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2014年6月6日金曜日

「軍師官兵衛と永遠のゼロ」ツアー

 平成26年5月30日(金)、大分県別府市のホテル白菊にて、一般社団法人九州・沖縄不動産鑑定士協会連合会第三回通常総会が開催されました。

 その翌日、九州各県からいらした総勢三十名のお客様を「軍師官兵衛と永遠のゼロツアー」と銘打って、中津・宇佐方面にご案内しました。

 別府ICから一路中津を目指す前に、吉弘神社(別府市石垣西)、実相寺山(別府市大字鶴見)を車中から望見。
 後者は「西の関ヶ原」といわれる石垣原の戦いで黒田如水(勘兵衛孝高)が本陣をおいた場所。前者はこの戦いで敢闘の末討死した大友方の勇将吉弘統幸を祀っています。

 石垣原の戦いに詳しいH先生からは、実相寺山西方の角殿山(現在のルミエールの丘)には黒田家次席家老の井上九郎衛門が陣を敷いた由のご説明もありました。

 なお、H先生によれば、この戦いにおける吉弘統幸と井上九郎衛門のエピソードは、必ずや大河ドラマ『軍師勘兵衛』で取り上げられるに違いないとのことなので、ここではネタバレを控えます。

 石垣原の戦い及び吉弘統幸については以前当ブログでも取り上げました。こちらもご覧ください。



 さて、ようやく中津城へ。まずは城内の一角にある城井神社に参拝。

 ここは、黒田孝高が豊前中津12万石に封じられる前の領主であった宇都宮鎮房が祀られています。伊予今治への転封を不服として反乱を起こした鎮房は、その後降伏して許されますが、翌年孝高の嫡子長政によって中津城で酒宴の最中斬殺されます。

 鎮房の身を案じながら中津城下の合元寺で待っていた家来たちの多くも黒田方の討手により殺されました。これが「宇都宮鎮房謀殺事件」のてんまつです。

 「長政は深く思うところあって」(余程寝覚めが悪かったということでしょう)、後に城井神社を建立し、宇都宮鎮房を祀ったということです。

 なお、宇都宮鎮房の本拠地であった城井谷のある福岡県築上町は 「黒田官兵衛最大の宿敵」として宇都宮鎮房を売り出し中です。


 
 城井神社の次は、ガイドさんの引率で中津城内を見学。

 下の写真は、黒田官兵衛孝高が白村江の戦い の頃築かれた古城・唐原城(とうばるじょう、現上毛町)の石垣をリサイクルして造営した中津城の石垣です。



 下の写真は、中津城模擬天守横の石垣。写真中央を斜めに走る線の左右で石積みが全く違っています。
 向かって右が黒田官兵衛孝高が築いたもの、左が細川忠興が築いたもの。関ヶ原の功により豊前39万石を与えられた細川忠興が城郭拡張工事をした時にできたのでしょう。
 工法の違いは分かりませんが、官兵衛孝高が用いた石材の方が形が揃っているので、きれいに見えますね。



 中津城をあとに向かったのは、城下にある赤壁合元寺(ごうがんじ)。



 前述のとおり、黒田氏が宇都宮鎮房を謀殺した時、ここで休息していた鎮房の家来たちにも討手が差し向けられ、斬り合いとなりました。その時の壁の血しぶきが、何度塗り直しても赤く染み出でくるため、ついに赤壁とせざるを得なかったという逸話が残っています。

 合元寺については以前当ブログでも取り上げました。こちらもご覧ください。

  「合元寺の赤壁(中津市寺町)

 中津に来たならやっぱり鱧、ということで「和風味処鬼太郎」の鱧しゃぶ御膳をいただいた後は、宇佐へ。宇佐市平和資料館と海軍宇佐航空隊跡(城井一号掩体壕史跡公園)を訪ねました。

 

 上の写真は、宇佐市平和資料館に展示されている零式艦上戦闘機二一型の実物大レプリカ(映画「永遠の0(ゼロ)」で使用されたものである由)。垂直尾翼の番号は721空(第七二一海軍航空隊)所属を示しています。

 721空は別名神雷部隊、特攻兵器桜花を搭載した一式陸攻隊でした。つまりこのレプリカは神雷部隊の護衛戦闘機のものということになります。

 宇佐市平和資料館、城井一号掩体壕史跡公園についてはこちらもご覧ください。

  「宇佐市平和資料館に行ってきました」

  「戦史遺跡と不動産鑑定士」

  「終戦の日に(宇佐海軍航空隊のお話)」

 以上で、全行程を終了し、帰路につきました。お客様方は満足してくださったでしょうか。
 

2014年6月1日日曜日

官民連携で進める観光振興―おんせん県おおいたの取り組み

 平成26年5月30日(金)大分県別府市のホテル白菊にて一般社団法人九州・沖縄不動産鑑定士協会連合会第三回通常総会が開催されました。

 総会に先立って催された講演会のテーマは「おんせん県プロジェクト」。

 『日本一のおんせん県おおいた♨味力も満載~官民連携で進める観光振興の取り組み』と題して、大分県観光・地域振興課主幹の渡辺様、ホテル白菊社長の西田様にご講演いただきました。

 渡辺様は、観光行政をあずかる官のお立場から、おんせん県PR、ディスティネーションキャンペーン、大分県のターゲット層とそれへのアプローチ、商標登録をめぐる動きなど、大分県のツーリズム戦略の取組み概要についてお話下さいました。

