2014年5月5日月曜日

インタビュー嫌いの巨匠に二時間喋らせた魔法の質問

 今でしょ!の林修先生が先日、テレビ番組で「最も尊敬する人物」の話をされていました。
 その人物とは、元東大総長・フランス文学者にして映画評論家・文芸評論家としても知られる蓮實重彦氏です。
 林先生は、蓮實氏が東大総長に就任した時の記者会見のVTRを引用し、『ほんとうの知識人とはこういう人のことを言うんです!』と言われていました。

 件の総長就任会見の冒頭、記者から『まずは率直な感想をお聞かせください』と質問された蓮實氏は、『どうもありがとうございます。』と応えました。続けて『実はさきほど賭けをしまして、まずは率直な感想を聞かれる、という方に賭けたのです。額は言えませんが、私は相当儲けさせていただきました。』と(まともな質問も用意出来なかった記者たちにとって、これ以上の皮肉はない気がしませんか?)。

 では、こんな風に記者たちを揶揄した蓮實氏自身は、いったいどれほどの質問力の持ち主なのでしょうか。
 その片鱗を覗うことのできる格好のエピソードが、斎藤孝『「できる人」はどこがちがうのか』(ちくま新書)で紹介されていました(注1)。

 蓮實がフランス映画界の巨匠ジャン=リュック・ゴダールをインタビューした時のこと。多忙でインタビュー嫌いのゴダールから許されたのは、わずか三十分、しかも質問はひとつだけだった。ゴダールはフィルム編集の手を休めず、不機嫌そうだ。
 
 この厳しい制約のもとで、蓮實は、こう切り出した。

「あなたの映画は、だいたいどれも一時間半ですが、私はそれがあなたの職業的倫理観からくるものだと…」

 ゴダールは、蓮實が言い終わらないうちに「そうなんだ!」と叫び、すぐに秘書を呼んでその日の予定を全てキャンセルさせ、フィルムを編集するときの断腸の思い、鑑賞者の視点に立てず徒に長時間作品を垂れ流す映画界の現状に対する批判などを何時間も熱く語った。

 斎藤氏は、この蓮實氏の質問を次のように評価されています。

 これは、非常にすぐれた質問だと思う。相手が今一番関心を持って取り組んでいる作業に合わせているし、相手の過去についてちゃんと勉強をしてきていることがわかるし、長い映画が多くなってきているという今の映画界の問題点がわかっていることが伝わるし、その上、相手のプロ意識を刺激している。

 斎藤氏のこの総括を読んで、まっさきに想起したのは、立花隆氏が著書『知のソフトウェア』(講談社現代新書)の中で述べていた「いい話を聞くための条件を一語で要約するなら、こいつは語るに足るやつだと相手に思わせることである。」という一節でした(注2)。

 インタビューに対して冷淡な反応を返すことが多い印象のある野茂秀雄氏やイチロー氏も、一流のスポーツジャーナリスト(玉木正行氏や二宮清純氏)の問い掛けには、真摯に、次元の高いコメントで応えているのは、玉木氏や二宮氏が「語るに足る相手」だからに違いありません。

 インタビュワーがぞんざいな問い掛けをし、相手が質問に沿わない勝手なコメントを返し、それでもインタビュワーは相手のコメントをコントロールできずに漫然と話が続いていく…そんな場面を何度も何度もさまざまなところで見るにつけ、質問の質を決めるのは、質問の背景にある質問者の問題意識だと改めて思うのです。

<追記>
 私自身は、インタビューをするとき、インタビューの目的や相手の属性に拘わらず「ご教示いただく」という姿勢を保っているつもりです。
 そして、相手の回答を「…ということですか?」と若干の専門用語を用いて要約し、確認しています。それで、私の理解の正邪を確認できるし、相手は私のことを、一定の知識がある人間だと認識できるであろうからです。
 但し、業界特有の符牒みたいな言い方は口にしません。たとえ知っていても、外部の人間が口にしていい言い方ではない気がするからです。
 業界人なら必ず一度は悩んだことがあるであろう事柄について「…はどうされてます?」という問いかけをすることで、瞬時に相手の反応が変わった経験は一度や二度ではありません。


(注1)正確には、本書には、質問をひとつに限ったことやゴダールが「そうなんだ!」と叫んだ描写がありません。私がこのエピソードを知ったのは本書以外の書物である可能性が高いのですが、残念ながら現時点では、その出所を特定できないでいます。

(注2)立花氏は「話が通じるための要素」として、充分な予備知識と理解力を持っていること、自分の気持ちをよくわかってくれるなと思ってもらうこと、そして人間として信頼できるやつだと思ってもらうことと述べています。







