八月は、私たち日本人にとって、過去を振り返り、亡くなった人に思いを馳せる月。
ブログの主旨からは逸脱しますが、今月は太平洋戦争にちなんだ話題をとりあげたいと思います(もうずいぶん前から「不動産鑑定士の隣接周辺業務」というメインテーマから離れっぱなしという気もしますが…)。
坂井三郎といえば、64機撃墜の記録を持つ零戦のエースパイロット。著書『大空のサムライ』の原著である『坂井三郎空戦記録』は、『SAMURAI』のタイトルで英訳され、海外でもベストセラーになったと聞き及びます。
欧米人が零戦に対して抱く「東洋の神秘」めいたイメージは、ことによると彼の著書の影響に負うところが大きいのかもしれません。
以下に、彼の著書の中でも、最も私の印象に残った逸話について、その要旨を掲げます。出典は坂井三郎著『続・大空のサムライ』(光人社)です。
坂井たちは、ラバウルにきてまもなく、ある噂を耳にした。その噂というのは、中攻隊に新たに配属された一機は、一時敵(土民軍)の捕虜になった経緯があり、それで上層部から「早く自爆させよ」という指令が出ている、というものであった。
彼らはいつも、最も敵に狙われやすい編隊の右最後尾を与えられ、宿舎でも暗い表情で他の隊員たちに遠慮しているというのである。
憤りを感じた坂井は、相棒である二番機の本田敏秋二飛曹に告げた。
「そんな馬鹿なことがあってなるものか。命をかけた俺たちの戦友、仲間ではないか。零戦隊の意地にかけても、この一機は守り通すぞ。」「指揮官機を落とされようとも、 あの機だけは何としても守りましょうよ。」と本田も応じた。
ただ、肝胆相照らす仲の笹井中隊長には告げなかった。 いかに笹井といえども、 こうした下士官の意地は理解してもらえないと思ったからだ。
機会は翌日、早速やってきた。 中攻隊右翼の護衛を命じられたのだ。もちろん、 たとえ左翼の護衛を命じられたとしても、命令を無視して 勝手に(くだんの中攻がいる)右翼の護衛に回るつもりだった。
坂井が中攻隊に近付いていくと、 各機の搭乗員達が「よろしく頼むぞ」というように手を振ってきたが、 接触の危険があるほどになおも接近してくる坂井の異例の行動には驚いた様子だ。
右翼最後尾を飛ぶ、くだんの中攻のすぐ横に機体を寄せた坂井は、 風防を開け、「頑張れよ!命を粗末にするなよ!必ず守るからな! 」と叫んだが、エンジンの爆音にかき消され相手には届かない。ただ、 坂井が一生懸命何かを伝えようとしていることはわかったようだ。
飛行手袋を手旗代りに信号を送ろうと試みたが、 上手くいかない。焦る坂井に、二番機の本田が知恵を授けてくれた。 風防に字を書いたらよかですよ。
それだ!と思った坂井は、風防に一字一字ていねいに逆文字を書いた。
ム…ダ…ニ…シ…ヌ…ナ…
キ…ミ…タ…チ…ハ…オ…レ…タ…チ…ガ…カ…ナ…ラ…ズ…マ…モ…ル…
ガ…ン…バ…レ…
一人が双眼鏡で文字を読み取り、一人が記録板に書き入れていた様子だったが、ようやく伝わったらしく、全員で手を挙げて了解の合図を返してきた。
坂井は、ほっとすると同時に、命にかけてこの一組の搭乗員たちを守ることをあらためて心に誓ったが、自分があの立場だったらどんなに辛いだろう、と思うと涙が止まらなかった。上官の命令どおりに行動した搭乗員がこんな処遇を受けることがどうしても納得いかなかった。彼らに対する同情ではなく、自分たち自身にとって重大事だと思ったのだ。
坂井たちはその後も、何度となく中攻隊の護衛についたが、彼らに対しては一度も敵戦闘機の攻撃を許さなかった。
聞くところによると、彼らは、のちにガダルカナル方面で壮烈な戦死を遂げたとのことであるが、この戦死は強要されたものではなかったという。
(注)中攻とは、「中攻」とは、「陸上中型攻撃機」の意味。海軍が地上の基地から運用する双発の雷撃・爆撃機です。ここでは、九六式陸上攻撃機を指していると思われますが、一式陸上攻撃機(中攻に対して陸攻と呼ばれる)である可能性も否定できません。
