2013年12月29日日曜日

諫言を容れる度量

 一人親方というのは孤独なので、SNSなどについ「自分がいかに頑張っているか」めいた内容の投稿をしがちです(私も含めて)。もちろん、良いと思います、度を超さなければ。

 専業主婦も似たような立場かもしれません。毎日八面六臂の活躍をしても、誰かに褒めてもらえることなどまずないでしょうから。

 かかる投稿は「頑張ってるね。偉いね。」というような反応を期待してのものでしょうし、たいていは期待通り、誰かが反応してくれることでしょう。

 ただ、SNSではなかなか得にくい反応もあります。それは「相手を慮ってのネガティブな反応」、すなわち助言・忠告の類いです(注)。

 相手(投稿者)がわだかまりなく素直に助言・忠告に耳を傾けてくれるであろう信頼なしに、この手のコメントはできません。

 内心、アチャーと思いつつも、あえて火中の栗を拾う(相手から疎まれる危険をはらんだ損な役回り)必要を感じないのが普通であろうからです。

 かつて手厳しい批判を素直に受け止められることが「将たる器」とされた時代がありました。

 黒田官兵衛孝高の息子である黒田長政は、「異見会」というものを月に何度か開いていたそうです。これは、主だった家臣を集めて、相互に思ったことを意見し合うというもの。何を言われても腹を立ててはダメ、過ちは素直に認め、謝罪しなければならない、というルールで運営されていたそうです。

 黒田家は武勇の家柄。「黒田節」に謳われた母里太兵衛をはじめ、孝高以来の古参の重臣も多かったことから、長政に対してじつに手厳しい批判が向けられることもあったようです。
 長政は、ときには涙目になったり、顔を赤くしたり青くしたりしながら、家来たちの言い分に黙って耳を傾けました。
 すこしでも怒りの気配が見えると、「これはどういうことでございますか。怒っておられるように見えます!」と厳しく指摘が飛んできますから、長政も一生懸命平静を装ったことでしょう。

 「天下の軍師」官兵衛から見れば不肖の息子だったとも言われる長政ですが、じつに優れた人物ではありませんか。

 私自身、胸に手を当てて考えてみるに、他人の忠告が耳障りなのは、自分が無意識下で避けて通っていることに目を向けさせられるからなのかもしれません。人の声を自分の「姿見」として生かせる心の余裕を持てたらな、と思うのですが。

 何よりまず、「相手から疎まれる危険をはらんだ損な役回り」を引き受けてくれる誰かとの信頼関係を育てたいものだと思います。

(注)はなから投稿者を誹謗中傷する目的でネガティブなコメントを投げる人等もいるでしょうが、ここでは「相手によかれと思っての忠告」について述べています。






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