黒澤明監督初めてのカラー作品として知られる映画「どですかでん」は、山本周五郎のオムニバス小説「季節のない街」を忠実に映画化したものです。
この作品の中に、三谷昇演じるインテリの乞食が登場します。彼は、幼い息子に残飯あさりをさせ、自分はただ、豪邸を建てるとしたらどんな間取りにするか、一日じゅう空想に耽っています。
自分のせいで息子が食当たりで苦しむのを見ても、医者に診せるとか、誰かに助けを求めることもせず、件の空想をやめようとはしません。ついには見殺しにしたかたちで息子を亡くしても、その墓穴を豪邸のプールに見たてて、飽くまで空想の世界にしがみつこうとします。そんな彼を見て黒澤の分身でもある老人(渡辺篤)は、「可哀想な人だ!」と慨嘆するのです。
事業に対する思いや夢を熱く語るのは自由です。自由ですし、それが事業の原動力になることは言うまでもないことです。
この作品の中に、三谷昇演じるインテリの乞食が登場します。彼は、幼い息子に残飯あさりをさせ、自分はただ、豪邸を建てるとしたらどんな間取りにするか、一日じゅう空想に耽っています。
自分のせいで息子が食当たりで苦しむのを見ても、医者に診せるとか、誰かに助けを求めることもせず、件の空想をやめようとはしません。ついには見殺しにしたかたちで息子を亡くしても、その墓穴を豪邸のプールに見たてて、飽くまで空想の世界にしがみつこうとします。そんな彼を見て黒澤の分身でもある老人(渡辺篤)は、「可哀想な人だ!」と慨嘆するのです。
事業に対する思いや夢を熱く語るのは自由です。自由ですし、それが事業の原動力になることは言うまでもないことです。
しかしながら、その実現に向けた道筋を自ら着実につけていくことなしに誰かに仮託するだけなら、単なる駄々っ子と変わりません。そういう人達の夢は、決まってリアルじゃない。夢だからリアルじゃないのではなく、借りものだから、自ら考え抜いたものではないからリアルでないのです。
厳しい指摘には耳を貸さず、都合のいい話だけを聞いて夢の世界に遊ぶなら、その人は起業家などではなく、三谷昇演じるインテリの乞食と変わりません。
厳しい指摘には耳を貸さず、都合のいい話だけを聞いて夢の世界に遊ぶなら、その人は起業家などではなく、三谷昇演じるインテリの乞食と変わりません。
我々はもはや「可哀想な人だ!」と慨嘆するしかないのでしょうか。実に残念なことです。
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