 第8回全広連鈴木三郎助地域賞で優秀賞を受賞した「おんせん県おおいた」のCM(シリーズ全作計7分間)をご覧戴いたのち、CM出演者でもある西田様のお話。

 西田様には、観光産業に携わる経済人という民のお立場から、民間の声からはじまった取組みのきっかけ、民間におけるこれまでの取組みと今後の展望などを、おんせん県CM撮影の裏話も交えつつお話いただきました。

 開演前に上映した「めじろんコール・ミー・メイビー」「キティ&TAO」、講演者交代の合間に上映した「おんせん県おおいた」CMの動画も好評で、とりわけ「おんせん県おおいた」CMの上映時は、講演者自身の出演もあってか、たびたび笑いが起こりました。

 「おんせん県プロジェクト」の取り組みのきっかけは、東北大震災だったということは、意外と知られていないことだと思います(私自身知りませんでした)。
 講演者である西田氏ら別府市の経営者有志が、3.11の被災地に温泉を届ける活動を行ったとき、現地で「新婚旅行は別府だった。復興したら、絶対また旅行に行くからね!」などの反応を得て、これをきっかけに「大分県の温泉はやっぱり日本一だ、これを全国にアピールしなければ」という声が若手経営者らから起こったのだそうです。

 かかる民間からの声を受けて、大分県は「大分県はおんせん県」を提唱することになりました、と書いてしまうのは簡単ですが、これが大分県の観光ツーリズム戦略の重要な柱と位置付けられるようになるまでには、官民双方の関係者のご尽力があったものと推察されます。

 商標登録をめぐる動きが、他県も巻き込む賛否両論を巻き起こしたことも記憶に新しいところですが、商標登録をめぐる騒動を逆手に取ったテレビコマーシャルは、県外広報としてじつに心憎いうまいやり方だったと思います(先日の新聞報道では、広告効果11億円以上である由)。

 もしまだご覧になっていない方がおられましたら、ぜひ以下のリンクからどうぞ。
 おんせん県って言っちゃいましたけん!CMシリーズ総集編



 



 
 
 

2014年1月11日土曜日

『営業力の強化』はなぜ完遂されないか

 中小企業の経営計画においては、しばしば「営業力の強化」が経営課題に掲げられます。

 しかしながら、課題への対応ないしアクションプランに「営業力の強化」に即応する具体的対策案が掲げられることはあまりないような気がします。

 まるで若書きの短歌のように、経営課題として高らかに「営業力の強化」を掲げたボルテージが、いざ実行レベルになると尻すぼみ、といった印象を受けることがじつに多いのです。

 ときには、「営業力の強化」という課題に対して、「全社的な営業体制を構築し、PDCAを繰り返すことを通じて営業力を強化する」というような、単なる言い換えに過ぎないような解決策が掲げられていることすらあります。

 なぜそうなるのか。

 私は、「営業力」というものの構成要素や本質をバイパスして感覚的・経験的な議論に終始しているからではないかと思っています。

 『営業力の強化』という経営課題が完遂されない理由は、HOW(いかにして強化するか)よりもまずWHAT(営業力とは何か)がつかめていないところにあると思うのです。

 つい、こんな笑い話を連想してしました(須賀原洋行さんのマンガのネタだったような?)。

 ある高校で、英語の試験に『次の英文を訳しなさい』という問題が出ました。「何語に」という指定はありません。悪乗りした生徒が「火星語に訳してみました」と、意味不明の記号を羅列してきましたが、教員はこれを不正解とする根拠がありませんでした。

 営業力の内実を問わぬままに、「営業力の強化」を図ろうとする。それはまるで、何語に訳すかも決めずに英文解釈に励む人みたいです。

 高水準の売上を維持している、または売上が順調に伸びている企業をアプリオリに「営業力がある」と決めつけるわけにもいきませんが、かりにその企業に高い営業力が備わっているとしたら、その片鱗は具体的にどこにたちあらわれているでしょうか?営業マンの営業活動やその準備にはどのような特徴があるでしょうか?またマネジャーは、彼らの活動をどうコントロールしているでしょうか?

 私自身は、いまそのような視点からすぐれたセールスパースンの活動を眺めて、自分なりに「士業にとって営業力とは何か?」にアクセスしようとしているところです。

 いまだ結論には至りませんが、「士業にとっての営業力」について、これまでの検討や経験から得た「感触」を他日を期して述べたいと思います。


2013年10月25日金曜日

士業とネット販促

 不動産鑑定士である私のところには、ネットに関わる販促プロモーションについてさまざまな勧誘があります。

「リスティング広告が効果的ですよ!」「士業の専門サイトに登録しませんか?」

 そうしたアプローチは、100%電話です(時間が勿体ないので丁重にお断りしています)。

 でも、ここで疑問が生じませんか?

 リスティング広告がそんなに効果的なら、なぜ彼らは最初のアプローチにリスティング広告をまず用いようとしないのでしょうか。

「不動産鑑定士の人たちはネットに疎いので、リスティング広告にはなじまない」
「この手のアプローチ手段としては、費用対効果が薄い」
「込み入った話なので、サイトでは十分魅力が伝わらない」とでも言うのでしょうか。

 ならば、なぜ不動産鑑定評価の需要者が、ネットに強く、リスティング広告に適し、費用対効果も十分見込めて、魅力をきちんと伝えられると判断したのでしょうか

 そもそも、不動産鑑定評価の需要者属性や発注意思決定過程をどのように捉えてのご提案なのでしょうか
 B to Bでは(とりわけ専門サービス利用シーンでは)サービスや商品をウェブで探す、というのは極めて例外的な顧客行動です。依頼内容が一義的に定まっており、誰に頼んでも同じようなクオリティが期待できるようなケース等に限られるのではないでしょうか。

