2013年11月20日水曜日

鶴崎城を描いた短編小説 ~ 岩井護 『女の城』

 妙林尼は、戦国時代、島津氏が豊後に侵攻してきた際、銃後に残った老人や女子供を指揮して鶴崎城(大分市南鶴崎)で敵を迎え撃った女傑として知られています。

 今週末(11月23日)、ご当地である大分市の鶴崎公民館で「妙林尼」を主人公とする戦国劇が上演されるそうです。

 裸城同然の鶴崎城を戸板や畳で防御し、攻め寄せた精強な島津勢を落とし穴・仕掛け罠などで翻弄した彼女は、落城必至と見るや一転、鎧武者姿から尼僧姿に変身し、開城して島津勢を歓待し、懐柔を図ります(注)。
 ついに島津勢が撤退するその日、巧みに撤退路を訊き出した妙林尼は、部下に命じて待ち伏せさせ、見事耳川で討ち死にした夫の仇を討ったというのです。

 妙林尼を主人公にとりあげた小説として私がまず思い浮かべるのは、今年一月に鬼籍に入られた歴史作家の岩井護(いわいまもる)さんの『女の城』という短編です〔『西国の城・下巻』(講談社 1976年、絶版) 所収〕。

 彼の短編小説は、いつも最後の段落が実にいいのです。

 読後に何とも物悲しいような余韻が残る、そんな文章でしめくくります。この小説の最後の段落は次のようでした。

『悲惨な合戦の中で、その一人の女は、なにやらひどくなまめいた存在として語り伝えられていった。できればそんな女だけの城を攻めてみたいものよと男たちは笑い合った。合戦で愛する男を奪われた女たちの怒りや哀しみが、女たちをそのような戦いに駆り立てたということに考え及ぶ者もなかった。』

 彼は、小説中、妙林尼は「城主であった吉岡掃部助の妻であったと言う者がいた」としながらも、彼女を飽くまで出自の不明な謎の女で、自然発生的にリーダーになったように描きました。

 その意図はどこにあったか。

 作者は「妙林尼こそ近親者を奪われ、生活を破壊された女たちの怨嗟や憤怒の化身であったのだ」と言いたかったのではないでしょうか。

(注)妙林尼は、豊後三老のひとりに数えられた吉岡長増の息子・鑑興(のち鎮興)の夫人だったといわれています。夫の鎮興が、大友勢が島津勢に大敗を喫した耳川の戦いで戦死したため、息子統増が家督を継いでいましたが、このときは兵を率いて出陣、城を留守にしていました。







2013年11月3日日曜日

大友宗麟は「偉人」でなくてはならないか~遠藤周作「王の挽歌」

 今年8月、大分市で「南蛮文化国際フォーラム」が開催されました。

 そこでのパネル討論によると、大友宗麟は「江戸幕府による情報統制により不当に低評価を受けている」そうです。
 どこかの国もびっくりの謀略史観だ、と申し上げたらお叱りをうけるでしょうか。

 でも、私の印象では、宗麟という人はまるで「苦労知らずで育った老舗優良企業の御曹司社長」のように思えます。
 有能で、先見の明もあったのでしょうが、いかんせん人の気持ちが理解できず、人心掌握という点では多分に問題があったと思うのです。史実を虚心に見れば、「優秀な部下や豊かな財力など経営資源に恵まれ、頭もよかった老舗の若社長が、人情の機微が理解できないことと行動力不足ゆえに名門企業をつぶしてしまった」というのが、当たらずといえども遠からずという気がします。

 そういった意味では、「弱い人間」宗麟が信仰に縋り、目覚めていく過程を描いた遠藤周作『王の挽歌』は一読の価値のある小説です。
  大分県のヒーローである大友宗麟という人物があまり魅力的に描かれていないせいで、大分県民としてはスカッとしない点は否めませんが、歴史小説の主人公はヒーローでなければ、強くなければ、善人でなければ、正しくなければならない、という既成観念から自由である点に、まず魅力を感じないではいられません。

