2013年7月17日水曜日

私がブログを書く理由

 ブログブームに沸いた2004年当時は、将来、私自身がブログを書くことになろうなどとは夢にも思いませんでした。「世の中には奇特な人がいるものだ」とブームを冷ややかに見ていた記憶があります。ですが、気が付けば2011年5月にブログを始めてから、すでに2年余りが経過しました。

 「思いついたことを書きたいから書きはじめた」だけで、何のためにブログを綴るのかなどと改めて考えたことはないのですが、「ブログとはカネを稼ぐために書くものだ」「読み手に伝わらなければブログなど意味がない」という見解もよく目にするところです。

 この点、実績ある先輩ブロガーの方々は本当のところ、どう考えておられるのでしょうか。気になったので、関連記事をいくつか拝見してみると、「この方のおっしゃっていることは、俺の感じ方に近いな~」と思える方が何人かおられました。

 「ある理系社会人の思考」というブログを綴っておられるktatchy氏は、『ブログを続ける意義は人それぞれ』と題して、次のように述べられています。まさにおっしゃる通り、という感じです。

多くの方が気にしていない,誰もが読むようなトピックでもないものを採り上げて更新しているので,アクセス数は今ぐらいがちょうど良いと思っています。もちろん読者の方が増えると作者としては嬉しいですが,「増やすためにはどうすればいいのだろう」と思い悩むことはありません。
http://fotlife.exblog.jp/8054426/


 ウェブエンジニアtfmagician氏が技術やサービスに関することを書き綴るブログ「1-byte.jp」では『このブログの存在意義を考えてみた』と題する考察が掲げられています。

定期的なアプトプットは自分のアウトプットの質を高めます。そして、仕入れる情報もアウトプットのために気にするようになるため、インプットの質も高まります。これが今、自分のためになっていることだと思います。
http://1-byte.jp/2010/09/10/reason_to_write_blog/

 私自身のアウトプットの質がブログによって高まったかどうかはわかりませんが、インプットに質的変化が起こること、自分の意見を一応の論理的整合性のある文章にまとめるには大きなエネルギーが必要であることは実感しています(言い方を変えれば、口頭で言えるだけの「自分の考え」はまだ意見としての体をなしていないおそれがあるといえます)。


 「他人の不幸は蜜の味」なるブログを運営するLSTY(エルエスティーワイ)氏は、『ブログは「目的」を持って始めてはいけない。』とまでおっしゃっています。

あんまり「目的」とか「伝えたいこと」なんてのを意識しすぎると、ブログというのは長続きしないのではないかと思う。
http://lsty.seesaa.net/article/25377867.html

 私も、誰も読まないであろう前提で書き始めたので、数か月後にPVが急に増えたときはびっくりしました。そんな風であったからこそ、曲がりなりにも二年続けてこられた気もします。


 「むねさだブログ」のむねさだ氏は、「僕がブログを書く理由はなんだろう?と色々と考えてみたぞ!」と題した記事の結論として、次のようにおっしゃっています。

僕がブログを通して伝えたいものは、「自分の知ったノウハウを、知らない人へ伝えたい」「むねさだ という人間がどういう人間かを伝えたい」です。
http://munesada.com/2013/01/12/blog-1179

 確かに、ある人物の人となりは、その人の問題意識にあらわれるといってよさそうです。自分の問題意識をブログに綴ることは、キレイにまとまった自己アピール文よりもはるかに意味があることなのではないでしょうか。

 さいごに、コラムニスト小田嶋隆さんの言葉を掲げます。この言葉を励みにして、コンスタントとは決して言えないながらもブログに取り組んでいる私です(名コラムニストと何の実績もないブログ初心者の私を同列に論じるつもりは毛頭ありません)。


『ネタは、出し続けることで生まれる。ウソだと思うかもしれないが、これは本当だ。三ヵ月何も書かずにいると、さぞや書くことがたまっているはずだ、と、そう思う人もあるだろうが、そんなことはない。三ヵ月間、何も書かずにいたら、おそらくアタマが空っぽになって、再起動が困難になる。つまり、たくさんアイディアを出すと、アイディアの在庫が減ると思うのは素人で、実のところ、ひとつのアイディアを思いついてそれを原稿の形にする過程の中で、むしろ新しいアイディアの三つや四つは出てくるものなのだ。ネタは、何もせずに寝転がっているときに、天啓のようにひらめくものではない。歩いているときに唐突に訪れるものでもない。多くの場合、書くためのアイディアは、書いている最中に生まれてくる。というよりも、実態としては、アイディアAを書き起こしているときに、派生的にアイディアA’が枝分かれしてくる。だから、原稿を書けば書くほど、持ちネタは増えるものなのである。』(「小田嶋隆のコラム道」より引用)






2013年7月10日水曜日

SNSは「日刊自分マガジン」だ!