 じつは、この手の「ナントカ・マーケティング」「カッコ書きマーケティング」(注1)は、不思議なほどに世の中に氾濫しています。成功例を因果関係の見きわめもなしに喧伝したり、需要者の購買行動のあり方について無頓着だったり。彼らが言っていることがどこかおかしいことぐらいは、マーケティングの専門家でない私でもわかります。

 マーケティング・セミナーに行くことは無駄とは言いませんが、質疑応答の際に積極的に講師に質問するとか、後日メールでお尋ねするとか、生じた疑問やわからない点を解消できるよう努めることは必須です。質問のコツは、自分に即して尋ねること。その講師がニセモノでなければ、逃げを打つような回答はしないはずです(注2)(注3)。


(注1)本来のマーケティングとは次元を異にするものだ、という認識から、個人的にこう読んでいます。

(注2)逃げを打つような回答とは、特定のケースを前提とした質問に対し、一般論で答えるような回答を言います。
 たとえば、本稿について、「B to Bの専門サービスでもネット販促が非常に有効なケースはある」と反論するようなこと。
 私は不動産鑑定業について話しているわけで、そうした一般論に関心はありません。このサービスはこのような特性があるので、需要者はこのように行動する。だからネットでどう誘導し、こういう点を訴求すると極めて有効だ、というようなお話なら、興味があります。
 ところで、不動産鑑定業でもB to Cのネット販促モデルは考えられます。たとえば、個人の破産同時廃止の場合の免責申立てに必要な財産価額の評定。当事者が誰かに相談がしにくい(しかも若年層が比較的多い)ため、ネットでの告知は彼らの便宜に資するものだと考えられます。当事者が不動産鑑定士に電話でこの件を相談するのは、大変勇気のいることだと思われますから。

(注3)問題の根本には「まず手段から考える」姿勢があります。手段の有効性の説明の多くは後付け。「ある属性の人々は、こういう行動特性を持っているから、この人たちにアクセスするには、この手段がいいな」と順序立てて検討すべきです。「ネット上では」などと無用な限定をせずに。


<後記>
 対価が数十万円にも及び、しかも具体的に何を依頼すればいいのかわからない案件を、たまたまクリックしたサイトで見た業者に発注するでしょうか?
 もっとも合理的に想定しうるのは「誰か信頼できる第三者に(誰に頼めばいいか)助言を求める」という需要者行動です。この場合の第三者は、顧問税理士や顧問弁護士だったり、先輩経営者だったり、取引金融機関だったりするでしょう。そうした助言者を持たない人や、助言を求められない事情がある人、遠隔地にいて地元の事情に疎い人などがネット検索を端緒にアクセスして来られるケースが多いと認識しています。
 かかるケースであっても、まずは県士協会に問い合わせたり、県士協会のサイトで業者の顔ぶれを確認したのちに、特定の業者のサイトに来訪するのが通常だと思います。






2013年10月17日木曜日

ネットでよく見る言い間違い

 スマートフォンやiPadでの投稿が増えたせいもあるのか、ネット上では相変わらず言葉の誤用が目につきます。

 投稿文は一度ノートパッドに書いてみて、推敲してから投稿することにしている私ですら、自分の投稿に入力ミスを見つけることはしばしばです。

 とくによく目にするのは、下記に掲げた3つでしょうか。

× 初期の目的
〇 所期の目的

× 肝に命じる
〇 肝に銘じる

× 的を得る
〇 的を射る
〇 当を得る

 私自身も新入社員の頃、研修レポートに「肝に命じる」と書いて、研修指導担当の方に朱書き修正されたことがあります(この表記は間違いやすいので肝に銘じておくように、と添書きがありました…)。

 でも、本文の趣旨は「こんな間違いは恥ずかしいぞ!」ということではありません。ミスは必ずあるのです。
 だからこそ、ビジネス文書や成果物を今一度見直す、自分以外の誰かにチェックしてもらう(目を変えてみる)ということの大切さをあらためて噛みしめてみる必要があるのではないか、と言いたいのです。

 ミスがあったら謝ればいい、誤りを指摘されたら修正すればいいという発想は、つまるところ相手方を軽んじていることに他ならないのではないでしょうか。

2013年9月12日木曜日

借地借家法第10条第2項の重み

 最近、借地借家法第10条第2項(借地権の対抗力等)という条項の重みについて考えさせられる案件がありました。

借地借家法第10条は次のようにいっています。

1  借地権は、その登記がなくても、土地の上に借地権者が登記されている建物を所有するときは、これをもって第三者に対抗することができる。

2  前項の場合において、建物の滅失があっても、借地権者が、その建物を特定するために必要な事項、その滅失があった日及び建物を新たに築造する旨を土地の上の見やすい場所に掲示するときは、借地権は、なお同項の効力を有する。ただし、建物の滅失があった日から二年を経過した後にあっては、その前に建物を新たに築造し、かつ、その建物につき登記した場合に限る。

 同条1項により借地権者は、借地権そのものについては登記をしていなくても、借地上に所有する建物について登記を有する場合には、未登記借地権について「対抗力」が認められることになります。

 しかしこの場合、もし借地期間中に建物が滅失したときは、建物滅失以前に目的土地に権利を取得した第三者には従来どおり借地権を対抗できるものの、建物滅失後目的土地に物権や土地賃借権を得た第三者には借地権を対抗することができないことになってしまいます。

