2014年1月11日土曜日

『営業力の強化』はなぜ完遂されないか

 中小企業の経営計画においては、しばしば「営業力の強化」が経営課題に掲げられます。

 しかしながら、課題への対応ないしアクションプランに「営業力の強化」に即応する具体的対策案が掲げられることはあまりないような気がします。

 まるで若書きの短歌のように、経営課題として高らかに「営業力の強化」を掲げたボルテージが、いざ実行レベルになると尻すぼみ、といった印象を受けることがじつに多いのです。

 ときには、「営業力の強化」という課題に対して、「全社的な営業体制を構築し、PDCAを繰り返すことを通じて営業力を強化する」というような、単なる言い換えに過ぎないような解決策が掲げられていることすらあります。

 なぜそうなるのか。

 私は、「営業力」というものの構成要素や本質をバイパスして感覚的・経験的な議論に終始しているからではないかと思っています。

 『営業力の強化』という経営課題が完遂されない理由は、HOW(いかにして強化するか)よりもまずWHAT(営業力とは何か)がつかめていないところにあると思うのです。

 つい、こんな笑い話を連想してしました(須賀原洋行さんのマンガのネタだったような?)。

 ある高校で、英語の試験に『次の英文を訳しなさい』という問題が出ました。「何語に」という指定はありません。悪乗りした生徒が「火星語に訳してみました」と、意味不明の記号を羅列してきましたが、教員はこれを不正解とする根拠がありませんでした。

 営業力の内実を問わぬままに、「営業力の強化」を図ろうとする。それはまるで、何語に訳すかも決めずに英文解釈に励む人みたいです。

 高水準の売上を維持している、または売上が順調に伸びている企業をアプリオリに「営業力がある」と決めつけるわけにもいきませんが、かりにその企業に高い営業力が備わっているとしたら、その片鱗は具体的にどこにたちあらわれているでしょうか?営業マンの営業活動やその準備にはどのような特徴があるでしょうか?またマネジャーは、彼らの活動をどうコントロールしているでしょうか?

 私自身は、いまそのような視点からすぐれたセールスパースンの活動を眺めて、自分なりに「士業にとって営業力とは何か?」にアクセスしようとしているところです。

 いまだ結論には至りませんが、「士業にとっての営業力」について、これまでの検討や経験から得た「感触」を他日を期して述べたいと思います。


2013年12月30日月曜日

いち音楽ファンとして今年認識を新たにした三つのこと

 今年(2013年)も残すところあとわずか。
 総括すべきことはいろいろあるのですが、今回はいち音楽ファンとして今年認識を新たにした三つのことについて綴ってみます。

 今年の音楽シーンを振り返るとか、そういう評論めいた話ではなく、きわめて個人的な事柄です。

 まず一つ目は、ビル・エヴァンスの良さにようやく気付いたこと。

 私だって『waltz for debby』くらいは昔から持ってたし、リバーサイド四部作は全部聴いたことがあるけれど、いまひとつピンときていなかったのです(『アンダーカレント』もそこそこイイとは思いましたが…)。
 でも、最近『I Will Say Goodbye』と『you must believe in spring』を聴いて「なるほど、こりゃワン・アンド・オンリーのピアニストだわ」とはじめて納得がいきました。食わず嫌いならぬ聴かず嫌いでした。ビル・エヴァンスならリバーサイド四部作に限る、と言った人をちょっと恨みたい気持ちです。

 二つ目は、ウエスト・コースト・ジャズを見直したこと。

 イースト・コーストにおいて目覚ましく進化を遂げたジャズに対して、まるで大衆文学を純文学の下に置くようにツーランクくらい下に見られるウエスト・コースト・ジャズ。私もアンサンブルの面白さは認めるとして、いまひとつ深みに欠けると思っていました。

 でも、仕事でつかれた体で聴いてみると違うんです。リロイ・ビネガーのウォーキング・ベースに「救い」のようなものを感じたんです。
 スコット・ラファロやエディ・ゴメスをディスるつもりは毛頭ないけれど、彼らのように理屈っぽくない明るさ、明快さが、少なくともいまの私が欲しているものであることは間違いありません。

 三つ目は、「アルフィー」というスタンダード・ナンバーが大好きになったこと。

 ソニー・ロリンズの「アルフィーのテーマ」ではなく、バート・バカラックのほうです。
  
 きっかけは今夏ライブで、種子田博邦さん(pf)、蒲谷克典さん(chello)のデュオを聴いたこと(ライブ自体はサックス付きの変則トリオでしたが、この曲のみおふたりで演奏されました)。

