今日は、長女の十一回目の誕生日です。
生意気さと子供っぽさが同居しているのがこの年代の特徴かもしれませんが、相変わらず全てを母親に依存する一方、最近えらく母親に口ごたえをするようになりました。まあ、これも成長の一環と見て、母親と娘の間への軍事介入は控えています(宿題を見てやる、夏休みの宿題に協力するなどの宣撫工作は続けています)。
娘の成長にかこつけて言えば、願わくば娘には「あいつのいうことなら聞いてやろう、力になってやろう」と言われるような人になってほしい。誤解のないように念のため付け加えますが、人脈作りが大事、というのとは少し違う気がします(「人脈」という言葉は人を金づると捉えるような響きがあって嫌いです)。
残念なことですが、私は優秀なサラリーマンではありませんでした。いまでもたまに思い出す大きな失敗がいくつもあります。でも、退職後に当時上司だった方に聞いたら、お仕事で関係のあったいろいろな方たち(お取引先や関連会社や社内の他の部署の人たち)が「あいつ、可愛いとこあるんだよなあ」「あいつがやりかけたことは無駄にしない、俺に任せておけ。」といろいろカバーしてくださったのだそうです。
たとえ、さして能力や実績がなくても、可愛げのある奴には手を差し伸べてくれる人もいる、ということでしょうか。ところで、私のどこに「可愛げ」があったか、うまく自己分析できませんが、もしかしたら失礼な言動などを「素直に詫びる態度」が評価してもらえたのかもしれません(それが組織の論理に反する場合があることはご存じの通りですし、そもそも失礼な言動などないに越したことはありません)。
重ねて残念なことですが、私は心の広い人間でもないので、逆に「あんな奴のために力を尽くして損をした」と思ったことが何度もあります。そう思わない人間になれれば越したことはないけれど、娘にはせめて手を差し伸べてくれた人に、後から「やっぱり助けてやってよかったな」と思われるような人になってほしい、とは切に思います。父親は、読書を楽しむ習慣以外、何も授けてやれないけれど(後掲はイメージ画像です)。
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