2012年3月30日金曜日

不動産鑑定士が抱く「署名」への格別の思い

 かねてからお世話になっている不動産鑑定士のH先生が先般、所属鑑定機関の社長に就任された。

 そのお祝いとして、ささやかながら某文具店のオリジナル万年筆をお送りした。プロトタイプである大手メーカー品よりも書き味において優ると専らの評判で、私自身かねてから欲しかった一本であった。

 先生ご本人の使用感はまだうかがっていないのだが、「一度万年筆の書き味に慣れたら手放せませんよ。不動産鑑定書に署名するときにも良いかもしれません。」と私が言うと、「でも俺、きっと無くすぜ」とおっしゃる。そこで「普段使い用だから、無くしてもあきらめがつきますよ」と申し上げた。

 私たち不動産鑑定士にとって、「署名」には格別の意義・思いがある。自ら立案した不動産鑑定評価書に署名捺印する一瞬は、改めて「これが俺の意見だと胸を張れるか」と自問するときでもある。「留め、はね、払い」がうまくいかなかったら書き直すくらい普通だ。

 事務担当者による校正後、さらに一読し、署名する。署名した後も、もう一度評価書の内容を吟味する。そこでようやく、事務担当者の製本作業に委ねるのが私の習いになっている。

 このささやかなプレゼントが、先生のそんな「一瞬」の一助になるなら、私にとって多としなければならないだろう。
 (2012.2.26)

保有資産の市場価値下落が気になりますか?

 私の許には、「気になりませんか?愛車の現在価格!」というセールスレターがよく届きます。


 あいにく私は愛車の現在価格などまったく気になりません。何しろ実用15年、走行距離11万km近い私のクルマの現在価格など5万円にも満たないことでしょう(いやむしろ廃車費用が顕在化してもっと安いかも?)。

 そもそも、現に保有している資産の市場価値が気になるのは、どのようなケースでしょうか。

 ①利用していないとき。または有効利用度が非常に低いとき。
→クルマでいえば、半年に一度ドライブに行くだけ、というようなケース。年2回レンタカーを調達する代替案と比較考量すべきでしょう。

 ②より市場価格の低い代替資産で、同等の効用が得られるとき。
→クルマでいえば、通勤用にポルシェを使用しているようなケース。ステイタス性などを考慮外とすれば、コンパクトカーのほうが適当かもしれません。

 ③運用コストが有意に低い代替資産がある場合。
  →クルマでいえば、ハイブリッドカーとの買い替えを検討する場面に相当します。

 以上を要するに、現用中の資産を保有し続けると損になるおそれがあるとき、といえそうです。

 「なんでも鑑定団」で中島誠之助さんが『器は使ってこそ価値が出る』とおっしゃっていました。
 企業用不動産(CRE)も事情は同じ。使ってこそ、それも経営の本旨に沿った利用をしてこそ価値が生まれます。不動産が持つインフレ耐性の強さは否定しませんが、遊休物件の継続保有が許容されるのは、将来本業に活用する予定があるものなど、限られたケースと言えそうです。

 但し、上記のクルマの例と同様、現に利用中の不動産といえども有利な代替資産との比較は欠かせません。他方、事業に不可欠な資産として稼働しており、かつそれが事業継続が可能なだけのキャッシュフローを生む見込みがあるならば、不動産市況の悪化など、関心を持つ必要はないでしょう。
 (2012.1.9)

「お墨付き」の真価を問われる「お墨付き産業」

 不動産鑑定業は「ソリューション産業」であると同時に「権威産業」「お墨付き産業」の側面を有しています。
 鑑定評価書というお墨付きによって、価格の正当性を示し、もって当事者を合意に導いたり、トラブルを未然に防止したりといったソリューションを提供する産業、という言い方もできるでしょう。