2014年4月27日日曜日

アロマオイルで集中力を高める

 今年(2014年)の3月頃、ローズマリーのエッセンシャルオイルが非常に品薄になったことがありました。地元の百貨店でも入荷は4月半ばになると言われましたし、Amazonでも多くの関連商品が在庫なしになっていました。

 発端は、2月25日にテレビ朝日系で放送された『たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学~名医が診断 若返り&長生きできる!3つの悩み解決SP』というテレビ番組のようです。

 私自身は視聴していないのですが、同番組の中で「アロマの香りを嗅ぐことで、脳を若返らせ認知症が予防できる。またすでに発症した認知症もアロマオイルで改善する」という話題が取り上げられたようなのです。

 具体的には、ローズマリーとレモンのエッセンシャルオイルを2:1の比でアロマオイル用のペンダントに含ませ、首から下げておくと、認知症に卓効がある由。このオイルは、集中力と記憶力を高める作用があるとも。

 残念ながら、アロマオイル用のペンダントは現在も極めて入手困難なようなのですが、集中力と記憶力を高める作用があるなら、これを仕事に生かさない手はありません。

 下の写真は、私が仕事場で使っているUSB接続式のアロマ・ディフューザー。香り立ちはあまりいいとはいえませんが、火や水の心配がいらず、手軽に使えるのでおすすめです。

 なお、シガーソケットに差し込むタイプのアロマディフューザーもネット通販などで簡単に入手できるので、妙なカーフレグランスを買うよりよほど健康的です。

 そもそも、ディフューザーなどなくとも、アロマを楽しむ方法はあります。ティッシュペーパーに数滴垂らして身近に置いておいてもいいし、スープカップなどの広口の器に熱湯を張り、オイルを数滴垂らせば簡易ディフューザーになります。

 最後にもうひとつ。花粉症などで鼻水が止まらない時、ラベンダーのオイルをティッシュペーパーに数滴垂らして枕元に置くと、不思議に鼻の通りがよくなる由。ぜひお試しを。

 関連サイト http://currentdiary.seesaa.net/article/389907434.html









2014年4月25日金曜日

知っちょることも知らん振りをせにゃならん仕事

 日露戦争で満州軍総司令官をつとめた大山巌(元帥・陸軍大将)は晩年、孫に「おじいさま、軍司令官って、どんなお仕事なの?」と訊かれて「知っちょることも知らん振りをせにゃならん仕事じゃ」と答えたそうです。

 会田雄次『日本人の意識構造』(講談社現代新書)には、まさに「知っちょることも知らん振りをせにゃならん仕事」を実践した大山のエピソードが掲げられています。

 世界史上屈指の大会戦と言われる奉天会戦で、日本側の一斉砲撃が始まった朝。
 
 軍司令部では、異様な緊張感の中、児玉源太郎参謀長が憑かれたように作戦指揮に没頭していました。そこに寝所からおもむろに起きてきた大山は「児玉どん、朝からやかましかが、何ぞごわしたか?」
 一瞬怪訝な顔をした児玉でしたが、そこは陸軍一の秀才である彼のこと、瞬時に大山の意図を察知し、ゆっくりと(いわずもがなの)報告をはじめたそうです。

 大山のオトボケは、前線でも発揮されます。

 狂ったように砲兵部隊を指揮する若手将校のもとに視察に訪れた大山が、轟音の中、何かを尋ねました。総司令官直々の下問に将校が畏まって耳を傾けると大山は「大筒ちゅうもんは、上に向けるほど遠くにとぶんでごわすか?」と訊いています。

 将校が何と答えたかはわかりませんが、内心あっけにとられていたに違いありません。

 これらのエピソードに出てくるトボけた問いかけをおもいっきり意訳するならば、それは「大事においてほど、熱くなりすぎて自分を見失ってはいけないよ」ということでしょう。

 でも「熱くなるな」「堅くなるな」と言われてリラックスできる人は、むしろ稀です。ゆえに大山は、相手が過熱していることをあえて指摘せず、トボけた問いかけでもって我に返らせようとしました。

 人にはそれぞれ、その人なりの事情があり、メンツがあり、プライドがある。それを丸裸にしてしまう厳しく的を射た指摘が、つねに好ましい結果をもたらすわけではないことを彼はよくわかっていたのだと思います。

 蛇足ですが「大筒ちゅうもんは、上に向けるほど遠くにとぶんでごわすか?」と訊いた大山は、砲の設計改良で若くして名を挙げた、砲術のエキスパートだったということです。



 

2014年4月23日水曜日

ケース・ディスカッションに関するノート(2)

