2013年1月30日水曜日

私の経営支援ツールを公開します


 不動産鑑定と中小企業支援という二足のわらじを履いている私にとって、仕事モードの切り替えはとても大事です。

 そこで、中小企業支援の際に携行するツールは、下の写真のように「支援キット」としてボックスファイルにまとめておき、すぐ持ち出せるようにしています。

 キットの中身は、次の通りです。

  (1)支援日誌フォーム

  (2)課題の構造化チャート

  (3)店舗フォーマット検討シート〔小売店と飲食店の二種〕

  (4)マーケティングミックス検討シート

  (5)図版集(B5バインダーノート)

  (6)A4スケッチブック


 これらのうち、(1)~(4)は、議論をしたり、その結果を整理するためのフォーマットです。必要に応じて使い分けています。もちろん、これら以外に、ケースに即したフォーマットを作成して用いることもあります。

 (5)は自作・他作の図版のスクラップブックです。目次を付けて参考先例として活用しています。

 (6)は、いわばホワイトボード代わりに持ち歩いているものです。その場で図解して、それを見ながら話を進める際に重宝します。スケッチブックに描くときは、筆記用具として、ぺんてるのプラマン(万年筆みたいなサインペンです)を使っています。

 工具の「キット化」は、製造現場では、現場改善の一環としてしばしば見られる取り組みですが、オフィスにおいても、アタマと書類の整理に役立っていると感じます。



2013年1月27日日曜日

「インフォメーション」と「インテリジェンス」


 角間 隆『スクラップ術』(ごま書房 1987)に掲げられていたエピソード。

 第二次世界大戦中のこと、ヒトラーはドイツ軍の動静、すなわち部隊配置、人事異動などが、連合軍側につつぬけであることに気付きました。

 「軍の内部にスパイがいるに違いない。即刻探し出せ!」。ヒトラーの厳命を受けた軍部と秘密警察は、必死の捜査を行った結果、ヒトラーに次のように報告したそうです。

 「総統閣下。情報の出所はわが忠実なる新聞社でした」。要はこういうことです。イギリスなどの諜報部は、ドイツ国内の日刊新聞を入手し、冠婚葬祭や地方行事などの記事を丹念に拾っていました。名士である師団長や参謀長がそれらに出席したことがわかれば、さまざまな関連情報と突き合わせて、部隊の転進や指揮官の異動の事実を探り当てていたのです。

 「インフォメーション」と「インテリジェンス」。日本語に訳せば、いずれも「情報」を意味する言葉ですが、前掲のエピソードは、まさに「インフォメーション」と「インテリジェンス」の違いを物語るものといえます。インテリジェンスはいわばインフォメーションを収集し、分析し、その含意を評価したもの。だから、インフォメーションは誰にとっても情報ですが、インテリジェンスは「感じる力」を持った人だけに利益をもたらす情報と言っていいかもしれません。

 地道にデータをとったり、繰り返し考えたりといった手間を厭う風潮の強い今日でも、メモ用紙を片手に日刊新聞を読んでいる人は確実にいます。
 新聞に掲載されている記事はあくまでインフォメーションに過ぎませんが、別のインフォメーションや、自分の知識経験・問題意識と組み合わせれば、インテリジェンスに転化する可能性は大いにあります。

 これは、新聞に限ったことではありません。日常会話でも、仕事上のやりとりでも同じです。
 出会う人にどんどん雑談を仕掛けていく人は、余程雑談好きなのだろうと以前は思っていましたが、どうもそれだけではなさそう。多様な人との雑談が何かのヒントを生むことを体験的に知っているのかもしれません(旅人を大事にする地域性もこれに通ずるところがある気がします)。

 このようにして、感じる人と感じない人の隔たりは、どんどん大きくなっていくもののようです。




2013年1月24日木曜日

中小企業支援が陥りやすい陥穽


 「ポスト円滑化法」体制に向けて、中小企業支援制度はさらに充実度を増しつつあるかに見えます。商工団体、金融機関、行政機関、大学などの教育研究機関、民間コンサルタントなど、さまざまな人たちが、自分の担当職務や得意分野において、中小企業に多様な支援を提供しています。

