2013年4月30日火曜日

月1,500円からの読書生活術(1)


 私は読書を日課にしており、読書量は硬軟とりまぜて月10冊くらいかと思います。
 以前は、月に20~30冊読んでいましたが、iPadを持ってからというもの、読書量が激減して今日に至っています。

 私が思うに、読書には欠かせないものが3つあります。ひとつめは、読書にあてる「時間」。ふたつめは読もうという「気持ち」。そして三つ目は本を入手する「お金」です。
 「時間」面では、アイドルタイムの活用がひとつの焦点になりますし、「気持ち」面では読みたい気持ちをそそる本のセレクトや動機づけとしての「読む理由」が大事です。さらに「お金」の面では、良書をより多く、より安く入手することが望ましいことは言うまでもありません。
 ちなみに私は、月に20~30冊読んでいた頃でも、書籍代は月に1万円以下でした。

 今回から5回にわたって、

 ステップ1;読む本を選ぶ

 ステップ2;選んだ本を探す・買う

 ステップ3;探した本を読む

 ステップ4;読んだ記録を残す

 ステップ5;読んだ記録を使う

 の順に、私の読書の仕方について書いていきたいと思います。
 特段、コツというほどのものはありませんが、もしかしたら何かヒントになることがあるやもしれませんので、お付き合いください。

 なお、「月1,500円からの読書生活術」と題したのは、よく使っているアマゾンとブックオフオンラインが「1,500円以上送料無料」なので、それを目安に本を購入することが多いからです。
 1,500円をうまく使う方法については、ステップ2で述べたいと思います。

 では今回は、「ステップ1;読む本を選ぶ」に関して以下に述べます。

■ 書籍情報を広く集める

  読む本を選ぶスタートは、当然ながら「書籍情報を集める」ことです。
 私は、書店、古書店(ブックオフ)、公立図書館のいずれにも月に数回足を運んでいます。比較的軽い内容のものなら、図書館で借りて済ますこともありますし、借りてみて手元に置いておきたいと判断すれば、改めて購入することにしています。
 また、書籍情報サイトをRSSリーダーに登録しており、都度参照しますし、Twitter経由で情報を入手することも少なくありません。もっとも重宝するのはFacebookで親しい友達が推薦している図書に関する情報です。その友人の趣味嗜好や読書傾向、見識等から推して、その本が読むだけの価値があるかどうかというのは比較的判断もつきやすいし、外れも少ないように思います。

■ マイナーな分野の書籍情報を集めるには

 マイナーな分野なら、その道の研究者の著書の参考・引用文献リストが有用です。入門書の類いならば、よりアドバンスな学習のための推薦図書が紹介されていることも少なくありません。
 いま私の手元に、末吉孝生『マーケターの仕事術・入門編』(日本能率協会マネジメントセンター)という本がありますが、本書には学習分野別に参考図書が短評付きで紹介されています。

■ 掘り出し物の探し方

 土井英治『土井英治の「超」ビジネス書講義』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)は、装丁やタイトルのサエない良書で他者と差をつけろ!と述べています。ベストセラーになるような良書はみんなが読んでいるわけで、内容はいいのに装丁やタイトルがパッとしないために光の当たらない本にこそ注目すべき、ということのようです。
 また一般的に流通していないが定評のある良書というのは、その道の専門家に聞けば得られる情報です。例えば、裁判所職員総合研修所のテキストは、記述が平易かつコンパクトで、学説整理が明確である等の理由から、司法試験の基本書としても人気があるようです。

■ 読者レビューはレビュワーの属性に注意する

 集めた書籍情報の中から、購入する本を選ぶ際には、Amazonのレビューを大いに参考にさせてもらっています。
 読者レビューを見るときは、星の数は気にせず「レビュアーはどんな立場のひとかな?」ということに意識を向けています。レビュワーによる評価は、それぞれのニーズに即応しているかどうかという側面から行われることが多いからです。法律書を例にとっていえば、司法試験受験生と法曹実務家・企業法務担当者ではニーズが全く違い、評価は大きく分かれることになります。

■ あらためて「まえがき」を読む意義

 「まえがき」を読めば、その本の性格と意義はわかる、とよく聞きます。実際その通りだと思います。
 本書が持ち込んだ(従前なかった)新しい視点はいかなるものか。基底にある思いや価値判断は何か。採用した事例がどうして当該テーマに適していると考えたか。どのような読者に、どのように生かしてもらいたいか。どのような判断で、どのような章立てにしたか。
 このような情報は、本がその人にとって読む価値があるかどうかを判断するにあたって、きわめて重要な情報でしょう。逆の言い方をすれば、「まえがき」からこれらの情報がほとんど読み取れないならば、その本は無理に読む必要はないのかもしれません。

 次回は、「ステップ2;選んだ本を探す・買う」について書きたいと思います。




 

 

2013年4月18日木曜日

ゴルフコーチにまなぶ経営支援


 先日、ゴルフ巧者の友人が、初心者の私をゴルフに誘ってくれました。

 スタート前の打ちっ放しでも、絶不調だった私ですが、うしろで見ていた友人のたった一言のアドバイスをきっかけに打球が見違えるほど安定したのには、我がことながら驚きました。
 その日の私のスコアはヒドイものでしたが、少なくともドライバーショットに不安を感じることがなかったのは、私にとって特筆すべきことでした(OBは二回ありましたが)。

 さて、彼が私にくれた一言アドバイスとは何だったか。それを正確に表現するだけの知見を持ち合わせませんが、バックスイングを安定させるために心掛けるべきことをひとつだけ伝授してくれたのだと理解しています。

