2013年8月15日木曜日

戦争詩を愛でてはいけないのですか

 きょうは終戦の日。前々回、前回に続き、もうひとつだけ太平洋戦争の話題をとりあげます。

二つなき祖国のためと

二つなき命のみかは

妻も子も親族(うから)も捨てて

出でましし彼の兵の

徴ばかりの御骨は還り給ひぬ

 三好達治の詩「おんたまを故山に迎ふ」の一節です。

 この詩を知ったのは、TBSが1997年に放送したドラマ『向田邦子終戦特別企画「蛍の宿」』がきっかけでした。

 航空隊基地のある町で遊廓を営むすず子(岸惠子)を母のように慕う航空隊士官・稲垣(椎名桔平)が好きだった詩、という設定でした。一貫して空襲の場面も特攻の場面も出てきませんが、戦争を描いて人のこころをうつのにそれは必要ないことを見事に証明したドラマでした。終盤、ナレーター黒柳徹子の語りが涙声になったことをいまでも鮮明に覚えています。

 この詩の作者である三好達治は、その旺盛な創作活動の割には、詩人として評価されていない印象を受けます。それは戦時中、多くの戦争詩をつくって「戦争に協力した」ことが大きく作用しているのだと思います。

 当時、多くの文学者や芸術家が創作活動や戦地報道・慰問などさまざまな形で戦争に協力しました。残された戦争絵画や音楽には素晴らしいものも少なくありません。
 しかしながら、現在に至るも、それらに光があてられることは少なく、とりあげられる場合も否定的なニュアンスであることがほとんどです。
 その背景には、大東亜戦争はあってはならない戦争だったのだから、その戦争に協力したものは罪人であり、戦争協力的な色彩を帯びた文学や音楽には積極的な評価を与えてはならない、という無言の合意があるのでしょう。

 芸術家の戦争協力を批判的にとりあげた図書としてまっさきに思い浮かぶのは森脇佐喜子「山田耕筰さん、あなたたちに戦争責任はないのですか」(梨の木舎1994)です。たしか、恵泉女学園大学の学生であった彼女の卒業論文をベースにした著書だったと記憶しています。

 内容に惹かれ一読しましたが、山田の戦争協力の経緯を史料に基づいて丹念に追っており、「大学生の卒業論文としてはまさに出色の出来栄え」でした。しかし、私の記憶の限りでは、本書のどこにも「戦争責任とは何か」についての突っ込んだ記述はなかったと思います。

 わたしは常々、現在の「護憲」「改憲」「脱原発」「教育再生」といった活動に積極的に取り組まれている方々に対し、主張の違いを超えて敬意を表したいと思っていますが、彼ら「率先者」もいつか「何もしなかった人たち」や「たんなる追従者たち」に断罪される日が来るのかもしれません。

<参考サイト>

評価されない偉人、山田耕筰

 http://www.tsurukame.com/hall/critique9608.html










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