 いわゆる「かんぽの宿」問題は、かかる不動産鑑定業の本質に関わるような重要な問題を提起しています。

 『国土交通省は26日、旧日本郵政公社が依頼した宿泊・保養施設「かんぽの宿」の一括売却に絡む不動産鑑定で不当な評価をしたとして、不動産鑑定士4人を業務禁止や戒告の懲戒処分、不動産鑑定業者1社を戒告の監督処分にしたと発表した。また13人を文書注意、1社を口頭注意の行政指導とした。国交省によると、鑑定士らは平成19年8月末にかんぽの宿の評価書を公社に提出。事前に公社に示した原案から大幅に価格を引き下げた理由に合理性がない上、実地調査していない物件や、つじつまの合わない記載があり、不当な鑑定評価と判断した。鑑定士が原案を示した際、公社側は「早期に売却したい。今の市場で売れるのか再検討してほしい」と伝えたという。』(2011.8.26産経ニュース)

 本件では、依頼者側から「低めに評価してほしい」という要請、いわゆる『依頼者プレッシャー』があったことが非常に大きく採り上げられています。
 しかしながら、何らかのソリューションを目的に鑑定評価を依頼している依頼者が、「なるべく安ければ(高ければ)いいな」という期待を持つのはむしろ当然です。依頼者プレッシャー、とひとことに言いますが、相当に執拗かつ悪質な強要があった場合はともかく、プレッシャーが不当鑑定の理由になるのならば、「鑑定評価額は不動産鑑定士の主体的意見である」という前提そのものが覆ってしまいます。

 依頼者の意向に盲目的に従っておいて、「お墨付き」としての真価が問われたときに合理的な説明資料とはならず、「依頼者プレッシャーの結果です」となったのでは、何のための鑑定評価かわかりません。

 「もう少しコストダウンできない?」というクライアントの真意は、「粗悪品を作れ」ということでは決してないでしょう。不動産鑑定士は、依頼者に寄り添い、適切なソリューションを目指しつつも、合理的な価格のありどころを依頼者にこそ示せなければならないと思います。
 本件が「不動産鑑定業の重大な危機」を示していることは間違いありませんが、「ソリューション産業」としての不動産鑑定業は、遅まきながら「お墨付き」の中身をも問われ始めたことで、一層成熟する機会を得たのかもしれない、とも思うのです。
 (2011.9.23)

「新規性」の要件に目を奪われるな

 経営革新計画をはじめとする中小企業の経営計画支援諸制度は、企業が自ら事業を見つめなおし、次の一歩を計画的に踏み出すための意義ある制度であると評価しています。

 しかしながら、「計画承認を得ることが自己目的化」すれば、むしろ当該企業の事業劣化を引き起こしかねない危うさも孕んでいます。端的に言うなら、「企業が計画の実行組織たりうるためにまず手を打つべきことは、計画策定以前にあるのではないか」ということです。

 実行組織の脆弱なまま進められる経営革新計画は、クルマにたとえれば、軽四のシャシーにBMWのストレート6を積むようなもの。ストレート6の能力が発揮されないばかりか、軽四本来の良さすら失わせてしまいます。

 計画支援にあたる専門家である私どもは、「新規性」の要件のみに目を奪われることなく、企業の現状や保有能力に十分配慮しつつ支援を提供したいものです。
 (2011.8.25)

金づちしか持たないものには釘しか見えない

 ネット販売などで目にすることも多くなった無農薬リンゴ。先日も、青森県弘前で無農薬リンゴの栽培を20年続けているという生産者の木村秋則氏がテレビに出演されていました。

 この無農薬リンゴを目にするたびに思い出すことがあります。


 もう20年近くも前、まだインターネットは一般的でなかったパソコン通信全盛の時代ですが、ニフティサーブに農業について語るコーナーがありました。そのコーナーでは生産者と消費者の意見交換などが行われていたのですが、あるときユーザーからリンゴ栽培について質問が寄せられました。内容は概略、『果樹栽培を手がけてみたいのだが、これまでリンゴの無農薬栽培など身近に聞いたことがない。どなたか無農薬リンゴの栽培を手掛けておられる方がいたらご教示いただきたい』というようなものであったと記憶しています。