 同行した別の友人に言わせれば、それはごく当然、ごく普通のセオリーだそうですが、少なくともこれまで私にそうした助言をくれた人はいませんでした。

 思うに「正しい姿(あるべき姿)を教える」というのは、それだけではアドバイスとしての要件を満たしていないのではないでしょうか。なぜなら、どうやったら正しい姿に近付けるか、というのが相手の関心だからです。
 ゴルフレッスンでよく『脇を締めろ』というフレーズを耳にしますが、脇は必死に締めようとするものではなく、正しくスムーズに振り抜けば自然に『締まる』ものだという気もします(初心者なので自信はありませんが)。

 「名選手必ずしも名監督にあらず」という言葉もあるように、誰かに教示・指導するときには、自分ができる(わかっている)ということとは別の見識ないしスキルが必要なことは疑いありません。
 経営上のアドバイスもきっと同じだと思います。

 ゴルフ巧者の友人は、最後に私にこう言いました。
『アドバイスしたいことは、じつは他にも幾つかある。でも、一度に言ってもしょうがないので、追い追い言うよ。』
 そう、どんなに正しい指導でも、私が吸収し実践出来なければ意味がないわけです。加えて、余りに手厳しい指摘をすると、やっとゴルフに興味を持ち始めた私の意欲を殺ぐことになる点にも、彼はきっと配慮してくれたのだと思うのです。



2013年4月10日水曜日

ブレない馬鹿が、私は好きよ。


 ちょうど私が社会人になりたての頃だったか、糸井重里さんの「本読む馬鹿が、私は好きよ。」という秀逸なコピーがありました。
 本を読む、という少なからず時間とエネルギーを要する行為をまったく功利的に捉えていないところが清々しい、と当時感じた記憶があります。

 私も「本読む馬鹿」ですが、個人的には「ブレない馬鹿」のほうがもっと好きです。

 ブレない馬鹿の代表にまっさきに挙げたいのが、先日亡くなったマーガレット・サッチャー元英首相です。彼女がたいへん聡明な方だったのであろうことは疑いありませんが、愚直と言っていいほど政治姿勢に全くブレがなかった点では、称賛さるべき馬鹿だったと思うのです。
 「私は意見の一致を求める政治家ではない。信念の政治家だ」という発言は、何よりそのことをよく言い表しています。

 司令塔が「動かざること山の如し」とデンと構えているかどうか。そのこと自体が、物事の成否を大きく左右することは決して少なくありません(この点、黒田日銀総裁や岩田同副総裁の毅然とした姿勢を見ると、今後の金融政策には期待してよい気がしています)。

 サッチャーさんの意思決定が全部正しかったわけではないでしょうが、まわりの評価に言動を左右されることがなかったからこそ、あれだけの政治的功績を残し得たのだと思います。

 そういえば、私が子供の頃いちばん好きだった物語のひとつに「イワンのばか」がありました。

 このお話では、賢い人たちに甘言を弄して破滅させる悪魔が、塔の上から「手で働くより、頭を使って働けば楽をして儲けることができる」と演説しますが、イワンたちは相手にせず、黙々と仕事を続けます。とうとう悪魔はしゃべり疲れて塔から落ちて死んでしまう、というのが結末だったと記憶しています。

 現代の「悪魔」は、どんな人たちでしょう?もういちど「イワンのばか」を読んで考えてみます。





2013年4月8日月曜日

ルビーの王様を手に入れるには


 子供の頃にみた『ムーミン』というテレビアニメ番組の一話です。

 あらすじはたしか、こんなふうでした。

 ムーミンたちが「ルビーの王様」という世界に一つしかない大粒の宝石を見ていると、そこにルビーの王様を長年探していた「飛行オニ」という空飛ぶ魔人がやって来ました。
 何としてもルビーの王様を手に入れたい飛行オニは、譲ってあげることはできないと断ると、大変落胆します。
 「飛行オニさんはどんな魔法でも使えるのだから、魔法でルビーの王様を出したらどうなの?」と訊くと、飛行オニは「わたしは人の望みをかなえる力はもっていても、自分の望みをかなえる力はないのだ」。
 するとある女の子(名前は忘れました)が「じゃあ、私のためにこのルビーと同じものをだして」と飛行オニに頼みました。飛行オニが魔法でルビーの王様とまったく同じ宝石を出すと、その子は「これ、飛行オニさんにあげるわ」。飛行オニはこうしてとうとう長年の望みであるルビーの王様を手に入れ、女の子の優しい気持ちは生涯忘れない、と言って去っていきました。

 私たちは、当然ながら自分自身が一番かわいい。でも、だからと言って自分のために自ら出来ることは、非常に限られているような気がします。相互に貢献し合うことで、お互いのルビーの王様がはじめて手に入れられるのではないか、最近そんなことをぼんやり考えます(もともと世の中とはそうしたものでしょうが)。

 ところで「ネットワーク社会」という用語は、一般的には、インターネットなどの情報通信インフラを介して情報が共有・やりとりされる世の中を指すことが多いように思います。
 それは、より本質的には、個人間の物理的距離、あるいは社会的な地位差があまり意味を持たないフラットな人的ネットワークが形成される社会です。

 ではそこでつながった人同士の力を互いに生かすにはどうしたらよいのでしょうか。

 相互貢献は、貢献したい意欲だけで成り立つものではなく、相互の価値観や思想、見識、力量を推し量って、認め合うことではじめて可能なもの。

 国会、内閣、裁判所という三つの独立した機関がけん制しあうことで三権分立がうまく機能するように、われわれも相互にいっさい干渉しあわない「水のように淡い関係」から脱し、摩擦や対立をおそれず(ときにはおせっかいを焼いたりしつつ)、互いをよく知り、認め合う関係を築くことが、「ルビーの王様」を手に入れる近道のような気がします。