2012年11月27日火曜日

夢の世界に遊ぶ可哀想な人

 黒澤明監督初めてのカラー作品として知られる映画「どですかでん」は、山本周五郎のオムニバス小説「季節のない街」を忠実に映画化したものです。

 この作品の中に、三谷昇演じるインテリの乞食が登場します。彼は、幼い息子に残飯あさりをさせ、自分はただ、豪邸を建てるとしたらどんな間取りにするか、一日じゅう空想に耽っています。
 自分のせいで息子が食当たりで苦しむのを見ても、医者に診せるとか、誰かに助けを求めることもせず、件の空想をやめようとはしません。ついには見殺しにしたかたちで息子を亡くしても、その墓穴を豪邸のプールに見たてて、飽くまで空想の世界にしがみつこうとします。そんな彼を見て黒澤の分身でもある老人(渡辺篤)は、「可哀想な人だ!」と慨嘆するのです。

 事業に対する思いや夢を熱く語るのは自由です。自由ですし、それが事業の原動力になることは言うまでもないことです。
 しかしながら、その実現に向けた道筋を自ら着実につけていくことなしに誰かに仮託するだけなら、単なる駄々っ子と変わりません。そういう人達の夢は、決まってリアルじゃない。夢だからリアルじゃないのではなく、借りものだから、自ら考え抜いたものではないからリアルでないのです。

 厳しい指摘には耳を貸さず、都合のいい話だけを聞いて夢の世界に遊ぶなら、その人は起業家などではなく、三谷昇演じるインテリの乞食と変わりません。
 我々はもはや「可哀想な人だ!」と慨嘆するしかないのでしょうか。実に残念なことです。

2012年11月25日日曜日

流行らないお店と求心力を欠く組織の共通点


 流行らない店や盛り上がらないイベント、求心力を欠く組織には、面白いほど共通点があると感じています。それは「自分本位」だということ。

 店主が「日曜日だから休む」「夕方6時には閉店する」一方で、『お仕事のお疲れをどうぞ当店で癒してください!』と呼びかけても、いったい誰が、いつ来るというのでしょう?
 でも、そんな店主に限って、「情報発信が足りなかった」と見当違いな反省をしています。

 組織に関しても、リーダーをリーダーたらしめているのは、リーダーの勝手な思い込みではなく、組織の構成員のコンセンサスであることを肝に銘じるべきです。リーダーが勝手に進軍ラッパを吹くことをリーダーシップとはいわない。構成員が思い通りに動かないのは、命令が聞こえなかったからではありません。
 原因を構成員のモチベーションに求め、小集団活動に走るのも、(方向性としては評価できますが)やや飛躍がある気がします。

 社内コンセンサスのポイントとして、目標の共有とか戦略の可視化を挙げる論者がいます。おそらく正しい指摘なのでしょう。でも、ありていに言えば、「構成員を当事者として遇する姿勢」なのではないでしょうか。組織の重要事項にいっさい参与を許さず、帰属意識を持て、というのは、どだい無理な話だと思われます。




2012年11月14日水曜日

「顧客にとっての」イノベーション


 イノベーションとは、必ずしも技術革新によるものではない。顧客にとってのイノベーションは、案外とローテクなものである場合が多い。
 組合せの妙や、デザインの先進性、そのベースとなるスタイルやシーンの提案、つまりは夢が重要なのだ。そのためには情報量の違い、それも知識ベースではなく、経験ベースの情報量の違いが必要になる。
 対象となる顧客の一歩も二歩も先を行く経験をどれだけ積んでいるかによって、顧客にどれだけ驚きを与えることができるかが決まる。それがマーケティング的に見たイノベーションの源泉だと思う。
 しかも、一般的な顧客の心をとらえるためには、そのピラミッドの頂点に君臨する先端的な顧客の心をまず捉えなければいけない。スポーツの世界で、一流選手の愛用するグッズにアマチュアが憧れるのと同じ道理だ。

              (嶋口充輝他「やわらかい企業戦略」角川書店2001)


 新製品開発に躍起になる企業は多いですが、「そもそも想定される需要者(あるいは世の人々が)が本当はどんなニーズ・ウォンツを有しているか」についての探求に熱心な企業は、あまり見られない気がします。

 経営者のみならず、むしろマーケティングに関しては専門家とも言える中小企業診断士すら、ある業種・業態の研究をする時に「想定される需要者が本当はどんなニーズ・ウォンツを有しているか?」という視点からアプローチすることは、実は少ないのではないでしょうか。

 顧客第一主義とか、マーケットインと口では言いつつも、自分中心にしか考えられないのは、われわれ人間の生来のDNAなのかもしれません。

 しかしながら、せめて「イノベーションとは、企業にとってのイノベーションではなく、顧客にとってのイノベーションである」ことは銘記しておきたいものです。

 ある属性の人たちは、どんなバックグラウンドを持ち、何を大切に思っているのか。この商品(サービス)で何をするのか。それはなぜか。どこを充実させたら商品(サービス)の評価が上がるのか。これまで利用してこなかったのはなぜか。