 ところが、この「中小企業支援の充実ぶり」が、中小企業の適正な経営の方向づけをむしろ阻害している面がないでもありません。端的に言って、助成制度の乱立が経営者を地道な経営努力から遠ざけてしまっている面は決して否めない気がするのです。

 「中小企業支援≒補助金」とも言える環境下では、経営者の意識を事業そのもののブラッシュアップと実践に向けるのに苦慮することがあります。経営者が補助金を獲得することにエネルギーを傾注し過ぎ、肝心の事業そのものがおろそかになったのでは、何のための支援かわからなくなるからです。

 大変残念なことですが、本来「会社経営をバージョンアップするためのロードマップ」であるはずの経営計画が、助成金獲得や資金調達のための作文と認識されているケースは決して少なくありません。中小企業支援に関する専門的資格者である中小企業診断士も、半ば「助成金獲得のための代書屋」と見られている節もあります。

 関係者ならばご承知のことでしょうが、数年間続いた「巡回アドバイザーバブル」「専門家派遣バブル」が崩壊とは言わぬまでも、大きな転換期を迎えつつあることは疑いないところです。

 このような環境下、中小企業支援に携わる私どもは、今後、経営支援の専門家としての能力・経験とともに、その品性をもあらためて問われようとしています。『助成金獲得のための代書屋に甘んじるのか』と。






2013年1月17日木曜日

「経験知」は経験値に比例しない


 先日、スポーツ精神の未熟と過度の経験主義があいまって招く悲劇について書きました。

 経験主義が跋扈するのは、もちろんスポーツの世界だけではなく、私が身を置いている中小企業支援の世界も同様です(幸い、経験以外のところで評価を行う能力と見識のある人たちもおられることが救いです)。

 私の見るところ、経験至上主義の人たちには、ふたつの共通項があります。

 ひとつは、自分が不十分な知識経験しか持たない領域では、経験者の見解を何の疑いも持たず全面的に受け入れること。
 もう一つは、非経験者の意見にはきわめて冷淡・無関心であることです。
 「物事の適否を判断する自信がないから、経験に寄りかかるんじゃないの?」と疑いたくなってしまいます。

 そもそも、経験が重んじられる理由は、豊かな経験からもたらされた「経験知」には表面的な知識やノウハウ(知識知)にない大きな価値があるからにほかなりません。

 中小企業支援に即して言うなら、例えば次のようなことでしょう。

 本件支援のパースペクティブをどう描いたのか。それはなぜか。どのようなツールを用いるのか。その狙いは何か。次のステージに移行することの可否をどこで見極めるのか。表面的な課題の下に見え隠れしている真の課題にどう接近していくのか。
 これらのうちある程度は、知識知で説明がつくものですが、それだけでは割り切れないところが少なからず残ります。わかりやすいのは、数ある分析ツールの中から、直感的に「本件に適用するツールはこれ!」と選び出すところでしょう。

 このような「経験知」は、漫然と場数を踏んだだけでは得られないものです。「経験知」が経験値(ゲーム用語か?)に比例すると認識しているとしたら、それは誤りだと思います。

 痛くない注射針で知られる岡野工業の岡野雅行氏は、大企業の担当者に「おたくには技術はあることがわかったが、実績がないから…」といわれて、こう返したそうです。
「あんた、女房もらう時も実績で決めたのかい?」。
 当然、大げんかになりました。その後、先方から取引したい申し出があったときの彼の返事はさらに奮っています。
「無理だよ。おたくの会社にはうちとの取引実績がねえじゃねえか」。

 経験者・非経験者などという表面に惑わされず、実質を捉える目を養いたいものですね。






 

 

2013年1月16日水曜日

お客さんを不安にさせる人たち


 免許証の更新研修のときのことです。五十代位のご婦人二名と一緒に講習を受けました。
 講師が、『交差点で左折する時、ウインカーは交差点の手前何メートルで上げるべきですか』と左側のご婦人に聞きました。
 彼女の返答は、『すみません、私、クルマの運転はしないものですから…』。講師は困って絶句していました。

 Facebookをやっておりますと、同じような事態に遭遇することがあります。その道のプロを自認する人が、ごく基礎的なことをおろそかにしており、しかもそれをFacebook上であっけらかんと公表している…正直だなあと思うと同時に、呆れることもあります(方向音痴の不動産鑑定士、不器用な大工、味音痴のソムリエ、先端恐怖症の外科医。これらの共通点は、利用者をとてつもない不安に陥れるということです)。

