいい、誤りを指摘されたら修正すればいいという発想は、つまるところ相手方を軽んじていることに他ならないのではないでしょうか。

2013年10月14日月曜日

若き日の大友宗麟を描いた歴史エンターテイメント~風早恵介『大友宗麟-道を求め続けた男』

 映画化もされた和田竜のベストセラー『のぼうの城』は「歴史エンターテインメント小説」と呼ばれるジャンルを切り開いたと言われています。その特徴は史実性よりもエンターテインメント性を重視する姿勢にあります。

 主人公であるのぼう様こと成田長親のキャラクター。功を焦って周りが見えない石田三成と、長親の器量にいち早く気づく大谷吉継の対比。加えて正木丹波や酒巻靱負ら城方の侍たちの活写ぶり。
 船上で狙撃された長親がニヤリと笑いながら湖中に落ちていくシーンと、それを境に無表情だった領民たちが石田勢への敵意を露わにするようになるコントラストは、本作のハイライトと言っていいと思います。
 
 今回取り上げた、風早恵介『大友宗麟-道を求め続けた男』も、必ずしも史実に拘らず、様々な仕掛けで大友宗麟の生い立ちから二階崩れの変を経て大友家当主となるまでを生き生きと描いた快作です。

 本作を面白くしているのは(まったくの創作と思われますが)、塩法師丸(大友宗麟の幼名)出生の秘密、塩法師丸を守る素性不明の若侍・松永久秀(!)、高崎山を本拠とする細作(忍者)集団の統領(覆面の謎の人物)という三つの仕掛けです(注)

 出生の秘密については、おそらく豊後大友氏の祖である大友能直の頼朝ご落胤説をヒントにしたものと思われます。
 また、松永久秀なる若者がのちに織田信長を悩ませた怪人と同一人物かどうかは本作ではあきらかにされません。
 なお、細作の統領は、じつは本作に登場する重要人物のもうひとつの顔なのですが、宗麟はそれを見抜き、統領は「あなた様こそ御館となるべきお方」と覆面をとって忠誠を誓います。

 蛇足ですが、私はこの種の小説を読むとき、登場人物のキャスティングを勝手にイメージしながら読んでいます。ちなみに本作では、戸次鑑連に平幹二郎、臼杵鑑速に藤岡弘、大友義鑑に高橋秀樹、松永久秀に永澤俊矢といった感じでした。

 どうです?読んでみたくなりませんか?


(注)じつはもうひとり、作中幾度となく怪しい動きを繰り返す人物がいます。この人物の不穏な行動はすべて、終盤の大きな形勢変化の伏線なのですが、これ以上はネタバレとなるので控えておきます。


2013年10月11日金曜日

堺雅人に学ぶ「超断捨離」

 一昨日(10月9日)、俳優の堺雅人さんが、「笑っていいとも」テレフォンショッキングのコーナーに出演、自らの「超断捨離生活」について語っていました。

 何しろ、自宅には遊びに来た友達から「楽屋か!」と驚かれるほど何もない、徹底した断捨離派らしい。スーパーのレジ袋も大小各1枚しかとっておかない由(でも奥様はそうではないそうです)。

 その極意は、彼によればこうです。

 『ペンディング箱』をつくっておき、来たものは何でもそれに放り込んで、箱がいっぱいになったらそのまま捨てる。これだけ。

 もちろん、「公共料金関係の書類」や「年金関係の書類」など大切なものまで捨ててしまい、後悔することも多いそうで、そのままこれに倣うわけにはいきませんが、ペンディング箱というのはいいアイデアですね。

 郵便物はその場で処理しろとか、メールには即対応という人もいますが、それもまた効率が良くないし、事情が許さないケースも少なくなさそうです。でも、後で見ようとどこかに置いたが最後、見つけるのに苦労することもしばしば。

 この点、郵便物やEメールのプリントアウトをペンディング箱に入れておき、週末など時間がとれるときに捨てるもの、ファイルするもの、何らかの対応をとるものに仕分けするのもいいなと思いました。

 箱を使ったファイリングといえば、私は比較的関連資料のかさばる案件(たとえば経営計画策定支援や大型物件の鑑定評価など)についてはダンボール箱にすべての書類をひとまとめにしています。