 そこで同法は、かかる場合に借地権者を救済するため、同条2項を置いて、一定の要件を満たせば、建物が滅失したときでもなお、対抗要件が維持されることとしたわけです。

 「滅失」には、自然災害によるものも、人為的なものも含むとされています(澤野後掲268ページ、根拠は示されていません)。だとすれば、朽廃目前の借地権付建物といえども、潜在的には再築により新築の借地権付建物に変身する可能性を持っていることになります。
  
 このように、同条2項の経済的インパクトは極めて大きいのですが、新法(借地借家法)における新設規定であることや、借地権慣行の未成熟な地で業務を営んでいる関係上、情報量が少ないことに困惑させられているのが実情です。

 とまれ、同項をめぐる不動産鑑定評価上の論点は、これがもたらすロス(経済的損失リスク)とベネフィット(経済的利益)をどう定量化するかということでしょう。すなわち、ロスとベネフィットは表裏一体であるものの、保守的観点からは、底地所有者の不利益を、借地権者の将来利益よりも大きくみることが妥当ではないかと思っています。

 上記の通り、私はまだ借地借家法第10条第2項について知見らしきものをほとんど持っていません。そこで、現実の法現象としてどのようなことが起こっているか等、何かご教示をいただけるきっかけになればと思い、投稿した次第です。

参考図書
澤野順彦編 『実務解説借地借家法』 青林書院 2008
稲本洋之助・澤野順彦編 『コンメンタール借地借家法第3版』 日本評論社 2010










2013年9月7日土曜日

先生と呼ばれるほどの…

 「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」という言葉があります。

  「先生」と呼ばれて得意となっている者を嗤う一方で、むやみに人のことを先生呼ばわりする風潮を皮肉っているのでしょう。

 「先生」というのは便利な言葉なので気軽に使われますが、特段敬意が込められているわけではないように思います。むしろ馬鹿にされていることすらある(明らかにバカにしているとき雑誌などでは「センセイ」とカタカナで書きますね)。

 士業のはしくれである私自身も 「先生」と呼ばれることがあります。一部の業界には、士業は一応センセイと呼んでおけ、というコンセンサスがあるようです。自分たち自身でも互いを先生呼ばわりしている士業の人たちもいます。

 士業はみなセンセイならば、一級建築士も土地家屋調査士もセンセイだろうと思い、そう呼んでみると、彼らはたいがい困った顔をして「その呼び方、やめてくれない?」と言うことが多いです。
 彼らのこの感覚は、きわめて正常だと思いました。同時に、自分がセンセイと呼ばれることに少なからず疑問を抱くようになりました。

 一級建築士の人たちの気持ちを忖度すると、一級建築士という資格者の中でも、建築家として名を成した人たちだけが先生だ、ということなのかもしれません。

 センセイと呼ばれて良かったこともないわけではありません。某行政機関のA課長は非常に仕事の出来る方で、ご在任中たいへんお世話になったのですが、彼はケースによって呼び方が変わるのです。普段は「長野さん」と呼んでくださるのですが、何か頼みがあるときは「長野先生」。彼から「長野先生、近々少しお時間を頂戴したい。」といわれると「ははあ、込み入った案件だな」と前もって心の準備ができたものです。

 閑話休題(ってイヤな言い方ですね、ぜんぶ閑話なのに)。「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」とはよく言ったものだと思うのは、それが呼ばれた側のためになっていないと感じるからです。先生と持ち上げられたことで慢心する人もいるし、逆に先生と呼ばれたために偉い人間を演じようとする人もいます。

 セミナーや講演で偉そうに振る舞う講師は少なくない(注1)ですが、彼らとて「講師は先生だから偉くあらねばならない」というドグマに囚われた犠牲者という一面もあります。

 彼らがいかに偉そうに振る舞おうが、他者より高い視点を持ち得ていない者が垂れるべき高説などこの世にないことは、水が高きから低きに流れるがごとく当たり前のことです。

 先生なんて呼ばれてていいのかと思いつつ、面と向かって「私を先生と呼ばないで」とはなかなか言い出せないでいました。言われた方は困惑するかもしれないし、いい気持ちがしないかもしれません。「せっかくセンセイと呼んでやってるのにグズグズ言うな」と思われるやもしれません(注2)。

 なので、ここに書きます。

 私は、ほんとうはセンセイと呼ばれるより「長野さん」と言われるほうが嬉しいです。その方がしっくりくる。ちなみにプライベートでは「けんちゃん」「研さん」と呼んでくれる人もいます(後者はなんだか高倉健みたいで恥ずかしいですが…)。街で見かけたら、そう呼んでくださっても結構です(注3)。

 どうぞよろしく…。




(注1)さりとて「私はこんなところでしゃべる資格はないのに主催者がぜひにと…」などと言い訳を述べるのも受講者に失礼です。講師が銘記すべきは、セミナーの目的、すなわち受講生にどんな行動を起こしてもらいたいか、に資することのみのはずです。世間はセミナー花盛りで「受講生に前向きな気持ちになってもらいたい」という目的のセミナーも少なからず見受けられますが、そんな「勉強する振り」に時間を割くくらいなら、綾小路きみまろの独演会にでも行った方がずっと元気になれること請け合いです。

(注2)実際には、こんなガラの悪い方は私のお知り合いにいません。

(注3)柳家喬太郎師匠だって高座の枕で「街で見かけたらキョンキョン、って呼んで♥」って言うじゃありませんか。

2013年2月25日月曜日

寝かせることの意味


 「一晩ねかせたカレーはおいしい」とよく聞きます。実際その通りだとも思います。

 なぜなのでしょうか?
 江崎グリコのホームページを見ると、
『ひと晩寝かせたカレーは、具材からエキス(うまみ物質、甘み物質、無機質等)がカレーソースに移行し、コクが増すといわれています。またスパイスのとがった香りが減少したり、野菜が溶け出すことで、香りや味がまろやかになります。』ということなのだそうです。