 前回は、自作の事例教材『株式会社甲物産』を用いて私がケースリーダーを務めたディスカッションについて書きました。

 今回は、私が作成した前出の事例教材を採り上げ、また違った方向から光を当ててくださった日本文理大学の橋本堅次郎教授の「けんしん大学」3月講座におけるケースリードについて書きます。

 私自身は、ケースリードに当たって、いま事例企業の中で起こっていることの全体構造を明らかにすることを重視しました。それを通じて、なぜ大きな認識のズレやディスコミュニケーションが起こるのか、という問題に接近しようとしたわけです。

 しかし今回、橋本先生は、これとはまったく異なるアプローチを採用されました。ケースに登場する人物のうち、下級職員のBさんに焦点を当て、「彼はどのような人物か」「彼にはどのような能力開発が必要か」「彼はどうすべきだったか」と受講者に問いかけたのです。

 この点、まだ橋本先生には直接お伺いしていないのですが、かかるアプローチをとられた理由は、講演テーマや先生ご自身の専門分野との関わりだけではなかったものと推察します。
 多くの受講者に近い立場にあるBさんの視点に立ったことで、受講者のハードルが下がったであろうことは想像に難くありません。
 
 ケース研究の効用のひとつに「自分とは全く異なる立場で考えることを可能にする」点があることは確かですが、上記のようなアプローチがあり得るということは、私にとって大きな気付きになりました。

 今回、ケースリーダーの立場を離れ、一受講者として講座に参加して改めて感じたことは、受講者が「Bさんという人物について論じているようでいて、結局は発言者自身の仕事観や業務経験の幅や深さを告白しているも同様である」ということです。ケース・ディスカッションの意義と魅力が、そこに大いに現れていると感じた講義でした。




 

 

 

2014年4月5日土曜日

ケース・ディスカッションに関するノート(1)

 前回に引続き、大分県信用組合主催 「けんしん大学」2月講座について書きます。もう一カ月以上前のことになりますが、自らの研究と実践のために振り返って整理しておく必要を強く感じています。

1  「けんしん大学」2月講座における実践

 前回述べた二つの問題意識は、大要次のようなかたちで講座に反映されました。


①導入講義~「新しいリーダーシップ」概説
 これから受講者の方々がリーダーシップ問題について考える準備段階として、リーダーシップとは何か、リーダーシップ問題が質的に変化してきたのはなぜか等について概説しました。ここでは、リーダーシップと「組織における人間行動」や「マネジメント・コントロール」との関わりについても触れました。

②ケース読み込み・各自検討
 事前に配布しておいた事例教材『株式会社甲物産』を各自読んでもらい、この会社で何が起こっているのか、何が問題なのか、自分だったらどうするか等について整理していただきました。
 ちなみに、事例教材『株式会社甲物産』は、私が作成した架空のショートケースです。講座の性質上、事前に時間をかけて読み込むことは望めないので、A4四ページほどのコンパクトな内容とし、組織図や財務諸表などは省略しました。

③グループ・ディスカッション
 四名程度のグループに分かれ、ケースについて意見交換していただきました。グループの統一見解をまとめる必要はなく、意見交換を踏まえて各自の意見をそれぞれブラッシュアップしていただくようお願いしました。
 このような講座では、えてして受講者が「正解は何だろうか」(もっと正確にいえば「講師が正解と想定しているのはどのような答えだろうか」)と考えがちです。この点に関しては「唯一の正解というのはなく、説得力を持ち得れば全部正解」ということをしつこいくらいに繰り返しました。

④クラス・ディスカッション
 上記のプロセスを経て、今度は講師である私が受講者の方々に問いかけるかたちで、全員でケース討議をしました。議論に沿って、ホワイトボードに登場人物それぞれの姿勢や立場、関係などを(リッチ・ピクチャーもどきに)絵ときしていき、現れていない論点をあぶりだすことで、問題の全体構造を明らかにすることを重視しました。

⑤まとめ講義

 ケース討議のまとめをかねて、導入講義でふれた事柄を振り返りました。さらに、今回言及できなかったアドバンスな問題については、参考図書をコメント付きでご紹介しました(けんしん大学事務局のご配慮で、その一部は会場に展示されていました)。


2 ケース討議とは何か

  
 ウイリアム・エレット『入門ケースメソッド教授法』の前書きは、ケース・メソッド(通常、ハーバードスタイルのケース教育を指します)について、こう述べています。

 ケース・メソッドとは、教授から一方的に知識を受け取ることではなく、クラスの仲間と時には口角泡を飛ばしながら議論することにより、知識をつくり出し体得していく教授法である。そして、最終的には、課題や困難に直面したときに、自分がどう臨んでいくかのAttitudeを形成するものである。
 現実の社会においては、多くの場合1つの明確な回答はない。不確実な状況の中で、何が問題であるかを見つけ出し、分析し、最善と思われる解決策を考え、それを実行する手立てを考え、実行する中でどのように軌道修正していくか、このようなプロセスを実行するAttitudeをつくるものである。