 回答はすぐに寄せられました。『専門家なら常識のように誰でも知っていることですが、リンゴはきわめて病気に弱いので無農薬栽培などありえないのです』。まるで『だから素人は困る』と言わんばかりのものでした。このやりとりは、『ありがとうございます。やはり無理なのですね。』と終わるはずでしたが、ここでは終わりませんでした。『私は無農薬リンゴの栽培をもう何年もやっている。具体的には…』という別の回答が寄せられたからです。この後のやりとりについては記憶があいまいですが、『無農薬栽培などありえない』と言った先の回答者の発言はもうなかったのではないかと思います。

 私は「金づちしか持たないものには釘しか見えない」「人間は自分は偉いと思ったとたんにバカになる」という言葉が好きです。前者は、経験や知識が不足していると視野が狭まり問題解決策を見出しにくくなること、後者は、虚心坦懐に考えたり他人から学ぶ謙虚さを失うと判断を誤ることを戒めた警句だと理解しています。

 巷間『○○の専門家』を自認する人々の中には、素人の意見を即座に全否定する人もいるし、素人にも「専門家がこう言っていた」とその無謬性を疑わない人もいますが、このような人を見るたび、前掲の警句を思い出して自らへの戒めとしています。
 中小企業診断士などの専門家による支援に、最も求められていることも、「金づち以外の道具」=「その業界には従前なかった知見」でもって「真の課題や改善テーマに対する洞察」を示すことなのではないのか、と。
 (2011.8.20)

ネット上でのマナー違反がもたらす「負のパーソナル・ブランディング」

 ウェブサイトの開設・運営の支援にあたるウェブデザイナーやITスペシャリストなどの専門家は、サイトのコンテンツ作成やコーディングのみならず、率先垂範でクライアントにネット上での真っ当な振舞い方を示すべき立場にあると言えます。


 ところが、現実にはこれら専門家の中に、マナー違反というか常識的でない振る舞いをする人が少なからずいるように思われます。

 面識のない相手に何らメッセージを添えることなくFacebookの友達申請をしたら、相手はどう思うのか(不躾だと思うでしょうし、困惑するでしょう)。
 Facebookページに「いいね!を押してください」と要請され、そのページを訪れたとき、基本データすら入力されていない“のっぺらぼう”の状態だったら、相手はどう感じるのか(何に「いいね!」と思えばいいのでしょう?決してページ開設者にいい印象は持たないでしょう)。

 このようなことは、決して「知っておくべき」事柄ではありません。「感じるべき」事柄です。相手の立場に身を置いたとき、何の抵抗もなく許容できることか?と自問して、感じ取るべきことでしょう。

 最近、Facebook活用の意義として「パーソナル・ブランディング」を挙げる向きもありますが、不見識な振る舞いは逆に、パーソナル・ブランドを傷つけてしまいかねません。増してやクライアントが、指導的立場にある専門家からかかる所作を「学んだ」結果、評判を落とすことになったら、一体何の支援をしたのやらわかりません。

 「顧客目線」や「ユーザー志向」は、ウェブサイト戦略やコンテンツ制作の場面のみならず、中小企業者のサイト運営ひいてはサイバースペースにおける活動全般にわたって不可欠な基本的視点なのです。
 (2011.8.9)

不動産鑑定士は何のプロか

 隣接周辺業務に一歩踏み出すにあたって、「われわれは(私は)どのような専門性を有しているのか」と自問することは、欠かせない作業であるように思います。

 われわれ不動産鑑定士は、いま思いつくだけでも、
1 不動産のプロである
2 評価のプロである
3 分析のプロである
4 地域(土地利用、地誌、地形、地域社会)のプロである と言えそうです。

 上記1の側面からは各種コンサルティング、アドバイザリー業務に、2からは企業価値評価等に、3や4からは地域資源活用や観光その他のリサーチ業務・企画立案等に、それぞれ貢献し得る可能性があると言えるでしょう。