 もともと知っていた曲でしたが、こんなに美しく切ない曲だとは思っていませんでした。なんて美しいメロディだろうと思い、いろいろ探してみたのですが、彼らの演奏ほどのものにはなかなか出合えません。絶唱といわれるD・ワーウィックの歌声(すごくキュートです)を聴いても、バカラック自身の弾き語りを聴いても、さほどの感動はないんです。

 音楽性とか、演奏力とか、そういうことを語る資格は私にはありませんが、この曲はピアノとチェロという編成にピタリとはまっているし、歌手がtoo muchな情感を込めて歌うよりも、素直なインストルメンタルとして演奏するほうが、より楽曲の魅力が生きる気がしています。


ディウォンヌ・ワーウィック 『アルフィー』

http://www.youtube.com/watch?v=Gx6zm2lGF90

 





2013年12月29日日曜日

諫言を容れる度量

 一人親方というのは孤独なので、SNSなどについ「自分がいかに頑張っているか」めいた内容の投稿をしがちです(私も含めて)。もちろん、良いと思います、度を超さなければ。

 専業主婦も似たような立場かもしれません。毎日八面六臂の活躍をしても、誰かに褒めてもらえることなどまずないでしょうから。

 かかる投稿は「頑張ってるね。偉いね。」というような反応を期待してのものでしょうし、たいていは期待通り、誰かが反応してくれることでしょう。

 ただ、SNSではなかなか得にくい反応もあります。それは「相手を慮ってのネガティブな反応」、すなわち助言・忠告の類いです(注)。

 相手(投稿者)がわだかまりなく素直に助言・忠告に耳を傾けてくれるであろう信頼なしに、この手のコメントはできません。

 内心、アチャーと思いつつも、あえて火中の栗を拾う(相手から疎まれる危険をはらんだ損な役回り)必要を感じないのが普通であろうからです。

 かつて手厳しい批判を素直に受け止められることが「将たる器」とされた時代がありました。

 黒田官兵衛孝高の息子である黒田長政は、「異見会」というものを月に何度か開いていたそうです。これは、主だった家臣を集めて、相互に思ったことを意見し合うというもの。何を言われても腹を立ててはダメ、過ちは素直に認め、謝罪しなければならない、というルールで運営されていたそうです。

 黒田家は武勇の家柄。「黒田節」に謳われた母里太兵衛をはじめ、孝高以来の古参の重臣も多かったことから、長政に対してじつに手厳しい批判が向けられることもあったようです。
 長政は、ときには涙目になったり、顔を赤くしたり青くしたりしながら、家来たちの言い分に黙って耳を傾けました。
 すこしでも怒りの気配が見えると、「これはどういうことでございますか。怒っておられるように見えます!」と厳しく指摘が飛んできますから、長政も一生懸命平静を装ったことでしょう。

 「天下の軍師」官兵衛から見れば不肖の息子だったとも言われる長政ですが、じつに優れた人物ではありませんか。

 私自身、胸に手を当てて考えてみるに、他人の忠告が耳障りなのは、自分が無意識下で避けて通っていることに目を向けさせられるからなのかもしれません。人の声を自分の「姿見」として生かせる心の余裕を持てたらな、と思うのですが。

 何よりまず、「相手から疎まれる危険をはらんだ損な役回り」を引き受けてくれる誰かとの信頼関係を育てたいものだと思います。

(注)はなから投稿者を誹謗中傷する目的でネガティブなコメントを投げる人等もいるでしょうが、ここでは「相手によかれと思っての忠告」について述べています。






2013年11月20日水曜日

鶴崎城を描いた短編小説 ~ 岩井護 『女の城』

 妙林尼は、戦国時代、島津氏が豊後に侵攻してきた際、銃後に残った老人や女子供を指揮して鶴崎城(大分市南鶴崎)で敵を迎え撃った女傑として知られています。

 今週末(11月23日)、ご当地である大分市の鶴崎公民館で「妙林尼」を主人公とする戦国劇が上演されるそうです。

 裸城同然の鶴崎城を戸板や畳で防御し、攻め寄せた精強な島津勢を落とし穴・仕掛け罠などで翻弄した彼女は、落城必至と見るや一転、鎧武者姿から尼僧姿に変身し、開城して島津勢を歓待し、懐柔を図ります(注)。
 ついに島津勢が撤退するその日、巧みに撤退路を訊き出した妙林尼は、部下に命じて待ち伏せさせ、見事耳川で討ち死にした夫の仇を討ったというのです。

