2012年12月20日木曜日

パワポものがたり


 最初は出来心だった。

 安易にセミナー講師を引き受け、付け焼刃で準備したA氏は、こう思ったのだ。
 「プレゼンテーションスライドとレジュメの両方をつくるなんて、めんどくせーな。だったら、スライドをレジュメのかわりに配ったら…。あっ、俺って頭いいー!」。

 未完成のレジュメを、若干字を大きくしてパワーポイントにコピーすると、なんだかそれらしくなった。
 当然、レジュメ通りに話をするつもりだったから、話すことは一応全部スライドに載せた。当然、字を小さし、行間を詰めなければならなかったが、なんとかスライドにおさめた。

 さて、セミナー当日。スライド上には、細かい字がびっしりと並んだ。グラフなどはさらに見にくかった。聴衆は仕方なしに手元に「レジュメ代わりに」配られたスライドのコピーに目を落とした。

 そんなことを繰り返しているうちに、講師らも聴衆たちも「前を見て話を聞く」ことをだんだん忘れていった。誰かが、「講演だってコミュニケーションだ」と言っていたが、実際のセミナーは講師と聴衆とにとって、互いに顔の見えないものになっていった。

 こうなると、レジュメとは別に、「前を見て話を聞く」ためのスライドを用意した講師たちにも、「スライドを配ってくれ」という要求が寄せられるようになった。レジュメを配るという文化は、急速に失われざるを得なかった。

 かくしてプレゼンテーションスライドは、「いま講師はどこの話をしているか?」を示す目次のようなものでしかなくなったのである。「字が小さくてよく見えません」なんてことは、もう誰も言わない。


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