 「英知は教えられない」けれど、経営者の立場を疑似体験することを通じ、学生相互の意見交換を通して各自の問題発見力、問題の構造化能力、判断力、意思決定能力を養成しよう、というのが、ケースメソッドの基本的思考であるわけです(注1)。



3 2月講座の反省と総括

 いかんせん前例のない試みということもあり、受講者のみなさんはさぞ戸惑われたことと思います。やや「実験的」色彩を帯びたことも否定できません。また「議論に不慣れな受講者が多い中で、果たして十分な意見交換が成り立つだろうか」という懸念も、必ずしも杞憂ではありませんでした。

 しかし「積極的な発言が相次いだ」とは言えぬまでも、私の問いかけに対しては概ね説得力のある見解が示されましたし、議論のおわりには私が内心「この論点には気付いてほしい」と思っていたポイントが指摘されました。
 受講者の方々は、よく私の期待に応えてくださったと感謝しなくてはなりません。

 ところで、今回用いたケースは、『株式会社甲物産』という架空の会社における具体的な状況について書かれています。
 でも、ケース討議に参加する人々が問われているのは「A課長やB主任やE専務はどんな問題に直面しており、そこでどう行動すべきか(すべきだったか)」ということだけではありません。その背景となる各人の問題意識こそが問われているのです(注2)。ありていに言えば、ケースはある会社の成功(または失敗)物語ではなく、「私たちがこれから直面するであろう問題状況を再現している」のです。登場人物にわが身を置き換えて、俺なら私ならどうするだろう?と考えてみることは、どんな立場にある人にとっても有益だと信じます。


4 おわりに

 上記の実践を通じ、私は 「成功例を知識として学ぶのではなく、事例に即して考えることで自分自身が知恵を身につける」というケース・ディスカッションは、ビジネス教育の手法としてきわめて有効である、と改めて思いました。今後も、実践機会を得て、教材づくりと手法の改善を進めていきたいと思っています。

  この点、さまざまな示唆をくださったのが、日本文理大学の橋本堅次郎教授です。橋本先生は、「けんしん大学」3月講座で、私が作成した前出の事例教材を採り上げ、また違った方向から光を当ててくださいました。次回は、この件について書きたいと思います。

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(注2)講師とて同じことです。リーダーシップの講座を担当する講師は、まさに自身のリーダーシップに対する問題意識を問われているわけです。




2014年3月8日土曜日

グループワークはなぜ「ワーク」しないか

 先月下旬、大分県信用組合主催 「けんしん大学」2月講座の講師をつとめさせていただきました。講座テーマは『異なる人々を統率する力~情報社会の新しい「リーダーシップ」』です。

 今回、リーダーシップ論を語るに当たり、私にはふたつの強い問題意識がありました。
 ひとつは『旧態依然たるリーダーシップイメージを無批判に念頭に置いていてよいのか』という疑問です。「リーダーかくあるべし」「リーダーには何が必要か」といった抽象論や優れたリーダーのエピソードを延々と熱く語るタイプの講座を見るにつけ、いかがなものかと常々思っていたのです。
 端的に言って、「リーダーには責任感と強い意志、コミュニケーション能力が大事」という、いわば当たり前のことを再確認して、どんな学びがあったと言えばいいか、私にはわかりません。

 もうひとつは『グループワークのあり方』についての疑問です。今日、講演セミナーの多くは、講師が一方的にしゃべる座学スタイルから、グループディスカッション、それを踏まえたグループ発表を組み込んだ受講者参加型のものに変化しつつあります。
 それ自体には賛成ですが、「どうしてこのテーマでこのワークなのか?(竜頭蛇尾)」「発散型のグループディスカッションを志向しているのに、なぜ収斂型のグループ発表をくっつけるのか?」と首を傾げざるを得ないことのほうがむしろ多い印象です。
 意地悪な言い方をすれば、「講演セミナーのねらいに即してグループワークを組み込んだのではなく、グループワークを組み込むこと自体が目的である」かのような印象を拭えなかったのです。