 いやいや、ここは「『こんなことはあってはならないよ』と、反面教師になって我々のために警鐘を鳴らしてくれているのだ」と、好意的に解釈しておきましょう。

 この件から連想した小噺をひとつ。

 江戸時代のこと、『万病に効く薬あります』という看板を掲げた町医者がおりました。 ある人がその薬を求めて訪ねると、『病で臥せっている』と奥から返事が。『先生、例の特効薬を飲んだらいいじゃないですか』というと、先生、『いや、飲むには飲んだのだが…』。



2013年1月15日火曜日

成功は無謬を意味しない


 昨年末のレコード大賞では、服部克久さんの「これが日本の音楽業界の現状です」発言が、暗にAKB48を批判したものなのではないかと波紋を呼びました。
 たしかに「同じ人が何枚も買うことを狙って握手券や選挙の投票用紙をつける」商法には、音楽産業の本道を踏み外している観もあります。

 しかし、「モノを売るな!コトを売れ!ストーリーを売れ!」という現代マーケティングの教えにこれほど忠実な実践例はほかに無いのではないか、とも思います。秋元康氏らが売っているのは、「アイドルの卵のパトロンになる夢」だという気がするのです。

 ところで、昨年はいろいろな場面で、「理屈じゃない、結果がすべてだ、売れればいいんだ」という発言を耳にしました。
 その多くは、「成功例」とされる事例の欠点を指摘したときに返ってきた反応です(機会があったら、彼らにAKB48に対する評価を聞いてみたい。きっと、高く評価しておられることでしょう)。

 私は、結果がすべてだ云々というコメントを聞くたびに「好業績ファンドランキング」を連想します。
 そのココロは、『結果は時間軸の設定いかんで大きく変わる』ということです。循環的な価格変動を繰り返すファンドは、上昇局面だけをとりだせば、いくらでも好業績を謳うことができますから。
 つい先日宮崎地裁に破産を申し立てた「TORIAEZU」も、宮崎を代表するB級グルメ「肉巻きおにぎり」の元祖として「にくまき本舗」の屋号で人気を集めた企業でした。数年前は類まれな成功例ともてはやされたことでしょう。
 
 経営に失敗した元経営者へのインタビューで躓きの核心に迫る『日経ビジネス』の「敗軍の将、兵を語る」のコーナーで、多くの元経営者が言及するのは、「良かったとき」にすでに失敗の芽があった、「良かったこと」で目が曇ってしまっていた、ということ。
 彼らの反省の弁は、「成功は無謬を意味しない」という、ごく当たり前のことを改めて教えてくれます。

 内藤耕『「最強のサービス」の教科書』 (講談社現代新書)に採り上げられたサービス先進企業にも、共通の特色を見出すことができます。
 それは、自分たちが不完全であるという認識を持ち続けているということです。加賀屋のような著名な旅館も例外ではありませんでした(蛇足ですが、本書を読むと、加賀屋のおもてなしを支えているのが、きわめて合理的なシステムであることが理解できます)。

 「理屈じゃない、結果がすべてだ、売れればいいんだ」という方々には、ぜひ『「最強のサービス」の教科書』や『日経ビジネス』の「敗軍の将、兵を語る」のコーナーを読んでいただきたいし、また結果をいろいろな時間軸で考えてみていただきたいな、と思う次第です。



2013年1月13日日曜日

スポーツを蝕む悪しき経験主義


 近代教育の先駆者である福沢諭吉は、リバティ(一説にはフリーダム)を「自由」、スピーチを「演説」と訳しました。「自らを由とする」から自由。まさに名訳といっていいでしょう。

 しかし、福沢のような碩学を擁した日本にも、ごく一般的な用語でありながら、いまだに適切な訳語のない言葉があります。それは「スポーツ」です。

 大阪市立桜宮高校生徒の自殺問題は、学校と家庭と地域社会のかかわり、学校教職員のマネジメントコントロール、教育法制ならびに教育行政のありかた、体罰の是非と許容限界など、各面に及ぶ大きな問題として検討する必要がありそうですが、加えてもう一点、我が国における「スポーツ」精神の未成熟も、この問題に大きく影を落としている気がします。今日は、このことについて綴ってみたいと思います。