 今回は、Facebookについて書きます。
 
 IT用語辞典e-Wordsによれば、SNSとは、
『人と人とのつながりを促進・サポートする、コミュニティ型のWebサイト。友人・知人間のコミュニケーションを円滑にする手段や場を提供したり、趣味や嗜好、居住地域、出身校、あるいは「友人の友人」といったつながりを通じて新たな人間関係を構築する場を提供する、会員制のサービスのこと。』なのだそうです。

 そうだとすると、Facebookに投稿すべきコンテンツは、誰かとのつながりを強める端緒(きっかけ)に相応しいものであるべきでしょう。

 かかる意味で私自身はFacebookを「日刊自分マガジン」だと思っています。自分の関心のあること、考えたこと、見つけた本やお店などの情報を日々綴ることで、私がどのような人間か知ってもらい、できれば「この投稿を読んでよかったな」と思ってほしいと考えているのです。

■ あなたの「自分マガジン」はどんな雑誌?

 あなたの「日刊自分マガジン」は専門誌でしょうか?娯楽誌でしょうか?総合誌でしょうか?
 私のタイムラインに表示される投稿には、詩集あり、TODOリストあり、映画評論あり。
 見た瞬間にどなたの投稿かわかるものも少なくなく、リアルなその方をさほど深く知っているわけではないのに、今では「あ~〇〇さんらしいなあ~」と思うことがしばしばあります。その「〇〇さんらしさ」がプラス評価であれば、「日刊自分マガジン」は及第点なのだと思います。

■ 「人は他人の一挙手一投足にはさほど関心がない」という認識

 私自身が自分に言い聞かせていることは、「人は他人の一挙手一投足にはさほど関心がない」ということです。なぜかといえば、私も他人の一挙手一投足にさほど関心がないからです。
 このブログでもご紹介したことですが、米国の大学の調査によると、人がFacebookで友達を切る最大の理由は「つまらない投稿が延々と続くこと」なのだそうです。

■ 「連載記事にする」というアイデア

 投稿を、連載記事やシリーズ記事にしてしまうのも上手いやり方だと思います。私の友達の中にも「映画評」「書評」「気に入った小説の一節」などを継続的に投稿しておられる方々がいて、読むのが楽しみです。
 個人のFacebookFacebookページの使い分けに迷う方がときおりおられます(プライベートとパブリックに分けろ、というのは必ずしも現実的でないことがありますよね)。このような場合、Facebookページへの投稿を「特定の連載記事(複数も可)」だけに限定してしまうのもひとつの方法だと思います。

■ 読者はいずれコンテキストに気付く

 自分マガジンの読者は、いずれ投稿者の編集方針(?)や投稿者の気質・思想に気付くことになります。気取り過ぎればイタイ人だと思われかねないし、ナルシスティックな投稿はこちらが気恥ずかしくなるし、あまりにあっけらかんとし過ぎているのもまた「この人、大丈夫か?」と心配になります。

■ 結局、等身大の自分しか表現できない

 思うに、読み手が投稿から読み取っているのは、純客観的にテキストが指し示す意味内容ではなくて、コンテキスト(文脈)なのではないでしょうか。
 しばらく投稿をフォローしているうちに、「すべてはクライアントのために!」と唱える人が次第にクライアントを「金づる」と捉えているように思えてきたり、友達を交流すべき相手ではなく聴衆(ないしは情報発信先)としか見ていないように見えてきたりすることすらあります。
 開示情報を増やすと、結局は等身大の自分をさらけ出すしかなくなる、ということなのかもしれませんね。





2013年7月1日月曜日

「ブルー・オーシャン」はあるか?

