大分県在住の不動産鑑定士・中小企業診断士である長野研一が、考えたこと、気付いたこと、調べたこと、疑問に思ったこと等を集めた雑記帳です。 不動産鑑定士の隣接周辺業務開発および中小企業支援を主要なテーマとしています。
2013年5月10日金曜日
メディア・リテラシーを担保するネットメディア
先般、安倍総理の次のような発言が報じられました。
『なかなか私たちがこれは伝えたいと思ったことが、テレビのニュースではカットされたり、新聞ではまったく取り上げられないということが多いものですから。』
この発言から、『私は直接国民に話したい。(新聞記者は)帰って下さい。』と言った佐藤栄作元総理を連想する人は少なくないでしょう。
この佐藤元総理のエピソードは、くだんの発言を受けて『じゃ、出て行こう。』と会見場を去った新聞記者たちの矜恃を称えるとともに、意に沿わない報道機関は排除しようとする老政治家の頑迷さを皮肉るニュアンスで引用されることが多かったように思います。
でも、私は今回の安倍総理の発言に、違った感想を抱きました。近年、ネットメディアの台頭により、報道機関が必ずしも国民の知る権利に奉仕しないケースがあることにさまざまな局面で気づかされるようになったからだと思います。
前の大戦では、戦績を誇張した「大本営発表」がなされ、戦争被害や敗走等の不都合な情報の多くは発表されませんでした。その反省に立って、戦後国民の知る権利を支えるものとして、報道の自由には大きな配慮が払われてきたわけです。
報道の自由は、当然に編集の自由を含むわけで、それゆえ私たちはこれまで、報道機関が報じることを「事実」と受け取ってきました。
しかし、私たちは今や、報道機関が報じる必要を感じない(報じたくない)情報にも触れることができます。ネットメディアは、報道機関が切り捨てた情報をテレビや新聞以上にスピーディーに、あまねく拡散する力を持ちました。しかも、そこでは「報道機関が切り捨てた」こと自体が大きなニュースバリューを持ちます。
むかし、旧ソ連体制を皮肉った次のようなジョークがありました。
ニクソンとブレジネフがふたりで駆けっこをした。
その結果をソ連共産党機関紙プラウダは次のように報じた。
『ニクソンはビリから二番目だった。同志ブレジネフは二位入賞を果たした。』
このジョークで、プラウダは事実を正確に伝えています。しかし、読者を誤った解釈に誘導する意図があったことは明白でしょう。
ジョークだと思っていたことが現実に、しかもしばしばあることを知るにつけ、ネットメディアそのものが、既存メディアに対するリテラシーの担保になっている、ということをあらためて意識させられるこの頃です。(写真は本文と関係ありません)
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