 さきほど「スポーツ」には適切な訳語がない、と述べました。
 いちばん近い日本語は、物理的側面に着目した「運動」、教育的側面に着目した「体育」、勝負としての面をとらえた「競技」でしょう。

 しかし、これらの日本語には、スポーツの原点である「ゲームをプレイすることを通じ魂を解放する」というニュアンスを全くと言っていいほど感じることができません。

 私は、スポーツの原点を理解せず、外形だけを移入してきたことが、その後の我が国におけるスポーツのあり方をゆがめた気がしてなりません。

 プレイする本人の「魂の解放」を無視し、勝つことだけに意義を見出したからこそ、運動競技は国威高揚や学校宣伝の道具になり得たのではないのでしょうか。

 野球もサッカーも(楽器も、囲碁や将棋もですが)、ある程度ストイックに取り組まなければ技術は身につかず、十分楽しむことができないのは事実です。ただし、ストイックに取り組む根本的理由はあくまで、本人がよりよくプレイできるためでなければならないと思います。

 スポーツを「運動」「体育」「競技」と捉え、勝つことだけを目標に定めたことと、「競技の経験者なら指導者が務まる」という過度の経験主義が結びつくと、それ以上の悲劇を生みます。桜宮高校の事件は、その典型のように思われます。

 以前、コーチとしての専門的教育を受けた少年サッカー指導者の方とお話をしたとき、彼はこう言っていました。

 『いまのサッカー指導者の多くは、かつて自分が受けたのと同じような、怒鳴る、罵倒する、叩く指導を踏襲している。しかし、それは子供たちを委縮させ、思考停止させ、意欲を奪う誤った指導だ。このような指導者がいる限り、日本のサッカーは変われない。』

 彼自身は、子供たちを叱る際、必ず最初にほめて、次に改善すべき点を指摘するそうです。たとえば、こんな感じ。

 『あの場面で積極的に仕掛けていったのは、とってもよかった。でもお前、何度も同じようにかわされたろ?そこは予測して、相手の動きを牽制しなきゃ。それを普段の練習でも意識してなきゃ。』

 名指導者の誉れ高い内川一寛氏(大分情報科学高野球部監督・内川聖一選手の父)も「日の当たらない部員をどうチームに溶け込ませるか」にいつも心を砕いておられる由。

 そのためには、それぞれに役割意識を植え付けることが大事で、それゆえレギュラーになれない部員たちの練習態度を観察し、積極的に声をかけるようにしているそうです。「集団の中で個人がどんな役割を果たせばよいかわかりにくい時代ですものね」とも。

 内川監督が、レギュラーになれない部員たちにかくも意識を向けるのはなぜでしょうか。

 私は大きく二点あるように感じました。ひとつは、生徒の「自主性を育てる教育」の一環であるから。もうひとつは、「非レギュラーの士気の高さは、チーム全体に活気を生み出し、それが本当の意味でのチームの和につながる」から。
 つまり、チームの和の根本は、各人の忍耐ではなく、それぞれの役割意識である、という信念に基づいた指導なのでしょう。

 かれらのような優れた指導者がいることは、じつに心強く喜ばしいことです。

 遅きに失した面は否めませんが、スポーツの指導が「競技の経験者なら指導者が務まる」ものではなく、さまざまな知見と素養を要する専門技術であることをあらためて確認し、子供たちが適性ある指導者の指導を受けられる環境を整えることがつよく望まれます。




2013年1月8日火曜日

顧客に貢献できる長所や能力は何ですか?


 経営支援にあたる人たちが、企業の経営者らに「コンセプトを明確化すべきです」「差別化を図ることが大切です」と言っているのをよく耳にします(私は言いません。言ってできることなら百回でも言いますが…)。

コンセプトは、いわば「新しい価値の提案」であり、差別化とは要するに「お客様に、より良い価値を提供するために、他社とは違った行き方をする」ことですから、両者はじつは不即不離・不可分のもので、彼らが言うとおり、その重要性は疑いありません。

経営資源に乏しい中小企業者にとっては、よりよく貢献できる相手(=標的顧客)に全力で奉仕することこそが、社会の役に立ち、ひいては企業が存続・成長することへとつながるといえます。

では、「コンセプトを明確化すべきです」「差別化を図ることが大切です」と助言する人たちのコンセプトなり、差別化のポイントは何なのでしょうか?

