2013年3月20日水曜日

「理解を得るのが難しい」ことが断念する理由になるか

 元内閣府参与である湯浅誠氏のブログの、次のような一節が心に留まりました。

『 現実的な工夫よりは、より原則的に、より非妥協的に、より威勢よく、より先鋭的に、より思い切った主張が、社会運動内部でも世間一般でも喝采を集めることがあります。
 そうなると、政治的・社会的力関係総体への地道な働きかけは、見えにくく、複雑でわかりにくいという理由から批判の対象とされます。
 見えにくく、複雑でわかりにくいのは、世の利害関係が多様で複雑だからなのであって、単純なものを複雑に見せているわけではなく、複雑だから複雑にしか処理できないにすぎないのですが、そのことに対する社会の想像力が低下していっているのではないかと感じます。』

 企業経営の中にも、わかりやすい取り組みと、そうでない取り組みとがあると感じます。
 しかしながら、「理解を得るのが難しい」「説明に多大なエネルギーを要する」ことが、その企業にとってより重要な取り組みを断念する理由になるとしたら、残念なことです。
   「説明は容易」であるが、その企業にとって喫緊の課題とはいえない事柄に取り組んで、成果が上がるはずがないからです(もちろん、重要な取り組みの前提作業として、ちいさな取り組みを先行して行うことはあるでしょう)。

 かかるケースで、経営支援の専門家が果たすべき役割は何か。「それは理解が得にくいから、理解されやすい取り組みに変更しましょう」と助言することではないような気がします。
 ましてや、「お客さまの理解を得にくい」「従業員の納得を得にくい」ならまだしも、「それは行政には通りが悪い」などという「助言」は、助言の本分を踏み外していると言ったら言い過ぎでしょうか。

 結局、それは何らかの形で助言者に跳ね返って来るように思えてなりません。



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