追記
私自身はまだ見ていませんが、上記のエピソードは、藤岡弘主演で制作された東宝映画『大空のサムライ』(1976年)にも採り上げられ、くだんの中攻の機長を地井武男が演じているそうです。
関連記事
終戦の日に(宇佐海軍航空隊のお話) http://areasurvey.blogspot.jp/2012/08/blog-post_15.html
戦史遺跡と不動産鑑定士 http://areasurvey.blogspot.jp/2012/08/blog-post_9.html
宇佐市平和資料館に行ってきました http://kencrips.tumblr.com/post/57599917221
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坂井三郎といえば、64機撃墜の記録を持つ零戦のエースパイロット。著書『大空のサムライ』の原著である『坂井三郎空戦記録』は、『SAMURAI』のタイトルで英訳され、海外でもベストセラーになったと聞き及びます。
欧米人が零戦に対して抱く「東洋の神秘」めいたイメージは、ことによると彼の著書の影響に負うところが大きいのかもしれません。
以下に、彼の著書の中でも、最も私の印象に残った逸話について、その要旨を掲げます。出典は坂井三郎著『続・大空のサムライ』(光人社)です。
坂井たちは、ラバウルにきてまもなく、ある噂を耳にした。その噂というのは、中攻隊に新たに配属された一機は、一時敵(土民軍)の捕虜になった経緯があり、それで上層部から「早く自爆させよ」という指令が出ている、というものであった。
彼らはいつも、最も敵に狙われやすい編隊の右最後尾を与えられ、宿舎でも暗い表情で他の隊員たちに遠慮しているというのである。
憤りを感じた坂井は、相棒である二番機の本田敏秋二飛曹に告げた。
「そんな馬鹿なことがあってなるものか。命をかけた俺たちの戦友、仲間ではないか。零戦隊の意地にかけても、この一機は守り通すぞ。」「指揮官機を落とされようとも、
ただ、肝胆相照らす仲の笹井中隊長には告げなかった。
機会は翌日、早速やってきた。
坂井が中攻隊に近付いていくと、
それだ!と思った坂井は、風防に一字一字ていねいに逆文字を書いた。
ム…ダ…ニ…シ…ヌ…ナ…
キ…ミ…タ…チ…ハ…オ…レ…タ…チ…ガ…カ…ナ…ラ…ズ…マ…モ…ル…
ガ…ン…バ…レ…
一人が双眼鏡で文字を読み取り、一人が記録板に書き入れていた様子だったが、ようやく伝わったらしく、全員で手を挙げて了解の合図を返してきた。
坂井は、ほっとすると同時に、命にかけてこの一組の搭乗員たちを守ることをあらためて心に誓ったが、自分があの立場だったらどんなに辛いだろう、と思うと涙が止まらなかった。上官の命令どおりに行動した搭乗員がこんな処遇を受けることがどうしても納得いかなかった。彼らに対する同情ではなく、自分たち自身にとって重大事だと思ったのだ。
坂井たちはその後も、何度となく中攻隊の護衛についたが、彼らに対しては一度も敵戦闘機の攻撃を許さなかった。
聞くところによると、彼らは、のちにガダルカナル方面で壮烈な戦死を遂げたとのことであるが、この戦死は強要されたものではなかったという。
(注)中攻とは、「中攻」とは、「陸上中型攻撃機」の意味。海軍が地上の基地から運用する双発の雷撃・爆撃機です。ここでは、九六式陸上攻撃機を指していると思われますが、一式陸上攻撃機(中攻に対して陸攻と呼ばれる)である可能性も否定できません。
追記
私自身はまだ見ていませんが、上記のエピソードは、藤岡弘主演で制作された東宝映画『大空のサムライ』(1976年)にも採り上げられ、くだんの中攻の機長を地井武男が演じているそうです。
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