 妙林尼を主人公にとりあげた小説として私がまず思い浮かべるのは、今年一月に鬼籍に入られた歴史作家の岩井護(いわいまもる)さんの『女の城』という短編です〔『西国の城・下巻』(講談社 1976年、絶版) 所収〕。

 彼の短編小説は、いつも最後の段落が実にいいのです。

 読後に何とも物悲しいような余韻が残る、そんな文章でしめくくります。この小説の最後の段落は次のようでした。

『悲惨な合戦の中で、その一人の女は、なにやらひどくなまめいた存在として語り伝えられていった。できればそんな女だけの城を攻めてみたいものよと男たちは笑い合った。合戦で愛する男を奪われた女たちの怒りや哀しみが、女たちをそのような戦いに駆り立てたということに考え及ぶ者もなかった。』

 彼は、小説中、妙林尼は「城主であった吉岡掃部助の妻であったと言う者がいた」としながらも、彼女を飽くまで出自の不明な謎の女で、自然発生的にリーダーになったように描きました。

 その意図はどこにあったか。

 作者は「妙林尼こそ近親者を奪われ、生活を破壊された女たちの怨嗟や憤怒の化身であったのだ」と言いたかったのではないでしょうか。

(注)妙林尼は、豊後三老のひとりに数えられた吉岡長増の息子・鑑興(のち鎮興)の夫人だったといわれています。夫の鎮興が、大友勢が島津勢に大敗を喫した耳川の戦いで戦死したため、息子統増が家督を継いでいましたが、このときは兵を率いて出陣、城を留守にしていました。







2013年11月3日日曜日

大友宗麟は「偉人」でなくてはならないか~遠藤周作「王の挽歌」

 今年8月、大分市で「南蛮文化国際フォーラム」が開催されました。

 そこでのパネル討論によると、大友宗麟は「江戸幕府による情報統制により不当に低評価を受けている」そうです。
 どこかの国もびっくりの謀略史観だ、と申し上げたらお叱りをうけるでしょうか。

 でも、私の印象では、宗麟という人はまるで「苦労知らずで育った老舗優良企業の御曹司社長」のように思えます。
 有能で、先見の明もあったのでしょうが、いかんせん人の気持ちが理解できず、人心掌握という点では多分に問題があったと思うのです。史実を虚心に見れば、「優秀な部下や豊かな財力など経営資源に恵まれ、頭もよかった老舗の若社長が、人情の機微が理解できないことと行動力不足ゆえに名門企業をつぶしてしまった」というのが、当たらずといえども遠からずという気がします。

 そういった意味では、「弱い人間」宗麟が信仰に縋り、目覚めていく過程を描いた遠藤周作『王の挽歌』は一読の価値のある小説です。
  大分県のヒーローである大友宗麟という人物があまり魅力的に描かれていないせいで、大分県民としてはスカッとしない点は否めませんが、歴史小説の主人公はヒーローでなければ、強くなければ、善人でなければ、正しくなければならない、という既成観念から自由である点に、まず魅力を感じないではいられません。

 冒頭触れた宗麟再評価の背景には、「歴史を観光資源にするうえで、屈指の有名人である大友宗麟はヒーローでなくてはならない」という地元の都合も透けて見えます。
 しかしながら、「歴史の観光資源化=歴史上の人物の個人崇拝」という発想そのものが一種の思考停止とはいえないでしょうか。

 大友宗麟という英明な領主がつくった豊後府内の街はどんなところで、人々はどんな暮らしをしていたか。それがまるでポンペイ遺跡のように、一夜にして灰燼に帰したのはなぜか(注1)。
 大分市の歴史的観光資源のキモはそこだと思います。


 蛇足ですが、この小説の最も感動的な場面は、大友宗麟の登場しない、大要次のくだりです。

 有能な日本人医師和田強善が、アルメイダ(注2)が豊後府内に開院した病院を訪れます。和田医師は、アルメイダとその病院に多分に胡散臭さを感じていました。

 施術の様子を見た和田医師は、あらためて自分の疑念は当たっていたと思います。アルメイダの医療技術は稚拙で、高い医術を身に付けた和田医師には遠く及ばないものだったからです。