 また、ITのプロ、損失補償のプロ、建築のプロといった方々であれば、さらに異なる局面で、持てる知識やスキルを役立てることができるものと思われます。

 われわれ不動産鑑定士ひとりひとりが「私は何の専門家か?」と自問することを端緒に、「生かせる能力は何か」、「その能力を生かせる場面はどこか」、「補完すべき能力は何か」、「どのように補完するか」、といった考察を進め取り組むべき新規ビジネスを具体化していきたいものです。
 (2011.7.24)

鑑定評価書が果たし得る機能とユーザーニーズとのギャップ

 鑑定評価書が、価格を表示するだけの書類とユーザーに認識されている結果、鑑定評価額がユーザーの都合にあうことや、料金が安いことだけに関心が置かれがちであるとの指摘があります。

 鑑定評価書の有する(または果たすべき)機能は何か、それを社会の共通認識とするためにいかに啓蒙活動を展開するかは、いずれも非常に重要な論点ですが、それは別項に譲るとして、ここでは、「鑑定評価の依頼者は、適正な価格を表示する『お墨付き』として以外に、鑑定評価書をどのように活用しうるのか?」という点について考えてみたいと思います。

 先日、ある企業から、メイン金融機関を通じて次のようなご相談がありました。
 新たな事業拠点設置のために不動産の購入を検討している由(鑑定評価書も入手している)で、ついては、
 ①当該物件にはどのようなリスク要因や懸案事項があるだろうか。
 ②当該物件の利用に当たり、上記の懸案事項はどのように解決すればよいか。
 ③当社の成長戦略に照らし、当該物件をどのように活用するのが妥当か。
について支援を要請されたのです。

 上記相談事項のインプリケーションとしては、次のようなことが挙げられます。

 まず第一に、鑑定評価書に当該物件のリスク要因や懸案事項が記載されているとしても、それを一般のユーザーが読み取るのは至難の業だということ(本件でも相談者は対象物件の極めて重要な特性について理解しておられませんでした)。

 第二に、通常は鑑定評価書は、対象物件に係る懸案事項をどのように解決すればよいかまでには言及していないこと。

 第三に、鑑定評価書は、想定される一般的需要者を念頭に記述されているため、特定の主体の経営政策に照らしてどのような利用が最有効かを示唆するものではないこと(ここでは不動産鑑定士が、経営政策を把握し、それとの整合を図りうるための知見を有するかどうかはひとまず置くこととします)。

 上記のような鑑定評価書が果たし得る機能とユーザーニーズとのギャップに着目することは、
 ①かかるギャップを埋めるべく鑑定評価書の機能的充実を図り付加価値を高める、②鑑定評価書の二次的需要としてコンサルティングレポートの売り込みを図るなど、不動産鑑定評価書の重要性のアピールや不動産鑑定士の職域拡大につながる取り組みの端緒になるのではないかと考えています。
 (2011.6.19)

隣接周辺業務は不動産鑑定士の数だけあるのかもしれない

 私は、おおむね不動産鑑定7割、中小企業支援(鑑定との業際分野を含む)3割程度の業務構成で仕事をしています。


 「切り替えが大変じゃない?」と気遣ってくれる人もいますが、むしろ不動産鑑定を中小企業診断士の視点で見たり、中小企業支援を不動産鑑定士の視点で捉えなおしたりすることを大切にしています。

 ニーズの複雑化・高度化・多様化が、問題解決のあり方自体を変化させ、従前の「業の枠組み」では十分にニーズに応えることができなくなりつつある中、わたくしども専門職業家に求められているのは、従前の「業際=業の枠組み」にとらわれず、その垣根を越えてさまざまな知見を融合し、ニーズに即応した支援を提供することであると考えます。