 これは、精神科医の和田秀樹氏がかつて受験指南本で提唱していたアイデアの応用です。和田氏のアイデアというのは、各受験科目につき一つのダンボール箱を割当て、赤本、ノート、模試の答案、参考書、問題集などを全部ひとまとめにしておくというものです。

 こうすることで、探し物も減るし、例えば英語モードから数学モードへの転換もスムーズというわけです。

 さあ、私もペンディング箱を用意することにしましょう。








2013年10月9日水曜日

大友家にとっての関ヶ原~滝口康彦『悪名の旗』

 田原紹忍(たばる・じょうにん)。義鎮(宗麟)・義統(吉)二代に仕えた大友家の重臣です。

 奈多八幡の大宮司で、大友家の部将でもあった奈多鑑基(なだあきもと)の子として生まれた紹忍は、大友庶流の名家である田原家の養子となり、田原親賢(たばるちかかた)と称しました。その後、彼は田原家の勢力と主君・大友宗麟の義兄宗麟の妻は奈多鑑基の子)という立場を背景に、大友家中の実力者として急速に力をつけ、その絶頂期には、宗麟すら遠慮したほどの威勢を誇ったといわれています。

 耳川の合戦は言うに及ばず、歴史の表舞台で、紹忍ほど大友家没落につながる局面にことごとくネガティブに絡んでくる部将はほかにいません。私自身もこれまで、田原紹忍に大友家の獅子身中の虫のような「悪役」のイメージを抱いてきました。

 しかし、名作『 拝領妻始末』の作者として知られる歴史作家・滝口康彦は、本作で田原紹忍を「大友家再興のために奔走する忠臣」として描いています。

 大友氏改易後、豊後竹田の中川秀成に仕えていた紹忍は、徳川家康と石田三成が覇権を争う中央の不穏な情勢を「大友家再興の好機」と捉え、同じく旧臣である宗像鎮続と謀議を重ねます。しかし、肝心の大友義統がいけない。気弱で決断力がなく、誰が見ても将たる器ではないのです。

 でも、紹忍はこの不肖の甥が可愛くてならない。たしかに将たる器ではないけれど、純粋でやさしく、憎めない義統(この義統の人物描写に、作者の温かい目線が感じられて、大分県民としては嬉しくなります)。結局、宗像鎮続も、勇将吉弘統幸も、義統の愛すべき人柄には抗しえず、勝ち目のない戦に引きずられていくのです。

 大恩ある中川秀成を裏切り、将来ある吉弘統幸を死なせ、悪名に悪名を塗り重ねても、紹忍の願いが天に通じることはついにありませんでした。

 悪名を不本意に思いつつ、それでも自らの信じるところを貫く紹忍に、思った通りにことが運ばないわが身を重ねつつ読んでいる自分に気付いた作品でした。




2013年10月7日月曜日

大人の勉強と子供の勉強

 子供の勉強は、すでにある答えを習うもの。これに対して、大人の勉強は、正解のない問題について自分なりの答えを出す側面が強いように思います。

 学ぶ側にしてみれば、大人の勉強の方がより自由度があります。なにせ明らかな不正解はないわけですから。でも、教え導く立場から見ると、大人の勉強の方が余程大変です。

 大人に勉強を教えるには、各人各様の妥当な結論に行き着くよう導けるだけの力量が求められるからです。

 換言すれば、大人の勉強をも、まるで子供の勉強のように扱うならば、教える側は非常にラクになります(各人に個別の示唆をもたらすのは大変ですが、ダメ出しをするだけなら簡単です)。でも、学び手が本来得るべき「気づき」は限られたものになるでしょう。
 それゆえ、教える側がまず学び手に伝えるべきは「大人としての勉強のあり方」だと思います。

 もとより、誰かを(自分も知らない)正解へと導くというのは、並大抵のことではありません。でも、ここに教え導くという行為の深淵さとやり甲斐があると思うのです。

 ごく狭い自分の知識や経験だけに照らして(あるいは何かの書物などに依拠して)、さもそれが唯一の正解のように振る舞う講師を見ると、『この人は自分の力で自分なりの答えに行き着いたことがないんだろうなあ~』とちょっぴり気の毒になります。