「あなたは自分のどのような長所や能力を生かして顧客に貢献しますか?」と問いかけてもいいかもしれません。

 よく返ってくるこたえは、特定の業界での実務経験や特定の経営手法に関する豊富な知識がある、といったものですが、こたえになっていないと思います。「では、特定の業界や特定の経営手法以外では、貢献できないわけですね?」と反問したくなります。

相手の話をよく聞き、相手の身になって支援します、というこたえも同じ。「では、あなたはお客様第一主義というのがストアコンセプトになりうると思うのですね?」と聞いてみたい。「うちは八百屋だけど納豆も置いてます!」程度の差別化にしかなっていないと思います。

 「誰かの役に立ちたい」と思っている人は多いけれど、「自分のどのような長所や能力を生かして相手の役に立つのか?」ということに関しては、意外と無頓着なのが本当のところではないでしょうか。

 たとえば、受験生に勉強を教えてあげよう、というケースを考えてみると、貢献のポイントとして、

この事柄は、試験ではどのような問われ方をするか(出題パターン)を教える
覚えなくていいのはどこで、覚えなくてはいけないのはどこかを教える
事項相互の関係をどう理解すべきか、全体構造を図解する
覚えにくい暗記事項をうまく覚える方法を伝授する
応用の利く解法パターンを教える

というようなことが思い浮かびます。

これらの全てを網羅するのは当然無理としても、指導内容がこれらのうちどの部分に力点を置いたものかというのは、指導する側が自分ではっきり認識し、できれば指導される側にも事前に示しておくべきでしょう。

指導される側も当然、指導のコンセプトを知りたいはずです。なぜなら、コンセプトの魅力度によって指導を受けるかどうか決めるわけですから。

コンセプトが求められるのは、決して企業経営の中だけではありません。「コンセプトの重要性」を語る人たちが、コンセプト不在の行動をしているとしたら、それは『論語読みの論語知らず』の誹りを免れないでしょう。


2013年1月5日土曜日

「今年の抱負」の決め方・私の方法


あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

 さて今年の抱負はもうお決まりでしょうか。正月5日、まだ遅くありません。

 今回は「今年の抱負」を決めるにあたって、私がとっている方法をご紹介したいと思います。以下の6ステップで進めます。

ステップ1:おもいつくままにやりたいこと、実現したいことを列挙する
  (ここでは、今年は無理だよな、などと考えず、とにかくたくさん挙げてみます)

ステップ2:列挙した中で、これは大事と思うものにマルをつける
  (マルを付けた数の多寡は気にしない)

ステップ3:マルをつけたものを次の項目別に分類する

 <プライベート面>
  家庭
  健康
  趣味

 <仕事面>
  スキル
  人的ネットワーク
  業績

ステップ4:項目別の内容をみてバランスを検討
  (項目別の偏りを調整する・できれば各項目ひとつずつにする)

ステップ5:項目ごとに、最終的なゴールと今年の到達点を書く
  (かりに達成できなくても、ここまでは死守するラインを明らかにする)

ステップ6:表にして机の横に貼る
  (手帳にも貼っておく)

 このような方法を考えたきっかけは、マーケティング活動を論点分解する視点として「4P」があるように、今年の抱負にも何がしかのフレームワーク思考を適用して遺漏ないようにしたいと思ったことでした。
 
 ポイントは、ゴールに到達しなくても最低到達点に至れば及第点とする「緩さ」と、プライベート・仕事の両面に目を配った「網羅性」でしょうか。とくに「緩さ」は、途中で投げ出さないために必要な要素だと考えました。

 最後にもうひとつ。最初は、「人的ネットワーク」の項は「顧客との関係」でした。これを改めたのは、築くべき重要な人的関係は、顧客との関係に限らないと思ったからです(これは道徳的な判断ではなくプラグマティックな判断です)。

 何かの参考になれば幸いです。