 じつは、私も、寝かせています。カレーを?いいえ、鑑定評価書をです。

 弊社では、不動産鑑定評価書をお客様にご提出する前に、製本しないまま数日手元にとどめおくのが通常です。というより、提出日から逆算して、立案完了から数日の空白期間を確保している、といったほうが正確かもしれません。

 なぜか。その数日の間、自分自身と事務担当者によって校正を行うのはもちろんですが、それだけではありません。
 自分自身からの『試算価格の調整段階で、異なる観点から験証すべきではなかったか?』『依頼目的の記述は、このキーワードを用いてより具体的に記述すべきではないか?』というような心の声を待っているのです。

 これまで、そのような心の声に救われたことは何度もありますが、校正途中で気付くことはむしろ少なく、気付くのはたいてい寝起きだったり、通勤途上だったり、入浴中だったりします。

 私たちの脳のOS(オペレーションシステム)というのはじつに高性能で、多種多様な情報処理を同時並行でおこなっており、その答えがふいに表示される、それを私たちはヒラメキとか思いつきと呼んでいるのだ、と以前聞いたことがあります。

 それが正しいとすれば(そして答えがふいに表示されることをヒラメキと呼んでいいならば)、ヒラメキの足りない人と言うのは、

   ① 脳に十分な情報をインプットしていない

   ② 脳の演算開始ボタンを押していない
  
   ③ 情報処理に必要なだけの時間を脳に与えていない

ということなのかもしれません。

 新米無名ブロガーの私が最近気付いたのは、このヒラメキ(のようなもの)をうまく使うと、あまりエネルギーを消耗することなく、ブログを楽に継続できるということでした。

 次回は、そのことについて書いてみたいと思います。




2013年2月15日金曜日

仕事の質を高めるたったひとつの心がけ


 「標準語」と呼ばれる言語の基礎が築かれる過程では、いわゆる言文一致運動に象徴されるように、文壇が大きな役割を果たしたとされています。
 丸谷才一もかつて、文士たちは(標準語のベースになった)山手言葉を舌なめずりしながら活写したに違いない、という趣旨のことを述べていました(原典が手元にないので不正確である点ご容赦願います)。
 当代の人気小説家でいえば、さしずめ都会のサースティな雰囲気とそこに生きる若者の空気感を見事に表現してみせる石田衣良のようなイメージでしょうか。

 石田衣良が小説の中のキャラクターをいきいきと描くことに心血を注ぐのは、当然作品をいいものにしたいからに違いありませんが、かりに登場人物たちの会話が、同時代の雰囲気を的確に伝えることに成功していないとしても、それが小説全体の出来に及ぼす影響は限定的であるとも思われます。
 でも、その一貫した姿勢が、結局は「現代の思春期世代が鮮やかに描き出されている」「都会の持つキラメキみたいなものがすごく伝わってくる」「キャラクター設定がすごくリアル」といった評価につながっているのでしょう。

 私も不動産鑑定評価書をつくる際、なるべくお客様にとってわかりやすい、役に立つものになるよう心を砕いているつもりです。
 でも、それを「すべては顧客満足のために」と言ってしまうことには、少しばかり違和感があります。不謹慎な言い方かもしれませんが、むしろ「面白がっている」という表現のほうがしっくりくる気がします。

 「継続賃料の評価にあたって、差額配分法・利回り法・スライド法・賃貸事例比較法(さらに公租公課倍率法と収益分析法を加えることもあります)の説得力に係る評価を表にして示したらわかりやすいのではないか?」「旅館の評価などで多数の建物があるとき、土地・建物・工作物の配置図を作成して、建物のアイコンを付けたら見やすいのではないか?」と楽しみながら、その思いつきをカタチにしているのです。

 実のところ、お客様のニーズはもっとシンプルなのかもしれません。しかしながら、「手慣れた感じで仕事を進めることの悪弊」というか、つねに創意工夫する心掛けがなければ、成果物も筋道だったものになりにくいのではないかと思うのです。そして、そのような心掛けは、どこかで誰かに伝わっている気がします。だから私は「神は細部にやどる」という言葉が好きです。

 ところが、極端なテンプレート主義に陥ると、ときに変な成果物が出現します。例を挙げれば、法務局と裁判所の周りに形成された商業集積の評価で、法務局に隣接している旨の記述が一切出てこない評価書を見たことがあります(地域一番店である百貨店から何キロ離れている、ということが詳細に書かれていました)。

 お客さんにとって何が役に立ち、何が役に立たないかをあらかじめ正確に知ることができない以上、「こうしたら喜んでくれるかな~」と思いつつやるしかない、というのが私の考え方です。
 つまるところ、自分の仕事の質を高めるのに、「ここはオイシイ場面だぞ」と舌なめずりしながら面白がって取り組むのにしくはないと思うのです。




2012年12月25日火曜日

サンタクロースとの対話


 昨晩、サンタクロースさんがご多忙な中、当事務所にお見えになりました。 以下は、そのときのやりとりのあらましです。

サ『やあケンイチ、ビジネスのほうはどんな塩梅かね?』

私『恥ずかしながら、今月までの売上累計実績で、前期比五割の体たらくです』

サ『ふうむ。しかし、新たなビジネスへの足がかりは築けたようだね?』

私『はい、その点は所期のもくろみを完全に達したと思っています。ただ、それなりに忙しい一年を過ごしてきて、この程度の数字しか上がらないものかと…脱力感を禁じ得ません。』

