2013年3月28日木曜日

二年間の巡回アドバイザー業務をふりかえって


 平成23・24年度の二年間にわたって実施された中小企業支援ネットワーク強化事業(九州経済産業局所管)は、今月をもってすべての業務が満了しました。

 この事業は「巡回アドバイザー」が中小企業支援機関(商工会議所など)を巡回し、支援機関の相談対応の一環として、高度専門的な相談に直接対応することを基本に、必要に応じて専門家を派遣して、中小企業が抱える高度・専門的な課題の解決を図る取り組みでした。

 この事業でもっとも重要なキーワードとされていたのが「OJT」です。つまり、「支援機関指導員等が、巡回アドバイザーとともに相談事案に参加し、現場経験を通じて能力向上を図るとともに、集積された相談事例のノウハウ等をOJTで学ぶことにより、支援機関の能力向上を図ること」が制度の「キモ」とされたわけです。

 しかしながら、「巡回アドバイザー制度」はOJTに十分な貢献を果たし得なかったという評価なのか、来年度の新事業のもとでは採用されないようで、個人的には大変残念に思っています。

 巡回アドバイザーが十分機能しなかった原因については、私なりに思うところがありますが、それはまた他日を期して述べることとし、ここでは二年間の巡回アドバイザー業務で私がもっとも大切にしたことについて書いておきたいと思います。

 私がいちばん大事だと思ったこと、それは「課題の構造と支援のゴールを明らかにすること」でした。

 巡回アドバイザーとしての活動を通じ、多くの専門家(業界用語で中小企業診断士などの経営コンサルタントを指します)や支援機関指導員それぞれの力量やスタイル、考え方を知ることができたのは大きな収穫でした。

 気になったのは、その中に「自分が貢献すべきは支援の枠組み全体のどこらあたりなのか」「支援を通じて対象企業に促すべき行動はどのようなことか」といった、いわば支援のパースペクティブにあまりにも無頓着な人たちが少なからずいたことです。

 それゆえ、相談企業も(支援機関すらも)いわば消化不良に陥ることが多く、結果として様々な「専門的知識の開陳」が雨散霧消してあとに残らない残念な結果になっているきらいがありました。

 そこで私は、「支援日誌」なる書式をつくって、その日の支援開始時に「本日のゴール」を設定し、終了時にはその日確認・整理したことと今後の対応を総括するとともに、各人が次回までにやっておくことを明らかにしました(巡回アドバイザーが同席しない専門家派遣時には、支援機関指導員に「支援日誌」を記録してもらいました)。

 また、相談企業が直面している課題の全体構造を図表にし、その中で当面解決に向けた支援をすべきはどこで、それを踏まえてどの課題に向かうかを明らかにしました。
 これらにより、支援内容が相談企業に浸透しやすくなったことはもちろん、支援機関指導員の自発的活動を促す効果もあったと感じます。そして、それは「いまやっていることは何のためか。その目的はどんな上位目的に資するか。」という意味づけができたためだと思います。

 その背景には、私なりの基本的認識がありました。ひとつは、「支援は関係者相互の連携ではじめて機能するもので、その主体は支援機関である」ということ。それゆえ、課題の構造とゴールを彼らと共有することを何より重視したのです。
 もうひとつは、「支援の本質は、知識の伝授ではなく、実践の糸口をつかむこと」であるということ。企業の問題点(欠点)を指摘・論評することはあまり意味がないと判断し、乏しい資源の中から、突破口となるようなネタを見つけ、取り組みシナリオを「ひとつだけ」提案することを心がけました。

 当該事業の終盤、ある支援機関指導員のかたがこうおっしゃいました。
「これまでの経営支援はヘッドライトをつけて夜道を行くようだった。目の前は見えているけれど、先は見えないし、見えていたはずの道も振り返るともう見えない。いまは前が先のほうまで見えるし、これまでどの道を来たかがわかるのが嬉しい。」
 このことを一番大事にしてきた私には、とてもうれしい言葉でした。

 みなさんのヘッドライトとテールランプは明るいですか?




2013年3月25日月曜日

週一回の「外ランチ」の効用


 三好隆史『自己洗脳法―21世紀人の必修科目』(ダイヤモンド社・1993)で読んだエピソードです。

 第二次世界大戦中、アメリカ海軍は、兵士の精神面の健康が生存率に及ぼす影響を知るため、様々な研究をしていました。

 記憶が正確でないかもしれませんが、例えば次のようなことです。

 ネズミに不快な刺激を与える。一方のグループは、もがくと刺激が止まるようにしてある。他方のグループは、何をしても刺激から逃れられない。

 すると、逃れられないグループは、やがて刺激を与えても逃げようとしなくなります。このように「訓練」したネズミを水につけておぼれさせると、両グループの生存率には著しい差が生じたそうです。
 刺激から逃れられなかった後者のネズミは、あっけないほど早く溺死したというのです。