 競争の激しい既存市場を「レッド・オーシャン」と規定し、競争のない未開拓市場である「ブルー・オーシャン」を切り開くべきだと説く「ブルー・オーシャン戦略」。

 今では、もうめったに語られる機会がなくなりました。しかし最近私は、よくこの言葉を思い出します。「ブルー・オーシャン(競争のない新たな市場空間)って、本当にあるんじゃないかな?」としばしば思うのです(もとより、眼前に青く広がる海など知りません。青い入江をときおり垣間見るだけです)。

 顧客ニーズに関し「ドリルを買いたい顧客はドリルが欲しいのではなく、穴が欲しいのだ」というフレーズがよく引用されます。
 「ドリルをください」というお客様の求めの先にある真の需要を見出すことで、より真の需要に即応した新たな提案が可能になる、という教えなのでしょう。その趣旨に異論はありませんが、これは飽くまでレッド・オーシャンの発想だと思います。

 ブルー・オーシャンでは、お客様はむしろ自分の真の需要に忠実です。
 先のフレーズになぞらえて言えば、お客様はそもそもドリルという道具を知らないし、ドリルがホームセンターで売っていることはなおさら知らないからです。「あのね、壁に径9ミリぴったりの穴を開けてフックを取り付けたいんだ」。あるいはより直截的に「リビングルームに絵を掛けたいんだ」と相談するかもしれません。

 そのとき相談者を困惑させるのは、相談した相手から「あなたが何を欲しているのかわからない。要するに何が必要ですか?」などと問い返されることです。相談に行ったら「話を整理してまたお出で下さい。」と言われた、という話はよく聞きます。
 相談した相手が知りたいのは、「真の需要」ではなく、「ドリル」という商品名であった、というじつに残念な事態です。

 端的にいえば、依頼を受けた側が「はい、わかりました」と即答できるような仕事は、すでに真っ赤に染まっています。そこまで至らなくても「具体的なサービスメニュー」を第三者が理解可能な表現で示すことができた時点で、もう赤い色に染まりかかっていると言えそうです。

 依頼する側も何をどう依頼したらよいかわからないし、依頼を受けた側も何をどのようにしたらよいかわからない、というケースは、今後も増え続けるでしょう。しかも、そこには依頼者の知らないさまざまな制約条件もあるはずです(その制約を正しく理解し、依頼者の目的達成に貢献できる人のことをプロと言うのでしょう)。

 このようなケースでは、「目的達成のために必要な要素は何で、その要素はどの程度のクオリティで、どのように獲得していけばよいか」を議論しながら組立て、確認していく『ワークショップ形式』をとるほかないと思います。依頼者の持っている情報は、タスクを遂行する上では不足であり、しかも不必要な情報を多分に含んでいるのが通常であることも銘記すべきです。

 そして、そのためには、

 1 業際、学際にわたる幅広い知識と思考の枠組みを身につけておくこと。

 2 論点を整理しながら議論を進め、それを「見える化」するスキルを身につけておくこと。

が欠かせないような気がします。

 何より、誰に頼めばいいか、何と頼めばいいかわからないような事柄について、「まずあの人に相談してみよう」と言われる存在になりたいものですね。






2013年6月26日水曜日

図書館は読書生活のキーステーションだ!

今回は、「月1,500円からの読書生活術」シリーズの番外編として、図書館活用術を取り上げたいと思います。題して「図書館は読書生活のキーステーションだ!」です。

図書の分類記号を少しだけ知っておこう

 ご存知の通り、図書館の蔵書は原則として、0から9までの分類番号(日本十進分類法)順に並んでいます。
 分類記号は原則三桁表示であり、最初の数字が大分類、次が中分類、末尾が細分類を示しています。通常、この三つの数字を「類」「綱」「目」と言います。
 例えば、分類記号323は、3類(社会科学)の2綱(法律)の3目(憲法)を示します。
 
■ 自分の読書の「偏り」を自覚しよう

 利用者が圧倒的に多いのは、9類(文学)でしょう。人それぞれ、借りる本には分類上の偏りがあるはずです。私自身の場合は、いちばん多いのは3類(社会科学)、つづいて2類(歴史地理)、6類(産業)といったところでしょうか。
 自分の読書の偏りを知ったところで、たまには異分野の本を読んでみるのも良いものです。個人的には、4類(自然科学)の本には、課題の設定の仕方、課題へのアプローチの選び方、といった点で参考になるところが甚だ多いと思っています。 

