2013年1月27日日曜日

「インフォメーション」と「インテリジェンス」


 角間 隆『スクラップ術』(ごま書房 1987)に掲げられていたエピソード。

 第二次世界大戦中のこと、ヒトラーはドイツ軍の動静、すなわち部隊配置、人事異動などが、連合軍側につつぬけであることに気付きました。

 「軍の内部にスパイがいるに違いない。即刻探し出せ!」。ヒトラーの厳命を受けた軍部と秘密警察は、必死の捜査を行った結果、ヒトラーに次のように報告したそうです。

 「総統閣下。情報の出所はわが忠実なる新聞社でした」。要はこういうことです。イギリスなどの諜報部は、ドイツ国内の日刊新聞を入手し、冠婚葬祭や地方行事などの記事を丹念に拾っていました。名士である師団長や参謀長がそれらに出席したことがわかれば、さまざまな関連情報と突き合わせて、部隊の転進や指揮官の異動の事実を探り当てていたのです。

 「インフォメーション」と「インテリジェンス」。日本語に訳せば、いずれも「情報」を意味する言葉ですが、前掲のエピソードは、まさに「インフォメーション」と「インテリジェンス」の違いを物語るものといえます。インテリジェンスはいわばインフォメーションを収集し、分析し、その含意を評価したもの。だから、インフォメーションは誰にとっても情報ですが、インテリジェンスは「感じる力」を持った人だけに利益をもたらす情報と言っていいかもしれません。

 地道にデータをとったり、繰り返し考えたりといった手間を厭う風潮の強い今日でも、メモ用紙を片手に日刊新聞を読んでいる人は確実にいます。
 新聞に掲載されている記事はあくまでインフォメーションに過ぎませんが、別のインフォメーションや、自分の知識経験・問題意識と組み合わせれば、インテリジェンスに転化する可能性は大いにあります。

 これは、新聞に限ったことではありません。日常会話でも、仕事上のやりとりでも同じです。
 出会う人にどんどん雑談を仕掛けていく人は、余程雑談好きなのだろうと以前は思っていましたが、どうもそれだけではなさそう。多様な人との雑談が何かのヒントを生むことを体験的に知っているのかもしれません(旅人を大事にする地域性もこれに通ずるところがある気がします)。

 このようにして、感じる人と感じない人の隔たりは、どんどん大きくなっていくもののようです。




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