 見かねた和田が特効のある漢方の処方を助言すると、アルメイダは「忝のうございます、忝のうございます」と心からの感謝の言葉を何度も述べました。
 
 翌日、助言の成果を見届けに再びアルメイダのもとを訪れた和田医師は驚きます。喉が詰まって苦しんでいる子供を抱きかかえたアルメイダが、その子の口に口をあて、痰を吸い出しはじめたのです。

 治療のためにここまでやるのか…この人にとっては患者を救うことがすべてなのだ、その信念の前では医療技術の巧拙など何が問題だろう、と感じた和田医師は、思わず叫んでいました。

 「私をここで働かせて下さるまいか。」

(注1)かつて我が国を焦土とし、たくさんの民間人の命を奪ったのは米軍。でも日本人の多くは、その責任を我が国の戦争指導者に求める。豊後府内を焼き尽くし、暴虐を働いたのは島津勢だが、太平洋戦争の伝でいくなら、惨禍の責任は大友宗麟・義統父子にあるということになる。彼らは豊後国に君臨しながら、島津勢の豊後侵攻になすすべなかった。否、積極的に手を打たなかった。

(注2)ルイス・デ・アルメイダは、ポルトガルの貿易商人。東方貿易で莫大な富を手中にしたが、宣教師たちとの出会いを通して思うところがあり、豊後府内(大分県大分市)にとどまって医療活動に従事した。小説に描かれた通り、医学校出身とはいえもともと商人であったアルメイダの医療技術は決して高くなかったと推測されるが、患者に献身する真摯な姿勢はいまも大分の医療従事者たちの模範となっている。








2013年10月25日金曜日

士業とネット販促

 不動産鑑定士である私のところには、ネットに関わる販促プロモーションについてさまざまな勧誘があります。

「リスティング広告が効果的ですよ!」「士業の専門サイトに登録しませんか?」

 そうしたアプローチは、100%電話です(時間が勿体ないので丁重にお断りしています)。

 でも、ここで疑問が生じませんか?

 リスティング広告がそんなに効果的なら、なぜ彼らは最初のアプローチにリスティング広告をまず用いようとしないのでしょうか。

「不動産鑑定士の人たちはネットに疎いので、リスティング広告にはなじまない」
「この手のアプローチ手段としては、費用対効果が薄い」
「込み入った話なので、サイトでは十分魅力が伝わらない」とでも言うのでしょうか。

 ならば、なぜ不動産鑑定評価の需要者が、ネットに強く、リスティング広告に適し、費用対効果も十分見込めて、魅力をきちんと伝えられると判断したのでしょうか

 そもそも、不動産鑑定評価の需要者属性や発注意思決定過程をどのように捉えてのご提案なのでしょうか
 B to Bでは(とりわけ専門サービス利用シーンでは)サービスや商品をウェブで探す、というのは極めて例外的な顧客行動です。依頼内容が一義的に定まっており、誰に頼んでも同じようなクオリティが期待できるようなケース等に限られるのではないでしょうか。

 じつは、この手の「ナントカ・マーケティング」「カッコ書きマーケティング」(注1)は、不思議なほどに世の中に氾濫しています。成功例を因果関係の見きわめもなしに喧伝したり、需要者の購買行動のあり方について無頓着だったり。彼らが言っていることがどこかおかしいことぐらいは、マーケティングの専門家でない私でもわかります。

 マーケティング・セミナーに行くことは無駄とは言いませんが、質疑応答の際に積極的に講師に質問するとか、後日メールでお尋ねするとか、生じた疑問やわからない点を解消できるよう努めることは必須です。質問のコツは、自分に即して尋ねること。その講師がニセモノでなければ、逃げを打つような回答はしないはずです(注2)(注3)。


(注1)本来のマーケティングとは次元を異にするものだ、という認識から、個人的にこう読んでいます。

(注2)逃げを打つような回答とは、特定のケースを前提とした質問に対し、一般論で答えるような回答を言います。
 たとえば、本稿について、「B to Bの専門サービスでもネット販促が非常に有効なケースはある」と反論するようなこと。
 私は不動産鑑定業について話しているわけで、そうした一般論に関心はありません。このサービスはこのような特性があるので、需要者はこのように行動する。だからネットでどう誘導し、こういう点を訴求すると極めて有効だ、というようなお話なら、興味があります。
 ところで、不動産鑑定業でもB to Cのネット販促モデルは考えられます。たとえば、個人の破産同時廃止の場合の免責申立てに必要な財産価額の評定。当事者が誰かに相談がしにくい(しかも若年層が比較的多い)ため、ネットでの告知は彼らの便宜に資するものだと考えられます。当事者が不動産鑑定士に電話でこの件を相談するのは、大変勇気のいることだと思われますから。