■ 新着図書コーナーで関心の薄い分野に触れる
 
 異分野の本を読もう、と思ったとき役立つのが図書館の「新着図書コーナー」です。私自身も、このコーナーを見て、あまり読む機会のない0類(総記)、1類(哲学宗教)、4類(自然科学)などの図書を手に取って見るようにしています。
 最近読んだものでは、『エピソードでつかむ生涯発達心理学』(岡本祐子ほか編著・ミネルヴァ書房 2013)が平易な記述でとっつきやすく、ためになりました。ちなみにこの本は、分類記号143でした。

■ 新着図書コーナーの定点観測でわかること

 「新着図書コーナー」を定点観測しておりますと、出版傾向にそのときどきの世の中の重大関心事が大きく反映していることがわかります。
 最近感じるテーマは「原発」「放射能」。それは、自然科学や産業の分野にとどまらず、反原発運動を現象として捉えた場合には社会学、放射能被害に係る心のケアといった面では医学、といった分野的広がりを持ちます。
 とりわけ個人的に関心を持ったのは『危機の憲法学』(奥平康弘・樋口陽一編著・弘文堂 2013)でした。この本は、東日本大震災を契機に顕在化した憲法上の諸問題に取り組んだ法律書で、「原子力災害と知る権利」についても論じています。

■ 分類記号100番以下が面白い

 注目すべきオススメの分野は、0類(総記)です。とくに、
  002 知識、学問、学術
  007 情報科学
  014 資料の収集、資料の整理、資料の保管
  019 読書、読書法
  070 ジャーナリズム、新聞
 のカテゴリーには、好奇心を刺激してくれる面白いものが多く、重宝しています。










2013年6月13日木曜日

履歴書ではわからない「潜在的な業務センス」

 人材確保といえば、二言目には「即戦力」という時代になって久しいですね。すべてに余裕を失った時代を反映する現象なのかもしれません。

 いまここに、同じ学校を出て、同じ会社に入り、同じ職場に配属されて同じ仕事を同じ年数経験した二人の若者がいるとします。
 彼らの履歴書の内容は自然と似たものになりますし、顕在的な業務スキルもきっと同程度でしょう。
 しかしながら、彼らの業務感覚というか、潜在的な業務センスには、数年で大きな差が生まれている可能性があります。そうした差を生むのは、それぞれが感じた問題意識の質と量の違いだと思います(つきつめれば、生まれ育ちの違いなのかもしれません)。

 このような差は、経験や顕在的業務スキルに着目しただけでは決してわかりません。彼らを従前と違う業務やより高度な判断を要する業務につけたときに、一気に顕在化することになります。
 
 本来であれば、経験に寄りかからず異なる視点で物事を捉えられるか、知識経験の乏しい業務を遂行するためにどのような工夫をするか、といったところが採用にあたって重要なチェックポイントにされるべきだと思います。しかしながら、知識経験ベースでものを考える人は、他人を評価する時も知識経験の多寡を基準にしがちです(それ以外の評価基準を持たないからでしょう)。そのような人物に、これら二人の若者の差を見抜くことは困難だと思います。

 「意欲的でチャレンジ精神にあふれ、専門的知識と技術を持ち、コミュニケーション能力の高い人材を月給二十万円で雇いたい」というような話を聞くと、飯を食わない嫁ならもらってもいい、と言ったケチな男の昔話を連想します。でも実は、そんな人材も確実にいるのです
 問題は二つだけ。
 一つは、その人の高い意識と能力を採用側が見抜けるか、ということ。
 もう一つは、そんな人物に身を投じさせるだけの魅力が企業にあるかということです。



 

2013年6月9日日曜日

月1,500円からの読書生活術(4)

今回は、「ステップ4;読んだ記録を残す」について書きます。

■ アウトプットを前提にするとインプットの質は高まる

 本の内容をコンパクトにまとめる、ブックレビュー(書評)を書く等、アウトプットすることを念頭に置いて読むと、ただ漫然と読み進めるより得るものは多いです。反面、あまりに「これに関する情報を得よう」という目的意識が強すぎると、文脈を読み間違えるというか、行間の含意が読み取れなくなることには注意すべきです。
 自らアウトプットした情報は、後日自分自身にとってもインプット情報となります。さらにアウトプットを繰り返すことで、アウトプットの質が次第に高まることは、経験上ご存知の通りです。