 そのためには、個々の不動産鑑定士が自らの知識・経験を総括し、他者にはない強み=売り物を涵養し、それを社会の中でどのように発揮しうるか(どのような人たちにどのような局面で役に立てるのか)考えていくことが重要と考えます。
 もしかしたら、隣接周辺業務は、不動産鑑定士の数だけあるのかもしれないとすら思うのです。
 (2011.6.7)

アウトライン整理はあとの話

 隣接周辺業務開発にあたっては「本会がビジネスモデルを示し、それに必要なスキルを会員に教授すべき」「本会が成果品のアウトラインを示すべき」といったような声が各方面から聞かれます。

 隣接周辺業務に限らず、何につけ「枠を示せ」という声が上がるのがこの業界ですが、隣接周辺業務のフレームワークひいてはその反映としての成果品の形式・内容は、ニーズに即して決められるべきものです。
 「枠が予め組まれていればやりやすい」というのは売り手(不動産鑑定士)の都合であって、需要者には関わりのないことです。彼らにとって、本会のガイドラインに準拠しているかどうかは重要ではなく、自分の役に立つかどうかが決定的に重要であろうことは疑いありません。

 世の中には、コンサルタントと称する専門職業家が手掛ける調査研究成果物が数多くありますが、決まりきった形式を持つものはむしろ少ないように思われます。
 それはなぜかといえば、分析の視点や手法その他多くの要素が依頼内容に即して決めざるを得ないからです。
 中小企業診断士の世界でも、成果物の品質の差が大きいことが問題視されることはあります。しかし、コンサルタントの能力向上が課題と言われることはあっても、わたしの知る限り「成果品のアウトラインを統一せよ」という話にはなっていません。「角を矯めて牛を殺す」結果になることが明らかであるからでしょう。未だ十分に成熟していないビジネスを型にはめようとするのは、極めて非現実的なやり方だと言わざるを得ません。

 アウトラインの整理が必要になるのは、サービスが需要者に認知されマーケットが成立してからのことでしょう。
 そして、それは飽くまで需要者の利益保護と市場の健全な発展のために行われるべきことであるということは銘記しておくべきと思われます。

 いま、われわれに必要なのは、枠を求めることではなく、ニーズに即して柔軟にアプローチを案出する能力を磨くことなのではないでしょうか。
 (2011.5.29)

不動産鑑定評価も「周辺隣接業務」だった

 不動産鑑定評価というサービスは、「不動産の鑑定評価に関する法律」(昭和38年)の施行前から日本勧業銀行などの一部金融機関で行われていました。
 マーケットのニーズから生まれた不動産鑑定評価というサービスは、同法によって整備・認知されたことで、その後広く普及することになりました。

 ここで注意すべきは、不動産鑑定評価も当初は銀行業務の「周辺隣接業務」に過ぎなかったということです。
 「不動産の鑑定評価に関する法律」以前から不動産鑑定評価に携わっていた人たちは、いわば業界のイノベーターであって、彼らがニーズに即応して考案した成果物が鑑定評価書の原型となったわけです。

 ひるがえって今日の不動産鑑定業界を見るとき、「周辺隣接業務」が生まれるような基礎的環境があるといえるでしょうか。「価格等調査ガイドライン」は周辺隣接業務の萌芽を妨げてはいないでしょうか。この点、「調査報告書で対応する途は残した」というものの、利用者の利益保護という趣旨からは、より制限的でない規制手段もあり得たように思われます。

 不動産鑑定評価まずありきの発想で鑑定業者の自由な活動を阻むことは、「周辺隣接業務」の芽を摘むこととなり、それは同時に不動産鑑定評価の需要の端緒を狭めることになると思われてなりません。
 (2011.5.25)

不動産鑑定士ブログの第一人者といえば

 不動産鑑定士ブログといえば、田原都市鑑定株式会社の田原拓治先生が当代の第一人者であることに異論はないでしょう。
 私も以前から、アカデミックかつ実務の薫り高い先生の「鑑定コラム」の愛読者です。


