2012年7月23日月曜日

娘の誕生日に


 今日は、長女の十一回目の誕生日です。
 生意気さと子供っぽさが同居しているのがこの年代の特徴かもしれませんが、相変わらず全てを母親に依存する一方、最近えらく母親に口ごたえをするようになりました。まあ、これも成長の一環と見て、母親と娘の間への軍事介入は控えています(宿題を見てやる、夏休みの宿題に協力するなどの宣撫工作は続けています)。

 娘の成長にかこつけて言えば、願わくば娘には「あいつのいうことなら聞いてやろう、力になってやろう」と言われるような人になってほしい。誤解のないように念のため付け加えますが、人脈作りが大事、というのとは少し違う気がします(「人脈」という言葉は人を金づると捉えるような響きがあって嫌いです)。

 残念なことですが、私は優秀なサラリーマンではありませんでした。いまでもたまに思い出す大きな失敗がいくつもあります。でも、退職後に当時上司だった方に聞いたら、お仕事で関係のあったいろいろな方たち(お取引先や関連会社や社内の他の部署の人たち)が「あいつ、可愛いとこあるんだよなあ」「あいつがやりかけたことは無駄にしない、俺に任せておけ。」といろいろカバーしてくださったのだそうです。

 たとえ、さして能力や実績がなくても、可愛げのある奴には手を差し伸べてくれる人もいる、ということでしょうか。ところで、私のどこに「可愛げ」があったか、うまく自己分析できませんが、もしかしたら失礼な言動などを「素直に詫びる態度」が評価してもらえたのかもしれません(それが組織の論理に反する場合があることはご存じの通りですし、そもそも失礼な言動などないに越したことはありません)。

 重ねて残念なことですが、私は心の広い人間でもないので、逆に「あんな奴のために力を尽くして損をした」と思ったことが何度もあります。そう思わない人間になれれば越したことはないけれど、娘にはせめて手を差し伸べてくれた人に、後から「やっぱり助けてやってよかったな」と思われるような人になってほしい、とは切に思います。父親は、読書を楽しむ習慣以外、何も授けてやれないけれど(後掲はイメージ画像です)。




2012年7月20日金曜日

不動産鑑定士の鞄の条件


 よく女性が持っている平底のバッグがありますよね?中に仕切りのほとんどないやつ。私はあれが苦手です。鞄に手を突っ込んでも、なかなか目当てのものが取り出せないからです。まるで「これでもない、あれでもない」と毎度ドラえもんみたく騒いで、相当イライラ感がつのります。
 
 今日は、私が毎日持って歩いている鞄のことを書きます。

 二年半使い倒した鞄が劣化してきて使いづらくなったので、本日とうとう新品に買い替えました。先代は、母がバザーだかフリマだかで1,000円で買ったものを貰い受けたと記憶しています。地価公示分科会の資料でパンパンにしたり、肩掛けにして傾斜35度の山中に分け入ったりといった酷使によく耐えてくれました。唯一の欠点は、自立しにくい(床に置くと倒れやすい)ことでした。


 では、後継鞄としてどんなものを選ぶべきか。現地調査が不可避の仕事柄、不動産鑑定士に高級なレザーの鞄は似合いません。重いし、高価だし。軽くて、雨に強くて、堅牢で、中身を取り出しやすい、安価なナイロン製が一番です。


 先代の鞄にはポケットがたくさん付いていて、電卓はここ、縮尺定規はここ、認印はここ、と常備品の格納場所を全部決めていたので、暗がりでもサッと取り出すことができました。でも、鞄が新しくなって、格納場所がまるで変わってしまったので、慣れるまでしばらく時間がかかるかもしれません。
 今回は、先代以上に機能的な鞄を選んだつもり。水筒も、折りたたみ傘もうまく収納できます。自立します。早く慣れて、ストレスフリーで仕事に集中したいものです。