 冒頭触れた宗麟再評価の背景には、「歴史を観光資源にするうえで、屈指の有名人である大友宗麟はヒーローでなくてはならない」という地元の都合も透けて見えます。
 しかしながら、「歴史の観光資源化=歴史上の人物の個人崇拝」という発想そのものが一種の思考停止とはいえないでしょうか。

 大友宗麟という英明な領主がつくった豊後府内の街はどんなところで、人々はどんな暮らしをしていたか。それがまるでポンペイ遺跡のように、一夜にして灰燼に帰したのはなぜか(注1)。
 大分市の歴史的観光資源のキモはそこだと思います。


 蛇足ですが、この小説の最も感動的な場面は、大友宗麟の登場しない、大要次のくだりです。

 有能な日本人医師和田強善が、アルメイダ(注2)が豊後府内に開院した病院を訪れます。和田医師は、アルメイダとその病院に多分に胡散臭さを感じていました。

 施術の様子を見た和田医師は、あらためて自分の疑念は当たっていたと思います。アルメイダの医療技術は稚拙で、高い医術を身に付けた和田医師には遠く及ばないものだったからです。

 見かねた和田が特効のある漢方の処方を助言すると、アルメイダは「忝のうございます、忝のうございます」と心からの感謝の言葉を何度も述べました。
 
 翌日、助言の成果を見届けに再びアルメイダのもとを訪れた和田医師は驚きます。喉が詰まって苦しんでいる子供を抱きかかえたアルメイダが、その子の口に口をあて、痰を吸い出しはじめたのです。

 治療のためにここまでやるのか…この人にとっては患者を救うことがすべてなのだ、その信念の前では医療技術の巧拙など何が問題だろう、と感じた和田医師は、思わず叫んでいました。

 「私をここで働かせて下さるまいか。」

(注1)かつて我が国を焦土とし、たくさんの民間人の命を奪ったのは米軍。でも日本人の多くは、その責任を我が国の戦争指導者に求める。豊後府内を焼き尽くし、暴虐を働いたのは島津勢だが、太平洋戦争の伝でいくなら、惨禍の責任は大友宗麟・義統父子にあるということになる。彼らは豊後国に君臨しながら、島津勢の豊後侵攻になすすべなかった。否、積極的に手を打たなかった。

(注2)ルイス・デ・アルメイダは、ポルトガルの貿易商人。東方貿易で莫大な富を手中にしたが、宣教師たちとの出会いを通して思うところがあり、豊後府内(大分県大分市)にとどまって医療活動に従事した。小説に描かれた通り、医学校出身とはいえもともと商人であったアルメイダの医療技術は決して高くなかったと推測されるが、患者に献身する真摯な姿勢はいまも大分の医療従事者たちの模範となっている。








2013年10月25日金曜日

士業とネット販促

 不動産鑑定士である私のところには、ネットに関わる販促プロモーションについてさまざまな勧誘があります。

「リスティング広告が効果的ですよ!」「士業の専門サイトに登録しませんか?」

 そうしたアプローチは、100%電話です(時間が勿体ないので丁重にお断りしています)。

 でも、ここで疑問が生じませんか?

 リスティング広告がそんなに効果的なら、なぜ彼らは最初のアプローチにリスティング広告をまず用いようとしないのでしょうか。

「不動産鑑定士の人たちはネットに疎いので、リスティング広告にはなじまない」
「この手のアプローチ手段としては、費用対効果が薄い」
「込み入った話なので、サイトでは十分魅力が伝わらない」とでも言うのでしょうか。

