2013年10月7日月曜日

大人の勉強と子供の勉強

 子供の勉強は、すでにある答えを習うもの。これに対して、大人の勉強は、正解のない問題について自分なりの答えを出す側面が強いように思います。

 学ぶ側にしてみれば、大人の勉強の方がより自由度があります。なにせ明らかな不正解はないわけですから。でも、教え導く立場から見ると、大人の勉強の方が余程大変です。

 大人に勉強を教えるには、各人各様の妥当な結論に行き着くよう導けるだけの力量が求められるからです。

 換言すれば、大人の勉強をも、まるで子供の勉強のように扱うならば、教える側は非常にラクになります(各人に個別の示唆をもたらすのは大変ですが、ダメ出しをするだけなら簡単です)。でも、学び手が本来得るべき「気づき」は限られたものになるでしょう。
 それゆえ、教える側がまず学び手に伝えるべきは「大人としての勉強のあり方」だと思います。

 もとより、誰かを(自分も知らない)正解へと導くというのは、並大抵のことではありません。でも、ここに教え導くという行為の深淵さとやり甲斐があると思うのです。

 ごく狭い自分の知識や経験だけに照らして(あるいは何かの書物などに依拠して)、さもそれが唯一の正解のように振る舞う講師を見ると、『この人は自分の力で自分なりの答えに行き着いたことがないんだろうなあ~』とちょっぴり気の毒になります。



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