2013年12月30日月曜日

いち音楽ファンとして今年認識を新たにした三つのこと

 今年(2013年)も残すところあとわずか。
 総括すべきことはいろいろあるのですが、今回はいち音楽ファンとして今年認識を新たにした三つのことについて綴ってみます。

 今年の音楽シーンを振り返るとか、そういう評論めいた話ではなく、きわめて個人的な事柄です。

 まず一つ目は、ビル・エヴァンスの良さにようやく気付いたこと。

 私だって『waltz for debby』くらいは昔から持ってたし、リバーサイド四部作は全部聴いたことがあるけれど、いまひとつピンときていなかったのです(『アンダーカレント』もそこそこイイとは思いましたが…)。
 でも、最近『I Will Say Goodbye』と『you must believe in spring』を聴いて「なるほど、こりゃワン・アンド・オンリーのピアニストだわ」とはじめて納得がいきました。食わず嫌いならぬ聴かず嫌いでした。ビル・エヴァンスならリバーサイド四部作に限る、と言った人をちょっと恨みたい気持ちです。

 二つ目は、ウエスト・コースト・ジャズを見直したこと。

 イースト・コーストにおいて目覚ましく進化を遂げたジャズに対して、まるで大衆文学を純文学の下に置くようにツーランクくらい下に見られるウエスト・コースト・ジャズ。私もアンサンブルの面白さは認めるとして、いまひとつ深みに欠けると思っていました。

 でも、仕事でつかれた体で聴いてみると違うんです。リロイ・ビネガーのウォーキング・ベースに「救い」のようなものを感じたんです。
 スコット・ラファロやエディ・ゴメスをディスるつもりは毛頭ないけれど、彼らのように理屈っぽくない明るさ、明快さが、少なくともいまの私が欲しているものであることは間違いありません。

 三つ目は、「アルフィー」というスタンダード・ナンバーが大好きになったこと。

 ソニー・ロリンズの「アルフィーのテーマ」ではなく、バート・バカラックのほうです。
  
 きっかけは今夏ライブで、種子田博邦さん(pf)、蒲谷克典さん(chello)のデュオを聴いたこと(ライブ自体はサックス付きの変則トリオでしたが、この曲のみおふたりで演奏されました)。

 もともと知っていた曲でしたが、こんなに美しく切ない曲だとは思っていませんでした。なんて美しいメロディだろうと思い、いろいろ探してみたのですが、彼らの演奏ほどのものにはなかなか出合えません。絶唱といわれるD・ワーウィックの歌声(すごくキュートです)を聴いても、バカラック自身の弾き語りを聴いても、さほどの感動はないんです。

 音楽性とか、演奏力とか、そういうことを語る資格は私にはありませんが、この曲はピアノとチェロという編成にピタリとはまっているし、歌手がtoo muchな情感を込めて歌うよりも、素直なインストルメンタルとして演奏するほうが、より楽曲の魅力が生きる気がしています。


ディウォンヌ・ワーウィック 『アルフィー』

http://www.youtube.com/watch?v=Gx6zm2lGF90

 





2013年12月29日日曜日

諫言を容れる度量

 一人親方というのは孤独なので、SNSなどについ「自分がいかに頑張っているか」めいた内容の投稿をしがちです(私も含めて)。もちろん、良いと思います、度を超さなければ。

 専業主婦も似たような立場かもしれません。毎日八面六臂の活躍をしても、誰かに褒めてもらえることなどまずないでしょうから。

 かかる投稿は「頑張ってるね。偉いね。」というような反応を期待してのものでしょうし、たいていは期待通り、誰かが反応してくれることでしょう。

 ただ、SNSではなかなか得にくい反応もあります。それは「相手を慮ってのネガティブな反応」、すなわち助言・忠告の類いです(注)。

 相手(投稿者)がわだかまりなく素直に助言・忠告に耳を傾けてくれるであろう信頼なしに、この手のコメントはできません。

 内心、アチャーと思いつつも、あえて火中の栗を拾う(相手から疎まれる危険をはらんだ損な役回り)必要を感じないのが普通であろうからです。

 かつて手厳しい批判を素直に受け止められることが「将たる器」とされた時代がありました。

 黒田官兵衛孝高の息子である黒田長政は、「異見会」というものを月に何度か開いていたそうです。これは、主だった家臣を集めて、相互に思ったことを意見し合うというもの。何を言われても腹を立ててはダメ、過ちは素直に認め、謝罪しなければならない、というルールで運営されていたそうです。

 黒田家は武勇の家柄。「黒田節」に謳われた母里太兵衛をはじめ、孝高以来の古参の重臣も多かったことから、長政に対してじつに手厳しい批判が向けられることもあったようです。
 長政は、ときには涙目になったり、顔を赤くしたり青くしたりしながら、家来たちの言い分に黙って耳を傾けました。
 すこしでも怒りの気配が見えると、「これはどういうことでございますか。怒っておられるように見えます!」と厳しく指摘が飛んできますから、長政も一生懸命平静を装ったことでしょう。

 「天下の軍師」官兵衛から見れば不肖の息子だったとも言われる長政ですが、じつに優れた人物ではありませんか。

 私自身、胸に手を当てて考えてみるに、他人の忠告が耳障りなのは、自分が無意識下で避けて通っていることに目を向けさせられるからなのかもしれません。人の声を自分の「姿見」として生かせる心の余裕を持てたらな、と思うのですが。

 何よりまず、「相手から疎まれる危険をはらんだ損な役回り」を引き受けてくれる誰かとの信頼関係を育てたいものだと思います。

(注)はなから投稿者を誹謗中傷する目的でネガティブなコメントを投げる人等もいるでしょうが、ここでは「相手によかれと思っての忠告」について述べています。