 ならば、なぜ不動産鑑定評価の需要者が、ネットに強く、リスティング広告に適し、費用対効果も十分見込めて、魅力をきちんと伝えられると判断したのでしょうか

 そもそも、不動産鑑定評価の需要者属性や発注意思決定過程をどのように捉えてのご提案なのでしょうか
 B to Bでは(とりわけ専門サービス利用シーンでは)サービスや商品をウェブで探す、というのは極めて例外的な顧客行動です。依頼内容が一義的に定まっており、誰に頼んでも同じようなクオリティが期待できるようなケース等に限られるのではないでしょうか。

 じつは、この手の「ナントカ・マーケティング」「カッコ書きマーケティング」(注1)は、不思議なほどに世の中に氾濫しています。成功例を因果関係の見きわめもなしに喧伝したり、需要者の購買行動のあり方について無頓着だったり。彼らが言っていることがどこかおかしいことぐらいは、マーケティングの専門家でない私でもわかります。

 マーケティング・セミナーに行くことは無駄とは言いませんが、質疑応答の際に積極的に講師に質問するとか、後日メールでお尋ねするとか、生じた疑問やわからない点を解消できるよう努めることは必須です。質問のコツは、自分に即して尋ねること。その講師がニセモノでなければ、逃げを打つような回答はしないはずです(注2)(注3)。


(注1)本来のマーケティングとは次元を異にするものだ、という認識から、個人的にこう読んでいます。

(注2)逃げを打つような回答とは、特定のケースを前提とした質問に対し、一般論で答えるような回答を言います。
 たとえば、本稿について、「B to Bの専門サービスでもネット販促が非常に有効なケースはある」と反論するようなこと。
 私は不動産鑑定業について話しているわけで、そうした一般論に関心はありません。このサービスはこのような特性があるので、需要者はこのように行動する。だからネットでどう誘導し、こういう点を訴求すると極めて有効だ、というようなお話なら、興味があります。
 ところで、不動産鑑定業でもB to Cのネット販促モデルは考えられます。たとえば、個人の破産同時廃止の場合の免責申立てに必要な財産価額の評定。当事者が誰かに相談がしにくい(しかも若年層が比較的多い)ため、ネットでの告知は彼らの便宜に資するものだと考えられます。当事者が不動産鑑定士に電話でこの件を相談するのは、大変勇気のいることだと思われますから。

(注3)問題の根本には「まず手段から考える」姿勢があります。手段の有効性の説明の多くは後付け。「ある属性の人々は、こういう行動特性を持っているから、この人たちにアクセスするには、この手段がいいな」と順序立てて検討すべきです。「ネット上では」などと無用な限定をせずに。


<後記>
 対価が数十万円にも及び、しかも具体的に何を依頼すればいいのかわからない案件を、たまたまクリックしたサイトで見た業者に発注するでしょうか?
 もっとも合理的に想定しうるのは「誰か信頼できる第三者に(誰に頼めばいいか)助言を求める」という需要者行動です。この場合の第三者は、顧問税理士や顧問弁護士だったり、先輩経営者だったり、取引金融機関だったりするでしょう。そうした助言者を持たない人や、助言を求められない事情がある人、遠隔地にいて地元の事情に疎い人などがネット検索を端緒にアクセスして来られるケースが多いと認識しています。
 かかるケースであっても、まずは県士協会に問い合わせたり、県士協会のサイトで業者の顔ぶれを確認したのちに、特定の業者のサイトに来訪するのが通常だと思います。






2013年10月21日月曜日

吉田戦車氏が語るやなせたかし氏「現役に対する飢え」

 漫画家・吉田戦車さんは、私とほぼ同世代で、私が社会に出た頃ちょうど『ビッグコミックスピリッツ』誌に『伝染るんです。』を連載開始したと記憶しています。

 独身寮で同期の仲間から、これ読んで見てよ、と渡された『伝染るんです。』は、私にとって浅いのか深いのか分からない、衝撃の問題作でした。

 その吉田戦車さんのツイートがさきごろ話題になりました。

 発端は、やなせたかし氏のインタビューで「無償の仕事の依頼は実に多い。僕はすごく軽く見られてるんだよ。」という述懐を目にした吉田さんが義憤に駆られて次のツイートをしたことです。

