2014年4月25日金曜日

知っちょることも知らん振りをせにゃならん仕事

 日露戦争で満州軍総司令官をつとめた大山巌(元帥・陸軍大将)は晩年、孫に「おじいさま、軍司令官って、どんなお仕事なの?」と訊かれて「知っちょることも知らん振りをせにゃならん仕事じゃ」と答えたそうです。

 会田雄次『日本人の意識構造』(講談社現代新書)には、まさに「知っちょることも知らん振りをせにゃならん仕事」を実践した大山のエピソードが掲げられています。

 世界史上屈指の大会戦と言われる奉天会戦で、日本側の一斉砲撃が始まった朝。
 
 軍司令部では、異様な緊張感の中、児玉源太郎参謀長が憑かれたように作戦指揮に没頭していました。そこに寝所からおもむろに起きてきた大山は「児玉どん、朝からやかましかが、何ぞごわしたか?」
 一瞬怪訝な顔をした児玉でしたが、そこは陸軍一の秀才である彼のこと、瞬時に大山の意図を察知し、ゆっくりと(いわずもがなの)報告をはじめたそうです。

 大山のオトボケは、前線でも発揮されます。

 狂ったように砲兵部隊を指揮する若手将校のもとに視察に訪れた大山が、轟音の中、何かを尋ねました。総司令官直々の下問に将校が畏まって耳を傾けると大山は「大筒ちゅうもんは、上に向けるほど遠くにとぶんでごわすか?」と訊いています。

 将校が何と答えたかはわかりませんが、内心あっけにとられていたに違いありません。

 これらのエピソードに出てくるトボけた問いかけをおもいっきり意訳するならば、それは「大事においてほど、熱くなりすぎて自分を見失ってはいけないよ」ということでしょう。

 でも「熱くなるな」「堅くなるな」と言われてリラックスできる人は、むしろ稀です。ゆえに大山は、相手が過熱していることをあえて指摘せず、トボけた問いかけでもって我に返らせようとしました。

 人にはそれぞれ、その人なりの事情があり、メンツがあり、プライドがある。それを丸裸にしてしまう厳しく的を射た指摘が、つねに好ましい結果をもたらすわけではないことを彼はよくわかっていたのだと思います。

 蛇足ですが「大筒ちゅうもんは、上に向けるほど遠くにとぶんでごわすか?」と訊いた大山は、砲の設計改良で若くして名を挙げた、砲術のエキスパートだったということです。



 

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