2013年8月19日月曜日

読書で出会う理想のリーダー像(その1)

 前回は『リーダーは優れた人間でなくてはならないか』と題して、リーダーシップに関する話題をとりあげました。

 言わんとしたのは、今日的な理想のリーダーは「ひそかなリーダーシップでメンバーのリーダーシップを喚起する」人物なのではないかということです。

 しかし書物をひもとくと、かかる人物は昔からいたのだということがわかります。
 たとえば中国戦国時代の代表的兵法家である孫臏が著した『孫臏兵法』。孫臏は『孫子』の作者孫武の子孫で、斉の軍師としてその辣腕を天下に知られた人物です。

 以下は、その孫臏のエピソードです。

 魏恵王が邯鄲を攻めようと、将軍龐涓に命じて8万の兵を茬丘に進めさせたときのこと。斉威王は将軍田忌に迎撃を命じたが地の利は明らかに敵方にあった。

 田忌はすぐさま攻撃を受けている衛を救おうとするが、孫臏はこれを制止した。「衛を救わずにどうするのか」と問う田忌に、孫臏は「南下して平陵をお攻めください」。斉軍は進軍して平陵に急行した。

 孫臏は「参軍している将軍たちの中で、無能な者は誰でしょうか」と問うた。 田忌は「斉城と高唐であろう」と答えた。孫臏は「斉城と高唐に敵を攻めさせてください」と言った。
 斉城と高唐が平陵に攻め寄せると、魏軍はたちまちその背後に迂回してこれを挟撃したため、斉軍は大敗、斉城と高唐は戦死した。

 田忌は孫臏に「平陵は攻め取ることもできず、斉城と高唐は敵に破られた。どうしたらよかろう」と言った。孫臏は「どうか身軽な兵車部隊を作り、 大敗の腹いせに大梁で略奪行為を働いているよう見せかけ、敵を激怒させましょう。さらに軍を分散して進軍させ、寡兵であると見せかけましょう」と答えた。

 こうした斉軍のありさまを見て、敵将龐涓は輜重を捨てて昼夜兼行でかけつけてきた。斉軍は愚かで士気も低く、戦力は低下している。まさに勝機とみたのである。

 しかし、斉軍が繰り返した数々の拙攻は、魏軍に自ら地の利を捨てさせるためのワナだった。満を持した斉軍はついに強行軍に疲れ切った魏軍を桂陵でさんざんに打ち負かし、龐涓を捕えた。

 このエピソードに感嘆したのは、じつは孫臏の知略縦横ぶりゆえではありません。田忌将軍の器の大きさというか、忍耐と揺るがない姿勢に心を打たれたのです。

 田忌将軍と孫臏のやりとりは、まるでドラマ「相棒」における杉下警部と神戸くん(または甲斐くん)の関係のようではありませんか?田忌将軍のほうがはるかに目上なのに。しかも、孫臏は献策の真意を田忌将軍に伝えようとはしていません。

杉下警部 『これで事件の全貌がわかりました。』
神戸くん 『どうわかったんでしょう?』
杉下警部 『きみにもすぐわかります。』
神戸くん 『いま教えてくれないんだ。(独白)』 というような感じ。

 それでも年の功か、田忌将軍は素直に孫臏の献策を受け入れ続けました。田忌という優れた上司がいなければ、斉の勝利も、孫臏の名が天下に轟くこともなかったというべきでしょう。


なお、上記エピソードは、以下のサイトの記事を参考に再構成したものです。

   孫臏兵法  http://www006.upp.so-net.ne.jp/china/book24.html



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