@yojizen: やなせたかしさんの対談いくつかを読むにつけ、あの人の「タダ働き」に甘えてきた多くの自治体とか組織は恥じろ、と思いますね。(ボランティアが適切である場合は、もちろん除いて)

 これが、吉田戦車の激烈批判!のような取り上げ方をされたわけですが、ご覧の通り、やなせたかし氏に対する深いリスペクトから出でたごく冷静な批判文に過ぎません。

@yojizen: タダでもキャラ描くよ、っていうのは、高齢になってしんどいとおっしゃりながらなお「現役に対する飢え」があったからだと思われ、ものすごいことだと思いますが、そこに甘えて描かせたほうの気軽さはちょっといやだ。

 この指摘は、やなせ氏が『なぜ軽く見られつつも多くの無償の仕事を手掛けてきたか』の理由を見事に言い当てているのではないでしょうか。「仕事の報酬は仕事だ」などとカッコいいことを言わぬまでも、「この俺が最適任だろう」と思える仕事は、報酬如何によらず、何としても手掛けたいと思うのがプロだと思います。とりわけ過去に、力を発揮する機会に恵まれない時期を経験したことのあるプロは、仕事にたいして何か飢餓感めいたものを秘めているものだという気もします。
 でも、それを逆手に取るのは如何なものか、という点も同感。

 かかる鋭い指摘をしつつも、吉田さんは次の言葉で一連のツイートを締めくくられました。

@yojizen: 『ほぼ日』対談記事の「原稿料なしで…」「すごく軽く見られてるんだよ」というやなせ氏のお言葉にカッとなってしまい、タダ働きさせた連中恥じろ、というきつい言葉が出てしまったわけですが、その人たちも今悲しんでいるということまで頭が回らなかった。申し訳ありませんでした。

 吉田戦車さんって、思いやりのある方ですね。今般の注目の浴び方は、吉田さんご自身にとってはやや不本意だったかもしれませんが、全体を通して見ると「吉田戦車が男を上げた」出来事と評価していいように思われます。




2013年10月18日金曜日

「二の次」にすべきはどこか?

 国策という言葉を辞書で引くと、「国の政策。特に、一般の政策に対して、国家の基本的方針の意で用いられる。」とありました。

 この言葉が軍人官僚たちにしばしば用いられた昭和初期には「軍事行動を中核とする国の重要政策」のことを指すのが一般的であったようです。

 専門用語が一般名詞に転用される過程で、意味の変化が起こることはよく見られる現象です。
 でもそれには、まるでケモノであるイノシシが家畜としてのブタに変化するようなおもむきがあることも否めません。その変化は進化とも呼べる一方で、大切な要素の欠落であるようにも思われるのです。

 「戦略」という軍事用語にも、それに似た響きを感じます。経営実務の領域では、きこえのいい総花的な施策群を戦略と呼んだり、売り上げ・コスト等各方面にもれなく目配りした施策を戦略と称したりする傾向が強いように思うのです。
 
 乾坤一擲、ある一点にフォーカスした経営政策を「その戦略はバランスがよくない」などとしたり顔で言う人もいますが、戦略というのは、むしろ跛行的なもの、偏ったものではないかという気がします。

 かつて古川公成先生は、『戦略には様々な定義があるけれども、ありていにいうなら「最後の勝利をつかむために、ここでは負けていい」という判断のことだろう』とおっしゃいました。

 つまり「何をやるか」というアプローチより「何をやらないか」「何を捨てるか」というアプローチのほうが、戦略的見地に立ちやすいということではないでしょうか。
 実際のところ、いきなり「どこで勝つか」と発想すると、「その勝利をより確実にするためには、これも必要だ」と、戦略とは名ばかりの戦力分散が行われがちです。

 スティーブ・ジョブスの名言のひとつとされる『方向を間違えたり、やりすぎたりしないようにするには、まず本当は重要でもなんでもない1000のことにノーと言う必要がある』も、これに通底する考え方だと思います。