 この研究のインプリケーションとして海軍が得たものは、刺激のない(頑張っても見返りのない)日常に刺激を持ち込む必要性でした。
 そこで軍は、缶詰主体で単調になりやすい食事を見直し、日々の訓練内容にも変化をつけることにしたそうです。

 ベトナム戦争中も、ジャングルで泥水に浸かって戦う米軍兵士たちのもとに、週一度はヘリコプターで熱々のステーキが運ばれていたというのは有名な話です。

 さて、わたしたちも、家事育児に倦んだお母さんや、室内に籠りきりのプログラマーや、勉強でいっぱいいっぱいの友人が身近にいるなら、その人たちをランチに連れ出しましょう。

 それがあなた自身ならば、明日はお弁当や社員食堂でなく、外ランチに出かけましょう。よしんばそれが無理でも、通勤(通学)経路を変えたり、普段と違う寄り道をしましょう。

 では、なぜランチか。ひとつは経済的理由。ランチならおいしいものを食べて、食後のコーヒーまで飲んでも千円前後。週一回なら贅沢すぎるとはいえないでしょう。

 もうひとつはより積極的な理由です。昼の日差しを浴びてリフレッシュできますし、アルコールで気晴らしするより健康的です。一時間で切り上げられるところもいいですね。

 このように、自分自身に対し、うまくアメとムチを使い分ける意識は、とっても大切だと思います。資格の取得や独立など前向きな目標を掲げている人ならばなおさらです。

 そういえば、前掲書のオビには「最も自律的な人とは、自らの他律性をフルに利用できる人のことである。」とありました。

 いまでも心に残るひとことです。





2013年3月22日金曜日

トキハ前地下道の思い出

 私の住む大分市の中心市街地は、JR大分駅を扇の要に放射状に広がっています。

 広げた扇の中央、京都で言えば朱雀大路にあたる目抜き通り(旧電車通り)に、地域一番店(トキハ本店)があり、その前には、通り向かいのアーケード商店街との間を結ぶ地下歩道が穿たれています。

 浅田次郎氏の短編小説の一節を読んで、祖母に連れられて買い物に出た幼児の頃の遠い記憶が一気に蘇ってきました。

『饐えた臭いに耐えかねて鼻をおさえると、祖母に手をはたかれた。叱責の理由は、その陰鬱なガード下に戦争の犠牲者たち―傷痍軍人や靴磨きやいかさまの物売り、あるいはそうした生計のかたちすら思いつかむ物乞いが、みっしりと居並んでいるからだった。どうにかなった者が、いまだどうにもならぬ者を蔑んではならないと、祖母は教えたのだろう。』
 ( 「シューシャインボーイ」 文春文庫 『月島慕情』 所収 )

 私がまだ幼稚園に通っていた45年前、くだんの地下歩道には決まって物乞いの男性がひとり座っており、そばを通ると強烈な臭気が鼻をつきました。思わず鼻をつまもうとすると、祖母から手を叩かれ、恥ずかしい振る舞いをするな、と叱られました。

 ふだん孫に甘い祖母の剣幕に驚いた幼い私は、鼻をつまんで通り過ぎる方が物乞いより卑しいことなのだと理解し、以後地下歩道では息を止め、鼻をつまむのをけんめいに堪えたものでした。

 祖母がそのような点にだけは厳格であったのは、何か特段思うところがあったというのではなく、当時としてはごく普通にわきまえているべき惻隠の情というか、常識だったのであろうと思います。

 小学生になったある日気づくと、物乞いの老人はいなくなっており、そののち二度と目にすることはありませんでした。彼が座っていた痕跡―その箇所だけ塗料がはげて色が変わっていました―も数年後には塗り替えられ、消えてしまいました。

 そしていま大分市の中心市街地は、駅南区画整理の概成、大分パルコ跡の病院建設、さらに2年後の駅ビル開業でそのすがたを大きく変えようとしています。同じように、日本じゅうで「戦後」を思わせる街並みは消えつつあるのかもしれません。

 しかし街ゆく人々が、ろくな教育も受けていない祖母より上等な人間と思えないこともしばしばあります。

 ネットでの振る舞いもしかり。感動や感謝を押し売りする人。不純な動機で感動的な話をねつ造する人と、それを真に受けた人々を情弱(情報弱者)と激しい言葉で蔑む人。その両方共が衆目を集めることを企図している点で、両者は似たもの同士のようにも見えます。