■ 通読し終わった本は宝物である

 前回、「
このフレーズいいな、ここは重要だな」と思った箇所には、ぜひともマーカーで印をつけておくべきだ、と書きました。次回参照がきわめて容易になるからです。
 要点をノートするなら、読み進めながら記録するより、一度通読したのちマークした箇所を振り返りつつ記録するほうが、全体構造が把握できるぶん、より有益だと思います。
 何より、「たしかこの本にはこんなことが書いてあった」ということがわかっているというのは、必要に応じて情報にアクセスする際、とても大きなアドバンテージです。
 このようなことから私は、通読し終わった本、とりわけマーカーで印をつけた本は大切に保存しています。

■ 読んだ記録をどう残すか ① 書評として残す

 誰かに読まれることを念頭に置かないとしても、その本の資料としての価値はどの程度か、自分にとってどのような点で有益か、第何章あたりが本書の白眉(勘所)か、といった情報を記録しておくことはたいへんいいことだと思っています。

 私自身は「ブクログ」というウェブサービスに登録していて、気が向いたもののみ書評を残すことにしています。
 ちなみに「ブクログ」とは、会員個々が書籍情報を登録して自分の仮想本棚をオンライン上に作り、蔵書管理やレビューを行うことができるウェブサービスで、無料で登録して利用することができます。

■ 読んだ記録をどう残すか ② リストとして残す

 前掲の
「ブクログ」には、読みたい本をリストアップしておき、読み終えた本はその旨記録することにしています。
 また図書館で借りた本は、「貸出記録票(レシート)」を専用のノートに順に貼っていくことで管理しています。後日、借りた本を購入したり、再度借りたりするときに便利です。

■ 読んだ記録をどう残すか ③ 図表にして残す

 マインドマップにしたり、箇条書きにしたり、表にまとめたりすることで、知識としての定着度も理解度も、資料としての活用可能性もグンと上がります。
 下の表は、前回ご紹介した、西股総生 『戦国の軍隊: 現代軍事学から見た戦国大名の軍勢』の中で、日米開戦を例にとって言及されていた「戦略の階層性(戦略・作戦・戦術・戦技の関係)」について、私がパワーポイントで整理したものです(これはこれで、後日当ブログで採り上げたい興味深い内容です)。

 


2013年6月3日月曜日

起業する理由は何ですか?

 先週末から今週末にかけて、「おおいた学生起業家育成講座」(大分大学主催・大分県委託事業)が開催されています。
 昨年に引き続き、私が講師を担当させていただくことになったのですが、4日間にわたる本講座の冒頭、私は受講者のみなさんに次のように語りかけました。


 起業家の人たちが起業するのはなぜでしょう?
 実現したいビジネスアイデアがあるからでしょうか?
 それとも、ただ起業したいから起業するのでしょうか?

 どっちが成功しそうだという気がしますか?(受講者から、ビジネスアイデアがある人の方が成功しそう、という声があがる)
 そうですね、そんな気がしますよね。
 どちらの方が成功に近いか、私にもわかりませんが、周囲を見回す限り「起業したいから起業した」人たちがわりと順調にきているのが目につきます。

 それは、どうしてだと思いますか?

 私が思うに、それは「とにかく起業したい」人たちは、起業するために必要なのに、自分に足りないものを認識し、それを順次手にいれて行っているから。
 起業のネタであるビジネスアイデアがまだないこともあるでしょう。開業資金が足りないこともあるでしょう。でも、起業というゴールをイメージ豊かに描けば、いまの自分に欠けているスキルや経験、人脈、お金、その他もろもろがはっきり見えてきます。

 私自身も「起業したいから起業した」人間です。私には足りないものが多かったので、起業を志してから起業するまで長い年月がかかってしまいました。

 本講座でみなさんがこれから学んでいく事業計画(ビジネスプラン)は、設定したゴールに向けて足りないものを順次獲得していくための、いわばロードマップみたいなものです。

 長丁場ですが、それを一緒に勉強して行きましょう。


 起業はビジネスアイデアありきでなくてもいいのだ、というこの問題提起は、受講者のみなさんにかなりの驚きをもって受け止められたようでした。
 確固たるアイデアをもっていても、起業しない人はしないものです。他方、アイデアもなしに起業を目指す人は、起業のネタ探しに躍起になるはずです。「このビジネスを応用できないか」「外国で成功しているこのビジネスを日本でもやれないか」などと。
 
 問題意識はアイデアの母。いいアイデアが出てくるまで待っていては、埒が明きません。