2013年10月17日木曜日

ネットでよく見る言い間違い

 スマートフォンやiPadでの投稿が増えたせいもあるのか、ネット上では相変わらず言葉の誤用が目につきます。

 投稿文は一度ノートパッドに書いてみて、推敲してから投稿することにしている私ですら、自分の投稿に入力ミスを見つけることはしばしばです。

 とくによく目にするのは、下記に掲げた3つでしょうか。

× 初期の目的
〇 所期の目的

× 肝に命じる
〇 肝に銘じる

× 的を得る
〇 的を射る
〇 当を得る

 私自身も新入社員の頃、研修レポートに「肝に命じる」と書いて、研修指導担当の方に朱書き修正されたことがあります(この表記は間違いやすいので肝に銘じておくように、と添書きがありました…)。

 でも、本文の趣旨は「こんな間違いは恥ずかしいぞ!」ということではありません。ミスは必ずあるのです。
 だからこそ、ビジネス文書や成果物を今一度見直す、自分以外の誰かにチェックしてもらう(目を変えてみる)ということの大切さをあらためて噛みしめてみる必要があるのではないか、と言いたいのです。

 ミスがあったら謝ればいい、誤りを指摘されたら修正すればいいという発想は、つまるところ相手方を軽んじていることに他ならないのではないでしょうか。

2013年10月14日月曜日

若き日の大友宗麟を描いた歴史エンターテイメント~風早恵介『大友宗麟-道を求め続けた男』

 映画化もされた和田竜のベストセラー『のぼうの城』は「歴史エンターテインメント小説」と呼ばれるジャンルを切り開いたと言われています。その特徴は史実性よりもエンターテインメント性を重視する姿勢にあります。

 主人公であるのぼう様こと成田長親のキャラクター。功を焦って周りが見えない石田三成と、長親の器量にいち早く気づく大谷吉継の対比。加えて正木丹波や酒巻靱負ら城方の侍たちの活写ぶり。
 船上で狙撃された長親がニヤリと笑いながら湖中に落ちていくシーンと、それを境に無表情だった領民たちが石田勢への敵意を露わにするようになるコントラストは、本作のハイライトと言っていいと思います。
 
 今回取り上げた、風早恵介『大友宗麟-道を求め続けた男』も、必ずしも史実に拘らず、様々な仕掛けで大友宗麟の生い立ちから二階崩れの変を経て大友家当主となるまでを生き生きと描いた快作です。

 本作を面白くしているのは(まったくの創作と思われますが)、塩法師丸(大友宗麟の幼名)出生の秘密、塩法師丸を守る素性不明の若侍・松永久秀(!)、高崎山を本拠とする細作(忍者)集団の統領(覆面の謎の人物)という三つの仕掛けです(注)

 出生の秘密については、おそらく豊後大友氏の祖である大友能直の頼朝ご落胤説をヒントにしたものと思われます。
 また、松永久秀なる若者がのちに織田信長を悩ませた怪人と同一人物かどうかは本作ではあきらかにされません。
 なお、細作の統領は、じつは本作に登場する重要人物のもうひとつの顔なのですが、宗麟はそれを見抜き、統領は「あなた様こそ御館となるべきお方」と覆面をとって忠誠を誓います。

 蛇足ですが、私はこの種の小説を読むとき、登場人物のキャスティングを勝手にイメージしながら読んでいます。ちなみに本作では、戸次鑑連に平幹二郎、臼杵鑑速に藤岡弘、大友義鑑に高橋秀樹、松永久秀に永澤俊矢といった感じでした。

 どうです?読んでみたくなりませんか?


(注)じつはもうひとり、作中幾度となく怪しい動きを繰り返す人物がいます。この人物の不穏な行動はすべて、終盤の大きな形勢変化の伏線なのですが、これ以上はネタバレとなるので控えておきます。