 変わってしまったのは、どうも街並みだけではないようです。






2013年3月20日水曜日

「理解を得るのが難しい」ことが断念する理由になるか

 元内閣府参与である湯浅誠氏のブログの、次のような一節が心に留まりました。

『 現実的な工夫よりは、より原則的に、より非妥協的に、より威勢よく、より先鋭的に、より思い切った主張が、社会運動内部でも世間一般でも喝采を集めることがあります。
 そうなると、政治的・社会的力関係総体への地道な働きかけは、見えにくく、複雑でわかりにくいという理由から批判の対象とされます。
 見えにくく、複雑でわかりにくいのは、世の利害関係が多様で複雑だからなのであって、単純なものを複雑に見せているわけではなく、複雑だから複雑にしか処理できないにすぎないのですが、そのことに対する社会の想像力が低下していっているのではないかと感じます。』

 企業経営の中にも、わかりやすい取り組みと、そうでない取り組みとがあると感じます。
 しかしながら、「理解を得るのが難しい」「説明に多大なエネルギーを要する」ことが、その企業にとってより重要な取り組みを断念する理由になるとしたら、残念なことです。
   「説明は容易」であるが、その企業にとって喫緊の課題とはいえない事柄に取り組んで、成果が上がるはずがないからです(もちろん、重要な取り組みの前提作業として、ちいさな取り組みを先行して行うことはあるでしょう)。

 かかるケースで、経営支援の専門家が果たすべき役割は何か。「それは理解が得にくいから、理解されやすい取り組みに変更しましょう」と助言することではないような気がします。
 ましてや、「お客さまの理解を得にくい」「従業員の納得を得にくい」ならまだしも、「それは行政には通りが悪い」などという「助言」は、助言の本分を踏み外していると言ったら言い過ぎでしょうか。

 結局、それは何らかの形で助言者に跳ね返って来るように思えてなりません。



2013年3月10日日曜日

泡沫投資家ただひとつの必勝戦略


 もうかなり前のこと、東京のある億万長者のエピソードを聞いたことがあります。

 その方は、東京都心部に広大な地所をもつ大地主。ある人が「これだけの資産を築くまでにはさぞ長い道のりがあったでしょうね」と水を向けると、返ってきたこたえは「いえ、ひと晩で手に入れました」。

 ひと晩というのは、昭和20年3月10日のこと。世にいう東京大空襲の日です。焦土となりつつある東京を捨て、疎開しようとする人々にとって、土地の権利証など何合かの米ほどの価値しかなかったのかもしれません。

 ところで、昨年9月に8,800円台半ばだった日経平均株価は、先週末ついにリーマンショック前の水準まで戻し、さらに12,300円を窺う気配です。この半年間の上昇率はじつに4割近く、株式市場も大いに活気づいています。

 しかし、です。これから証券口座を開設して株取引しようか、という人にとって、いまは必ずしもいいタイミングではない、と個人的には思います。

 では、いつはじめるのがいいのか。ズバリ、株価が暴落して、誰も株のことなんか考えたくないような悲観的ムードのとき、です。

 われわれのように、ほかに仕事をもち、株の研究と実践に時間をかけられない、しかも知識も情報も資金も乏しい「泡沫投資家」が、負けない投資を継続するには、方法はたったひとつしかない、それは「なるべく安く買って、値上がりするまでじっと待つ」ことだ、というのが幾度も失敗を繰り返して結局私がたどりついた結論です。

 かくいう私自身は、次の6つのルールをかたく守って、のんびりやっています。

ルール1:寝かせて構わない余裕資金で投資する

 株価が購入時を下回っても、損切りなどせずじっと待つためには、長期間塩漬けにする覚悟が必要です。近い将来使う可能性のある資金は充てられません。

ルール2:買ったら忘れる

 いったん買ったら、株価に一喜一憂せず、放っておくことにしています。しょせんさほどの知識も情報もないのですから、時間をかけたり、心配するのは時間の無駄と考えています。

ルール3:決まった銘柄だけを売り買いする

 その時々でホットな銘柄というのは現実にあります。でも、自分がよく知らない銘柄に手を出すのは怪我のもとだと心得ています。具体的には、日本が世界に誇るエクセレントカンパニーと株価指数に連動するETF(上場投信)だけを買うことにしています。

ルール4:損切りはしない

 入門書などを読むと、「株価が購入価格を2割弱下回ったら損切りすべき」などとよく書いてあります。でも、そんなことに神経とエネルギーを使うくらいなら、仕事で頑張って給料を上げるほうが得策です。それに、底力のある企業なら、いつか株価は持ち直すはず。もし私がこれまで損切りなど一度もせず、ただぼんやり株を持っていたなら、いまごろもっとお金持ちになっています。

ルール5:研究はしない

 一時は「オール投資」を購読し、四季報なども熟読していましたし、テクニカル分析のスキルを身につけたいと勉強したこともありましたが、いまはなにもやっていません。
 やると、余分な勝負をしたくなります。とりわけ、いまのような相場がいいムードの時には楽観的な情報が増えるので、今買わないと損、みたいな気持ちになりがちです。これが失敗のもとです。