サ『ハハ、それはいかんね。しかし、私の目には、君たちはさほど魅力的とは言えない現在の収入を維持することに汲々としているように映る。不幸にしていまの収入源を失ったとしたら、挽回する、否、それをバネに一層飛躍するための手立てを考えているかね?』

私『……』

サ『…それは頭になかったようだね。君は、中小企業の経営革新を支援したりもしているようだが、経営革新をいま最も求められているのは、私の見るところ…不動産鑑定士の人たちだ。』

私『おっしゃる通りかもしれません…でも、どうすればいいのか…』

サ『きみがそんなことではいかんね。私が思うに、まずは自分たちの独占業務を根拠づけている法律まで立ち戻ってみることだ。不動産鑑定の重要性はいささかも低下していないが、その根拠法が謳う法目的は、時代にあわなくなってきている。国土利用計画法がいい例だよ。』

私『私たちは、自らの存立基盤に無頓着すぎたということですね。』

サ『そうだ。君たちが説明責任を果たすべきは、まずそこからだ。鑑定評価書の中だけの問題ではない。つぎに、クライアントひいてはその背後にいる利害関係者の期待にどうしたらもっと応えることができるか考えることだ。価格等ガイドラインはもちろん、法律ですら不変の制約条件ではないはずだよ。』




2012年8月9日木曜日

戦史遺跡と不動産鑑定士


 今日的な不動産鑑定評価の重要なテーマのひとつに、土壌汚染があります 。

 それゆえ不動産鑑定士は、対象物件の現況(植生、残置物その他)のみならず、周囲の状況、周辺地を含めた過去の利用状況(いわゆる地歴)を調査し、汚染が不動産の価格形成に影響を及ぼす可能性を判断するのが通常です。
 地歴を調べることは、歴史をひもとくことであり、しばしば太平洋戦争が残した様々な傷跡にも行きあたることとなります。

 大分県宇佐市にはいまだに旧陸軍省名義の字図混乱地域が残されたままですし、地元のお年寄りたちも知らない地下壕が張り巡らされているらしき基地跡もあります。中津市の田園地帯では、そこがかつて大手製鉄会社の大軍需工場があった場所だと知りました。熊本市では、図書館で地歴を調べるうち、沖縄戦の義烈空挺隊の発進基地が近くにあったとわかりました。
 そんなときは、わずか一瞬ですが、仕事を通じて当時に思いをはせる機会になります。

 ところで私には、戦史遺跡を見るたび、思いをあらたにすることがひとつだけあります。それは、『戦争体験から得られる知見は、ただ「ふたたび戦争の惨禍が起こることのないように」というだけではないはずである』、ということです。

 若いころ、幹事をつとめたある酒席で重役の方に乾杯のご発声をお願いした時の、その方のスピーチがいまでも印象に残っています。12月8日のことでした。

 『50年前の今日、日本海軍がハワイのパールハーバーを奇襲しました。ご存じの真珠湾攻撃です。功罪はどうあれ、その後の世界史を大きく変えた重大事件であったことは疑いありません。それを実行した搭乗員の平均年齢は21歳だったと聞きます。時代を動かすのはいつも若者です。私は、みなさん若い方々にそんな大きな期待を持っています。』

(写真は、宇佐市の城井1号掩体壕史跡公園=旧日本海軍の特攻隊基地跡です)


2012年8月2日木曜日

資料の妥当性を判断するということ


 わたくしたち専門職業家が、分析調査の過程で採用する各種のデータは、採用した時点でそれを「専門職業家として」妥当と認めたことになる。それゆえ、その提示資料が信頼するに足るものかどうかの吟味がきわめて重要となるし、資料の妥当性を判断する眼力を養う努力は欠かせない。

 以下は、私がかつて経験した案件。

 借金苦で夜逃げするのはテナントの方というのが世間の常識で、オーナーが夜逃げする時代がくるなど、かつては考えられなかった。しかしながら、不動産市況が長期低迷する中、かかる事態は決して珍しいことではなくなっている。

 ある貸店舗で、オーナー行方不明の状況下、テナント側は月額賃料の数十倍の保証金を支払ったと主張、その証拠として敷金授受の旨を記載した覚書を提示した(なお、月額賃料の何倍程度までが買受人の引き受けになるか、という論点はひとまずおく)。
 これをそのまま採用すれば、保証金の運用益を考慮した実質賃料は、月額支払賃料と相当差のある高額なものとなる。しかし、私はこの敷金授受には疑問があると判断し、その運用益を考慮しなかった。その理由は、家賃の入金口座に保証金授受の記録がなく、かつ提示された覚書は、その当時のテナントの名称ではなく、その数年後に商号変更した現在の社名での記名捺印であったからである(商号変更の経緯は法人登記簿で確認した)。

 資料の妥当性を判断する眼力が求められる点は、ドキュメンタリー作家なども同じであろう。
 澤地久枝氏の『雪はよごれていた 昭和史の謎二・二六事件最後の秘録』は、丹念な文献調査に基づき、これまで闇の中にあった昭和史の真実を暴きだした名著とされる。

 しかしながら、一読者としては、アプローチの見事さに興奮を覚えつつも、他の既出資料が意図的な隠ぺいを仕組んだもので、新たに発見した資料や証言こそが真実を語るものとなぜ言えるのかがわからなかった。当時、二・二六をめぐる軍法会議が統制派の掌中にあったことは当然で、そこから得た情報には相当なバイアスがかかっていると見る方が自然に思えたのである(昭和史の研究者である大江志乃夫先生も澤地説には疑問を呈されていた)。