 私が最も好きなのは、新聞記事などを基に先生がフェルミ推定を駆使されるコラム。一例を挙げれば、工場の売買価格と売上高との関数関係を捉えようとされたものがありました。このような発想は、中小企業診断士が新製品の需要を予測したり、ある産業セグメントの市場規模を推定したりするときのアプローチに通じるものがあります。

 もし万一、「不動産鑑定というものは、誰か(たとえば鑑定協会)が作った評価パターンをなぞって行うものだ」と思っている不動産鑑定士がおられるならば、ぜひ一度田原先生のコラムをじっくりご覧になることをお勧めします。
 鑑定評価がイマジネーションの産物であることや、特殊案件へのアプローチは舌なめずりしながら考えるべきものだということが感じ取れるものと確信します。

 隣接周辺業務も、われわれの知見を駆使し、舌なめずりしながら育てていきたいものです。
 なお、田原拓治先生のご快諾を賜り、以下に「鑑定コラム」へのリンクを設定しました。
(2011.5.23)
田原拓治先生の鑑定コラムへ

隣接周辺業務開発の端緒

 隣接周辺業務開発は、あくまで「われわれ不動産鑑定士のどのような保有能力を誰のためにどのように役立てることができるか」という問いかけを端緒とすべきであると思います。


 「消防法を改正すれば報知機の需要が増えるはずだ」「ケアマネージャーの資格をとったら商売に有利なはずだ」といった「売り手中心」の発想は、どのような業界にもしばしば見られることですが、今日のような買い手優位の時代、「買い手の立場」を考慮しないことは、ビジネスチャンスを見出すことを著しく困難にするからです。

 先日、接遇マナー講師の方から、このようなお話を聞きました。
 彼女は、スーパーなどにイベント販売などの臨時店舗を出している人の業務終了後の後片付けの様子をよく観察するそうです。お店をお客様が買い物を楽しむ場所だと捉えていれば、自ずとお客様に配慮した後片付けになる。しかし、お店を自分が商品を売りさばく場所だと認識していれば、自分の商売が終わったと同時に、お客様は眼中になくなる…それが後片付けの様子に現れるというのです。

 われわれ不動産鑑定士にとって、お客様(依頼者)は「お金を払ってくれる人」でしょうか。それとも「何らかの利益をもたらすべき相手」でしょうか。
 これまでの隣接周辺業務開発の議論は、「お客様にどのような利益をもたらすか」、その前提としての「お客様はどのようなことに困っていたり、不満だったりするのか」という視点が欠けていたように思われてなりません。需要機会を考えるにあたって、ユーザーの声を聞こうというアプローチをまったく欠いているのは、そのせいであるようにも思われます。
 
 情報技術の飛躍的な進歩により、グループインタビューなどフェイスブック上でもできてしまう時代になりました。
 新業務開発=新しい便益の提供をほんとうに志向するなら、顧客が従前の鑑定評価の枠組みに何が余分で何が足りないと感じているのか、不動産に関してどんな助言や支援がほしいと考えているのか、それを引き出す努力が必要なのではないでしょうか。
 (2011.5.22)

「鑑定評価」が解決できることは何か~隣接周辺業務開発の着眼点

 公共事業の縮小に伴い、不動産鑑定業界では、隣接周辺業務への関心が高まっていますが、現時点では需要者の視点に立った考察はあまり見られないように思います。

 不動産鑑定事務所のウェブサイトには、たいてい次のような宣伝文句が掲げられています。
「不動産活用のさまざまな課題を、不動産鑑定士の「鑑定評価」が解決に導きます!」

 でも、それは本当でしょうか?
 さまざまな課題に即応するアウトプットは、「鑑定評価」でしょうか?
 換言すれば「鑑定評価」を取得すれば、課題は解決できるのでしょうか?何が足りず、何が余分なのでしょうか?
 この点に、隣接周辺業務を育てる大きなヒントがあるように思われます。
 (2011.5.21)