9月8日早朝(日本時間)、2020年の第32回夏季五輪・パラリンピック大会の開催都市が東京に決定しました。その興奮はいまだ冷めやらぬ趣きで、テレビはオリンピック関連の話題で持ちきりです。
本日の「ひるおび!」 (TBS)では、招致成功のキーポイントとなった最終プレゼンテーションを取り上げていました。
高円宮妃久子さまの後をうけた最終プレゼンテーションのトップバッターは、走り幅跳びでパラリンピック3度出場の佐藤真海(さとうまみ)さんでした。
明るく快活だけど、それでいてやわらかな調子でスピーチを始めた彼女は、事故で脚を失ったくだりではやや声を落とすなど、ともすれば「元気だけど単調」になりがちなこの種のスピーチを感情豊かだけど自然に表現し、見事に「自分を救ったスポーツの力」を訴えることに成功していました。
これをテクニックの勝利とか、プロによる入念なコーチングの成果とか言うのは、間違いにないにせよ、どこか本質を突いていない気がします。
「ひるおび!」のコメンテータたちも口々に彼女のスピーチを称えていましたが、その中でもっとも「佐藤真海のスピーチのよさ」を的確に言い表したのは、三雲孝江さんの大要次のようなコメントだろうと思いました。
『もし彼女がもっと強い調子で自らの主張を訴えていたとしたなら、彼女が持つ明るくやわらかなムードが生かされず、説得力が削がれていただろう』
かつて丸谷才一は、文章の本質を「達意」(自分の考えが十分に相手に理解されるように表現すること)であると指摘しました。
プレゼンテーションも同じでしょう。スピーカーが自分の言いたいことをありったけまくし立てて、相手に伝わるはずがないのです。
聴き手のもつ共感能力を刺激するのは、朗々たる大きな声でも、大言壮語でも、美辞麗句でもありません。
では、何が聴き手の共感能力を刺激するのか。
聴き手のもつ共感能力を刺激するのは、朗々たる大きな声でも、大言壮語でも、美辞麗句でもありません。
では、何が聴き手の共感能力を刺激するのか。
それは、スピーカーが自分自身とテーマとの関わりを「もっとも自分らしく」表現することです。佐藤真海さんがしたように。
聴き手は、自分の身におきかえて考えざるを得なくなります。そこにこそ共感が生まれますし、強く印象に残ります(感極まって絶句したスピーカーって印象に残るではありませんか)。
IOCロゲ会長がスピーチを終えた佐藤真海さんに囁いたほめ言葉もまさに「インプレッシブ」だったとのことです。
<参考サイト>
秘策!佐藤真海プレゼンが五輪引き寄せた
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