 事実がどうであったか、それはわからない。明らかなことは、澤地氏が実績あるプロのドキュメンタリー作家として、これらの資料を「妥当と認めた」ことだけだ。







2012年7月20日金曜日

不動産鑑定士の鞄の条件


 よく女性が持っている平底のバッグがありますよね?中に仕切りのほとんどないやつ。私はあれが苦手です。鞄に手を突っ込んでも、なかなか目当てのものが取り出せないからです。まるで「これでもない、あれでもない」と毎度ドラえもんみたく騒いで、相当イライラ感がつのります。
 
 今日は、私が毎日持って歩いている鞄のことを書きます。

 二年半使い倒した鞄が劣化してきて使いづらくなったので、本日とうとう新品に買い替えました。先代は、母がバザーだかフリマだかで1,000円で買ったものを貰い受けたと記憶しています。地価公示分科会の資料でパンパンにしたり、肩掛けにして傾斜35度の山中に分け入ったりといった酷使によく耐えてくれました。唯一の欠点は、自立しにくい(床に置くと倒れやすい)ことでした。


 では、後継鞄としてどんなものを選ぶべきか。現地調査が不可避の仕事柄、不動産鑑定士に高級なレザーの鞄は似合いません。重いし、高価だし。軽くて、雨に強くて、堅牢で、中身を取り出しやすい、安価なナイロン製が一番です。


 先代の鞄にはポケットがたくさん付いていて、電卓はここ、縮尺定規はここ、認印はここ、と常備品の格納場所を全部決めていたので、暗がりでもサッと取り出すことができました。でも、鞄が新しくなって、格納場所がまるで変わってしまったので、慣れるまでしばらく時間がかかるかもしれません。
 今回は、先代以上に機能的な鞄を選んだつもり。水筒も、折りたたみ傘もうまく収納できます。自立します。早く慣れて、ストレスフリーで仕事に集中したいものです。




2012年6月29日金曜日

不動産鑑定士のクルマ考


 先日、長年連れ添った愛車に別れを告げ、18年ぶりに新車に買い替えました。
 従前と同じ国産SUV、但し今回はディーゼルです。まだ満載のアクセサリー類をほとんど使いこなせていませんが、この18年間のクルマの進歩には、驚嘆しているところです。
かねてからBMWのファンであった私としては、3シリーズが乗り換えの第一候補、アウディA4クワトロが第二候補だったのですが、経済的理由と以下の「不動産鑑定士のクルマが備えるべき要件」を総合的に勘案した結果、上記の選択となりました。心残りが全くないと言うとウソになりますが、まずは順当な選択であったと思います。


 思うに、私のような田舎の不動産鑑定士は、クルマの使い方に次のような特徴があります。
1 バス・鉄道網が発達していないので最重要(というよりほとんど唯一)の移動手段である。
2 移動距離が比較的長い。ゆえに好燃費や疲労の少ないことが重要となる。
3 屈曲の多い狭隘道路を通行する機会も少なくない。ゆえに大型車は好ましくない。
4 台風・降雪・路面凍結時に長距離移動を強いられることがある。
5 未舗装・高勾配の林道を走破できる能力が求められる。
6 わだちが深く刻まれた未舗装道路を通行することがある(最低地上高は高めに)。

 2WD車で久住山の雪の坂道が登れず立ち往生した経験や、早朝に路面凍結した山間部の沈み橋をおずおずと渡った経験等から、今回は上記4~6を特に重視し、国産SUVにしました。足ながら付け加えれば、現地に外車で乗り付けることが望ましくないこともありうる点も、併せて考慮した結果です。
 あとは、新しい相棒がその真価を発揮できるようなお仕事が戴けることを祈るばかりです。とはいえ、買って間もない新車に早速キズは付けたくはありませんが。




2012年5月29日火曜日

不動産鑑定士のスーツ考


 大分弁に「一張羅」を意味する「県庁着」(けんちょうぎ)という言葉があります。語源はくわしく知りませんが、おそらくは「県庁に着て行くようなよそいきの服」ということだろうと思います。

 ところで、私が一昨年作った冬物の県庁着は、試着以来一度も袖を通すことなく、また二度目の衣替えを迎えつつあります。
 奇しくも明日は県庁に伺う予定なのですが、この気温では夏物スーツが妥当でしょう。県庁着の出番は、早くとも晩秋になりそうです。

 われわれ田舎の不動産鑑定士は、市街地のみならず山林原野を駆け回ることも多い反面、その足で役所に出向くのが普通ですから、調査時は(よほど山深く分け入るとき以外は)スーツを着ていることが多いです(長靴はクルマのトランクに常備しています)。
 したがって選ぶスーツはあくまで実用本位、多少木の枝に引っ掛けても気にならないものが最適といえます(一度、おろしたてのスーツのひざを破いて、補修に八千円かかったことがありますが、このときは、どこを補修したのかわからないくらい、完璧な仕上がりでした…)。

 県庁着には申し訳ないけど、かかる実用本位のスーツを着ていくのがはばかられる場面が来るまで、風にあててもう少し眠っていてもらうつもりです。



2012年3月30日金曜日

不動産鑑定士が抱く「署名」への格別の思い

 かねてからお世話になっている不動産鑑定士のH先生が先般、所属鑑定機関の社長に就任された。

 そのお祝いとして、ささやかながら某文具店のオリジナル万年筆をお送りした。プロトタイプである大手メーカー品よりも書き味において優ると専らの評判で、私自身かねてから欲しかった一本であった。