 本来グループワークの長所は、参加者がフラットな立場で、しかもインフォーマルな発言スタイルで意見交換できるために、各人の個性を反映した(記述要素として出てきにくい)情報をスピーディーに集めるのに適していることにあります。反面、講師がディスカッションをコントロールしにくく、議論の漂流や停滞が起こりやすい短所があることも否めません。
 それゆえ、グループワークをワーク(有効に機能)させるためには、①ディスカッションリードの訓練を受けたグループリーダーが事前に講師の教育目的を理解し、グループメンバーをまだ気付いていない論点に誘導したり、②講師がクラスディスカッションで議論の全体像を見える化しつつ、論点を総括するような工夫が求められます。

 ところが、現実のグループワークは、最後にグループ発表が予定されているために、往々にして次のいずれかのパターンになります。

 Ⅰ:議論のスタートから予定調和をイメージして、各人が個性的意見を控える。主たる関心は、各人の発言の共通点に向き、意見の食い違う背景にあるものは何かといった論点の掘り下げは一切されない。傍目には侃侃諤諤の議論をしているように見えるが、これはまとめるための議論に過ぎない。

 Ⅱ:議論百出、個性的な意見がたくさん出て、それに触発された意見が続く、非常にいいムードである。飛び交う情報量も非常に多く、ディスカッションが充実していることがわかる。ところが発散型で進めてきたために、まとめる段階でハタと困る。整理できない。次元の高い議論をしたのにもかかわらず、グループ発表ではその数分の一くらいのまとまりのない内容を告げるだけになってしまう(本来まとまるはずがないのだ!)。

 当然ながら、望ましいグループワークスタイルは上記Ⅱです。意図不明のグループ発表をくっ付けたせいで「角を矯めて牛を殺す」結果になるのは残念なことです。

 これらふたつの問題意識に共通するのは「教育目的(研修のねらい)は何か」を繰り返し問うという発想ではないでしょうか

 たしかに、受講者が何を感じるかは各人の自由で、彼彼女にどんな内的変化が生まれたかは、講師のコントロールの及ぶところではありません。しかしながら「参加すりゃ、何かそれぞれ学びがあるだろ、なけりゃ受講者の自己責任だよ」というのは、講師としてあまりに無責任と思うのです。

 今回、これらの問題意識をけんしん大学事務局のスタッフの方々やコーディネータの吉津先生にお伝えし、協議を重ねました。その結果、講座の建てつけやテキスト、席の配置等をどう工夫したかについては、次回述べたいと思います。






 

2014年1月11日土曜日

『営業力の強化』はなぜ完遂されないか

 中小企業の経営計画においては、しばしば「営業力の強化」が経営課題に掲げられます。

 しかしながら、課題への対応ないしアクションプランに「営業力の強化」に即応する具体的対策案が掲げられることはあまりないような気がします。

 まるで若書きの短歌のように、経営課題として高らかに「営業力の強化」を掲げたボルテージが、いざ実行レベルになると尻すぼみ、といった印象を受けることがじつに多いのです。

 ときには、「営業力の強化」という課題に対して、「全社的な営業体制を構築し、PDCAを繰り返すことを通じて営業力を強化する」というような、単なる言い換えに過ぎないような解決策が掲げられていることすらあります。

 なぜそうなるのか。

 私は、「営業力」というものの構成要素や本質をバイパスして感覚的・経験的な議論に終始しているからではないかと思っています。

 『営業力の強化』という経営課題が完遂されない理由は、HOW(いかにして強化するか)よりもまずWHAT(営業力とは何か)がつかめていないところにあると思うのです。

 つい、こんな笑い話を連想してしました(須賀原洋行さんのマンガのネタだったような?)。

 ある高校で、英語の試験に『次の英文を訳しなさい』という問題が出ました。「何語に」という指定はありません。悪乗りした生徒が「火星語に訳してみました」と、意味不明の記号を羅列してきましたが、教員はこれを不正解とする根拠がありませんでした。

 営業力の内実を問わぬままに、「営業力の強化」を図ろうとする。それはまるで、何語に訳すかも決めずに英文解釈に励む人みたいです。

 高水準の売上を維持している、または売上が順調に伸びている企業をアプリオリに「営業力がある」と決めつけるわけにもいきませんが、かりにその企業に高い営業力が備わっているとしたら、その片鱗は具体的にどこにたちあらわれているでしょうか?営業マンの営業活動やその準備にはどのような特徴があるでしょうか?またマネジャーは、彼らの活動をどうコントロールしているでしょうか?

 私自身は、いまそのような視点からすぐれたセールスパースンの活動を眺めて、自分なりに「士業にとって営業力とは何か?」にアクセスしようとしているところです。

 いまだ結論には至りませんが、「士業にとっての営業力」について、これまでの検討や経験から得た「感触」を他日を期して述べたいと思います。