 これらを豊かにイメージすることなしに、コンセプトもターゲットもないように思います。



2012年11月5日月曜日

グルメなお客さんの寓話


 むかしむかしあるところに、たいそうグルメなおじさんがおりました。仮にA氏としておきましょう。

 A氏にはお気に入りの料理店が5つばかりあって、昼・夜の食事はそのいずれかのお店でとることを習いにしていました。
 A氏ごひいきの5店には、いずれも腕自慢の主人が居て、「ただ旨いだけでなく、お客さんの健康に配慮するのも料理屋のつとめだ」という矜持も持っていました。

 ところがA氏、実は大の野菜嫌い。どこのお店に行っても、なんやかやと理由をつけては、お勧めのヘルシーメニューを避けていたのです。
 たとえば、中華料理店で野菜炒めを勧められると、「野菜はほかでたっぷり食べてきたから、チャーシュー麺でいいや」。トンカツ屋では、「今日は朝からサラダばかり食べているから」と付け合わせのキャベツを全部残すといった調子です。

 それからしばらく。ある日を境に、A氏はどのお店にも全く姿を見せなくなりました。
 「二日とあけずに来てくれていたのに、どうしたんだろう?」
 店の主人たちが心配していると、ひょんなところからA氏の消息が知れました。
 何でも、深刻な糖尿病と栄養失調で、長期入院を余儀なくされているとのこと。主治医が「いったいA氏は、どんなところで食事をしていたのだ!」と嘆いたと聞き、店の主人たちはおおいにプライドを傷つけられました。

 中華料理店の主人がぽつりといいました。「Aさんには体にいいものを、と心がけてきたはずなのに…。俺のせいじゃないよな…。」(おしまい)


2012年11月3日土曜日

自分からするのが報告、聞かれて答えるのは弁明


 先日、Tumblrですてきなフレーズを見つけました。
 『自分からするのが挨拶。人の挨拶に返すのは返事。』というものです。

 最近、挨拶しても返事すら返さない人がいることに少々驚くことがありますが、それはともかく、「だったら自分の挨拶は、半分くらいは返事に過ぎないなあ」と感じるのは私だけでないことと思います。

 ホウレンソウ(報告・連絡・相談)にも似たところがあります。

 あの案件、どんな状況かな?と思っているところに中間報告ないし連絡・相談があるのが本来のホウレンソウ。
 他方、お客様や上司に『あの件、どうなってる?』と聞かれて答えるのは、もはやホウレンソウではなく、一種の弁明でしょう。

 ホウレンソウを怠る根源には、きっと相手に対する無関心があるものと思います。相手のタスクが少しでも早く前に進むように。納期や成果品の内容に関する相手の不安を解消するために。そんな気働きが少しあれば、リレーションシップはガラッと違ったものになります。

 ホウレンソウはほんの「些事」に過ぎません。でも、わずかなエネルギー、ちょっとした「こころ仕事」を怠ったがために失う信頼は、決して「些事」ではすまないものと、私はかつて何度も気付かされました。若かったころの苦い思い出とともに胸に刻んでいることのひとつです。


2012年11月1日木曜日

ポスト桃太郎の寓話


 桃太郎の鬼退治から三年。

 一躍時の人となった桃太郎が朝廷にスカウトされて京の都に去ると、鬼が島ではふたたび鬼たちが悪さをはじめ、村人たちはみんな困っていました。『桃太郎二世が出てこないものか…』村の長老たちは鳩首協議の結果、鬼退治のためのすぐれたプランを持つ者に、軍資金としてキビ団子30個を無料支給することにしました。

 このニュースに『こりゃいいや…』とほくそ笑んだのは、かつて桃太郎のお伴をした経験のある猿でした。彼は、犬とキジを『うまい儲け話がある』と仲間に引き込み、鬼退治コンサルタントとして活動をスタートしました。とはいえ、鬼の怖さは誰よりも理解している猿のこと、また鬼が島に行く気などさらさらなかったのです。

 彼は、いい仕事もなく暮らしに困っている村の若者たちに『私と組めば、キビ団子30個がタダで手に入る。キビ団子は山分けな。』と持ちかけました。

 それからしばらく。「おお、何と頼もしい…」村の長老たちは喜びの声をあげました。なぜなら、村の若者たち十数人が『われこそ鬼退治に!』と名乗りをあげたからです。

 ある若者は、『これまで村人たちは力で優る鬼たちに無策で立ち向かった。でも私には秘策があります。』と言いました。
 別のある者は、『オニイラズという毒まんじゅうを開発します。これで鬼たちを一網打尽にします。』と胸を張りました。
 さらに別の者は、『猿や犬たちと勉強会を続けてきた私の思いを汲んでほしい。私の目を見てください。』と叫びました。

 さて、彼らに軍資金としてキビ団子が支給されて半年。長老たちは若者たちの誰一人として鬼が島に向かおうをしないことを訝しく思いはじめました。
 問い詰めると、彼らの言い分は、『私の秘策が模倣されないよう、まず知的所有権保護の手続きを進めています…』『オニイラズの開発費が思った以上に掛って、船が調達できない…』『なかなかお供が揃わなくて…』『本業が忙しくて時間が取れない』。
 長老たちは、『その程度のリスク要因は、計画に織り込み済みではなかったのかっ!』と詰りましたが、後の祭りです。

 その後も、彼らのうちの誰かが鬼退治に向かったという情報は寡聞にして知りません。
 風の噂では、この村の若者たち、こんどは『かぐやひめを月に返さないすぐれたプランを持つ者に必要な資金を助成する』という企画に応募しているとのことです。(おしまい)