 先生ご本人の使用感はまだうかがっていないのだが、「一度万年筆の書き味に慣れたら手放せませんよ。不動産鑑定書に署名するときにも良いかもしれません。」と私が言うと、「でも俺、きっと無くすぜ」とおっしゃる。そこで「普段使い用だから、無くしてもあきらめがつきますよ」と申し上げた。

 私たち不動産鑑定士にとって、「署名」には格別の意義・思いがある。自ら立案した不動産鑑定評価書に署名捺印する一瞬は、改めて「これが俺の意見だと胸を張れるか」と自問するときでもある。「留め、はね、払い」がうまくいかなかったら書き直すくらい普通だ。

 事務担当者による校正後、さらに一読し、署名する。署名した後も、もう一度評価書の内容を吟味する。そこでようやく、事務担当者の製本作業に委ねるのが私の習いになっている。

 このささやかなプレゼントが、先生のそんな「一瞬」の一助になるなら、私にとって多としなければならないだろう。
 (2012.2.26)

保有資産の市場価値下落が気になりますか?

 私の許には、「気になりませんか?愛車の現在価格!」というセールスレターがよく届きます。


 あいにく私は愛車の現在価格などまったく気になりません。何しろ実用15年、走行距離11万km近い私のクルマの現在価格など5万円にも満たないことでしょう(いやむしろ廃車費用が顕在化してもっと安いかも?)。

 そもそも、現に保有している資産の市場価値が気になるのは、どのようなケースでしょうか。

 ①利用していないとき。または有効利用度が非常に低いとき。
→クルマでいえば、半年に一度ドライブに行くだけ、というようなケース。年2回レンタカーを調達する代替案と比較考量すべきでしょう。

 ②より市場価格の低い代替資産で、同等の効用が得られるとき。
→クルマでいえば、通勤用にポルシェを使用しているようなケース。ステイタス性などを考慮外とすれば、コンパクトカーのほうが適当かもしれません。

 ③運用コストが有意に低い代替資産がある場合。
  →クルマでいえば、ハイブリッドカーとの買い替えを検討する場面に相当します。

 以上を要するに、現用中の資産を保有し続けると損になるおそれがあるとき、といえそうです。

 「なんでも鑑定団」で中島誠之助さんが『器は使ってこそ価値が出る』とおっしゃっていました。
 企業用不動産(CRE)も事情は同じ。使ってこそ、それも経営の本旨に沿った利用をしてこそ価値が生まれます。不動産が持つインフレ耐性の強さは否定しませんが、遊休物件の継続保有が許容されるのは、将来本業に活用する予定があるものなど、限られたケースと言えそうです。

 但し、上記のクルマの例と同様、現に利用中の不動産といえども有利な代替資産との比較は欠かせません。他方、事業に不可欠な資産として稼働しており、かつそれが事業継続が可能なだけのキャッシュフローを生む見込みがあるならば、不動産市況の悪化など、関心を持つ必要はないでしょう。
 (2012.1.9)

「お墨付き」の真価を問われる「お墨付き産業」

 不動産鑑定業は「ソリューション産業」であると同時に「権威産業」「お墨付き産業」の側面を有しています。
 鑑定評価書というお墨付きによって、価格の正当性を示し、もって当事者を合意に導いたり、トラブルを未然に防止したりといったソリューションを提供する産業、という言い方もできるでしょう。

 いわゆる「かんぽの宿」問題は、かかる不動産鑑定業の本質に関わるような重要な問題を提起しています。

 『国土交通省は26日、旧日本郵政公社が依頼した宿泊・保養施設「かんぽの宿」の一括売却に絡む不動産鑑定で不当な評価をしたとして、不動産鑑定士4人を業務禁止や戒告の懲戒処分、不動産鑑定業者1社を戒告の監督処分にしたと発表した。また13人を文書注意、1社を口頭注意の行政指導とした。国交省によると、鑑定士らは平成19年8月末にかんぽの宿の評価書を公社に提出。事前に公社に示した原案から大幅に価格を引き下げた理由に合理性がない上、実地調査していない物件や、つじつまの合わない記載があり、不当な鑑定評価と判断した。鑑定士が原案を示した際、公社側は「早期に売却したい。今の市場で売れるのか再検討してほしい」と伝えたという。』(2011.8.26産経ニュース)

 本件では、依頼者側から「低めに評価してほしい」という要請、いわゆる『依頼者プレッシャー』があったことが非常に大きく採り上げられています。
 しかしながら、何らかのソリューションを目的に鑑定評価を依頼している依頼者が、「なるべく安ければ(高ければ)いいな」という期待を持つのはむしろ当然です。依頼者プレッシャー、とひとことに言いますが、相当に執拗かつ悪質な強要があった場合はともかく、プレッシャーが不当鑑定の理由になるのならば、「鑑定評価額は不動産鑑定士の主体的意見である」という前提そのものが覆ってしまいます。

 依頼者の意向に盲目的に従っておいて、「お墨付き」としての真価が問われたときに合理的な説明資料とはならず、「依頼者プレッシャーの結果です」となったのでは、何のための鑑定評価かわかりません。

 「もう少しコストダウンできない?」というクライアントの真意は、「粗悪品を作れ」ということでは決してないでしょう。不動産鑑定士は、依頼者に寄り添い、適切なソリューションを目指しつつも、合理的な価格のありどころを依頼者にこそ示せなければならないと思います。
 本件が「不動産鑑定業の重大な危機」を示していることは間違いありませんが、「ソリューション産業」としての不動産鑑定業は、遅まきながら「お墨付き」の中身をも問われ始めたことで、一層成熟する機会を得たのかもしれない、とも思うのです。
 (2011.9.23)