(注3)問題の根本には「まず手段から考える」姿勢があります。手段の有効性の説明の多くは後付け。「ある属性の人々は、こういう行動特性を持っているから、この人たちにアクセスするには、この手段がいいな」と順序立てて検討すべきです。「ネット上では」などと無用な限定をせずに。


<後記>
 対価が数十万円にも及び、しかも具体的に何を依頼すればいいのかわからない案件を、たまたまクリックしたサイトで見た業者に発注するでしょうか?
 もっとも合理的に想定しうるのは「誰か信頼できる第三者に(誰に頼めばいいか)助言を求める」という需要者行動です。この場合の第三者は、顧問税理士や顧問弁護士だったり、先輩経営者だったり、取引金融機関だったりするでしょう。そうした助言者を持たない人や、助言を求められない事情がある人、遠隔地にいて地元の事情に疎い人などがネット検索を端緒にアクセスして来られるケースが多いと認識しています。
 かかるケースであっても、まずは県士協会に問い合わせたり、県士協会のサイトで業者の顔ぶれを確認したのちに、特定の業者のサイトに来訪するのが通常だと思います。






2013年10月21日月曜日

吉田戦車氏が語るやなせたかし氏「現役に対する飢え」

 漫画家・吉田戦車さんは、私とほぼ同世代で、私が社会に出た頃ちょうど『ビッグコミックスピリッツ』誌に『伝染るんです。』を連載開始したと記憶しています。

 独身寮で同期の仲間から、これ読んで見てよ、と渡された『伝染るんです。』は、私にとって浅いのか深いのか分からない、衝撃の問題作でした。

 その吉田戦車さんのツイートがさきごろ話題になりました。

 発端は、やなせたかし氏のインタビューで「無償の仕事の依頼は実に多い。僕はすごく軽く見られてるんだよ。」という述懐を目にした吉田さんが義憤に駆られて次のツイートをしたことです。

@yojizen: やなせたかしさんの対談いくつかを読むにつけ、あの人の「タダ働き」に甘えてきた多くの自治体とか組織は恥じろ、と思いますね。(ボランティアが適切である場合は、もちろん除いて)

 これが、吉田戦車の激烈批判!のような取り上げ方をされたわけですが、ご覧の通り、やなせたかし氏に対する深いリスペクトから出でたごく冷静な批判文に過ぎません。

@yojizen: タダでもキャラ描くよ、っていうのは、高齢になってしんどいとおっしゃりながらなお「現役に対する飢え」があったからだと思われ、ものすごいことだと思いますが、そこに甘えて描かせたほうの気軽さはちょっといやだ。

 この指摘は、やなせ氏が『なぜ軽く見られつつも多くの無償の仕事を手掛けてきたか』の理由を見事に言い当てているのではないでしょうか。「仕事の報酬は仕事だ」などとカッコいいことを言わぬまでも、「この俺が最適任だろう」と思える仕事は、報酬如何によらず、何としても手掛けたいと思うのがプロだと思います。とりわけ過去に、力を発揮する機会に恵まれない時期を経験したことのあるプロは、仕事にたいして何か飢餓感めいたものを秘めているものだという気もします。
 でも、それを逆手に取るのは如何なものか、という点も同感。

 かかる鋭い指摘をしつつも、吉田さんは次の言葉で一連のツイートを締めくくられました。

@yojizen: 『ほぼ日』対談記事の「原稿料なしで…」「すごく軽く見られてるんだよ」というやなせ氏のお言葉にカッとなってしまい、タダ働きさせた連中恥じろ、というきつい言葉が出てしまったわけですが、その人たちも今悲しんでいるということまで頭が回らなかった。申し訳ありませんでした。

 吉田戦車さんって、思いやりのある方ですね。今般の注目の浴び方は、吉田さんご自身にとってはやや不本意だったかもしれませんが、全体を通して見ると「吉田戦車が男を上げた」出来事と評価していいように思われます。