2014年6月15日日曜日

形見の品に込められた官兵衛のメッセージとは?(問題編)

 黒田如水(官兵衛孝高)は、晩年、体調を崩して寝付くことが多くなりました。

 有名な話ですが、この頃から彼は、見舞いに来る家来たちを相手に、ことあるごとに古参の部下の悪口を言うようになったそうです。

 苦楽を共にした部下たちを「某には高禄を与えたが、惜しいことをした。さほどの器量ではなく、大した働きはしなかった」などと評したことは、たちまち国許に伝わり、いずれは本人の耳に入ります。
 悲憤慷慨する者、怒りに震える者。「われわれが従うべきは大殿ではなく、長政公だ。」と、次第に家臣たちの心は離れて行きました。

 事態を危ぶんだ現当主で息子の長政がその旨を告げると、官兵衛は「それで安堵した」と微笑しました。
 播州以来の古参の家臣たちの多くは、まだまだ当主長政より、官兵衛を慕う気持ちが強い。そのままでは安心してあの世に行けないので、一芝居打ったと言うのです。心のなかで古参の部下たちに詫びながら。

 父の深い思いやりに打たれ、長政は落涙します。

 またこれも有名な話ですが、官兵衛は死の間際、愛用の兜を息子の長政にではなく、筆頭家老の栗山善助に与えました。

 文武に秀で、人格者であるばかりでなく、有岡城から官兵衛を救出した命の恩人でもある善助に報いる気持ちもあったでしょうが、これには長政に対する別のメッセージも込められていました。

「善助をこのわしだと思え。善助の諫言あらば、深く心に刻み、決して粗略に扱ってはならない。」

 では、長政に与えられた形見の品は何だったか。

 童門冬二『黒田官兵衛―知と情の軍師』(時事通信社)によると、それは履き古した草履と下駄片方ずつでした。

 長政は、これを終生大切にしたそうです。

 さて、ここで問題です。

 擦り切れた草履と下駄に込められたメッセージとは何だったのでしょうか?

 ヒントを二つ差し上げます。

 一つ目のヒント。

 このころ長政は「異見会」を主宰して、家来たちの意見に耳を傾けていました。「異見会」とは、主だった家臣を集めて、相互に思ったことを意見し合うディスカッションの場でした。

 異見会については、当ブログでも以前取り上げたことがあります(「諫言を容れる度量」)。

 しかし官兵衛は、主宰者としての長政の姿勢に一抹の不安を覚えていました。官兵衛のメッセージは、これに発したものです。

二つ目のヒント。

 このメッセージは、誰かを指導したり、助言したりする立場にある人(かつ、わが身を振り返る勇気のある人)なら、きっと耳の痛い指摘であろうと思います。

 解答編は次回といたします。

 (注)このクイズは前掲書の童門冬二氏の説に依拠しております。





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