ルール6:日本経済がヤバそうなときに買う

 株価が大きく下落し、悲観的な情報ばかりが巷にあふれ、いま株をやるのはこわいなあ、というときがまさに投資のベストタイミングだと思います。日本が世界に誇るエクセレントカンパニーの未来が信じられるなら、ですが。
 想像してみてください。日経平均が7,500円台まで落ち込んだ時、勝負に出た人がいまどれほどの含み益を手にしているかを(正直にいうと、7,600円台で底を打ったら買おうと私も思っていました。ところがそのラインをあっさり突破して下落したので、さすがにそのときは怖くて買えませんでした。)

 長々と書いてまいりましたが、これらを要するに、「飽くまで本業第一。財テクは片手間。」を貫くということです。

 株をやっていると、新聞の読み方が深くなったり、景気敏感株の動きで景気動向指数などの統計指標にさきがけて景気変動が実感できたりすることが確かにあります。そんなメリットが本業に生かせるなら、多少のサヤが抜ける以上によいことだ、というくらいの心の余裕が大切だ、といつも思っています。











2013年3月1日金曜日

ブログをコンスタントに生み出す四つの習慣


 先日、ウェブサイトを集客とフォロー営業の起点と位置付けておられる中小企業の経営者の方とお話しする機会がありました。

 昨年ある事情で、ウェブサイトに組み込んだ代表者ブログの更新が一時途絶えたのだそうです。

 すると、ページビューどころか、問い合わせ数や受注数までもが大幅に減少したので、もしやと思ってブログを再開すると、また従前のペースに戻った由。

 「ブログの更新がこれほど業績を左右するものだとは思っていなかった。コンスタントな更新が非常に重要なのだと、認識を新たにした」とおっしゃっていました。

 しかしながら、ブログを投稿するというのは、エネルギーを要すること。日々の業務に追われる経営者がこれに取り組むとしたら、深夜や早朝しかないのが普通かもしれません。

 ならば、もっと時間に余裕のあるスタッフに任せたら?という声が聞こえてきそうです。でも、日々考え、行動するビジネスパースンなればこそ、読み手にとって意味のあるブログが書けるというのもまた真理です。

 前掲企業の代表者ブログも、その道のエキスパートである代表者ならではの視点やホットな現場情報が魅力となっていることは、疑いありません。

 このように、企業ブログに代表者など多忙なエース級の人材を投入しなければならないならば、短時間で楽にブログが書ける工夫はきわめて重要です(コアな実務や私生活に割くべき時間を犠牲にしたのでは、ブログは決して長続きしませんよね)。

 前回、私たちの脳がふいに表示する答え=ヒラメキをうまく使うと、あまりエネルギーを消耗することなく、ブログを楽に継続できると気づいた、と書きました。

 以下では、(新米無名ブロガーなのに大変出過ぎたことですが)ふと頭に浮かんだ考えを日常の中でだんだん形にしていく、私なりのブログ習慣について説明します。

 名付けて「わらしべ長者型ブログ生成法」です。

習慣その1:ひとりになれる時間を持つ。

 ネタを思いつく三大シーンは、お風呂、寝床、歩いているときです。

習慣その2:とにかくメモする。

 何か思いついたら、すかさずメモします。引用したい記事を見つけた時も同様。メモ用紙に書いたら「ブログのネタ」フォルダに集め、ときどきテキストエディタに打ち込むようにします。iPadにメモしたら、自分あてにメール送信。仕事中に思いついたらテキストエディタに入力してデスクトップの「ブログのネタ」フォルダに集めておきます(Evernoteに集約)。

習慣その3:折に触れてメモを読み返す。

 ネタをEvernoteに集約しておけば、事務所にいても、自宅でも、出先でも、いつでも好きな時に見返すことができます。ネタとネタを組み合わせる、読んで頭に浮かんだことを書き加えることで、断片にすぎなかった元ネタがだんだん一定のまとまりになってきます。

習慣その4:ほかのものと結びつける・ブレンドする。

 以上のようにしてため込んだネタは、いつ日の目を見るか。自分の個人的体験や読んだ本、見たテレビ番組、新聞記事など、そのネタを意味づけしてくれるようなものと出会った時がもっともタイムリーという気がします(この記事も、中小企業の経営者との会話から生まれました)。     
 ゆえに、ストックしているネタが多いほど、ブログ投稿はコンスタントになるというわけです。

 じつは、あるテーマでセミナー講師を頼まれた時も、講演内容の大半は「わらしべ長者型」で作っています。
 「さあ、セミナーの資料を作るぞ!」というときには、大体ネタがそろっていることが多いので、レジュメやスライドをつくる過程で悩むことはほとんどありません。

 もし、何かの参考になればさいわいです。