2013年11月3日日曜日

大友宗麟は「偉人」でなくてはならないか~遠藤周作「王の挽歌」

 今年8月、大分市で「南蛮文化国際フォーラム」が開催されました。

 そこでのパネル討論によると、大友宗麟は「江戸幕府による情報統制により不当に低評価を受けている」そうです。
 どこかの国もびっくりの謀略史観だ、と申し上げたらお叱りをうけるでしょうか。

 でも、私の印象では、宗麟という人はまるで「苦労知らずで育った老舗優良企業の御曹司社長」のように思えます。
 有能で、先見の明もあったのでしょうが、いかんせん人の気持ちが理解できず、人心掌握という点では多分に問題があったと思うのです。史実を虚心に見れば、「優秀な部下や豊かな財力など経営資源に恵まれ、頭もよかった老舗の若社長が、人情の機微が理解できないことと行動力不足ゆえに名門企業をつぶしてしまった」というのが、当たらずといえども遠からずという気がします。

 そういった意味では、「弱い人間」宗麟が信仰に縋り、目覚めていく過程を描いた遠藤周作『王の挽歌』は一読の価値のある小説です。
  大分県のヒーローである大友宗麟という人物があまり魅力的に描かれていないせいで、大分県民としてはスカッとしない点は否めませんが、歴史小説の主人公はヒーローでなければ、強くなければ、善人でなければ、正しくなければならない、という既成観念から自由である点に、まず魅力を感じないではいられません。

 冒頭触れた宗麟再評価の背景には、「歴史を観光資源にするうえで、屈指の有名人である大友宗麟はヒーローでなくてはならない」という地元の都合も透けて見えます。
 しかしながら、「歴史の観光資源化=歴史上の人物の個人崇拝」という発想そのものが一種の思考停止とはいえないでしょうか。

 大友宗麟という英明な領主がつくった豊後府内の街はどんなところで、人々はどんな暮らしをしていたか。それがまるでポンペイ遺跡のように、一夜にして灰燼に帰したのはなぜか(注1)。
 大分市の歴史的観光資源のキモはそこだと思います。


 蛇足ですが、この小説の最も感動的な場面は、大友宗麟の登場しない、大要次のくだりです。

 有能な日本人医師和田強善が、アルメイダ(注2)が豊後府内に開院した病院を訪れます。和田医師は、アルメイダとその病院に多分に胡散臭さを感じていました。

 施術の様子を見た和田医師は、あらためて自分の疑念は当たっていたと思います。アルメイダの医療技術は稚拙で、高い医術を身に付けた和田医師には遠く及ばないものだったからです。

 見かねた和田が特効のある漢方の処方を助言すると、アルメイダは「忝のうございます、忝のうございます」と心からの感謝の言葉を何度も述べました。
 
 翌日、助言の成果を見届けに再びアルメイダのもとを訪れた和田医師は驚きます。喉が詰まって苦しんでいる子供を抱きかかえたアルメイダが、その子の口に口をあて、痰を吸い出しはじめたのです。

 治療のためにここまでやるのか…この人にとっては患者を救うことがすべてなのだ、その信念の前では医療技術の巧拙など何が問題だろう、と感じた和田医師は、思わず叫んでいました。

 「私をここで働かせて下さるまいか。」

(注1)かつて我が国を焦土とし、たくさんの民間人の命を奪ったのは米軍。でも日本人の多くは、その責任を我が国の戦争指導者に求める。豊後府内を焼き尽くし、暴虐を働いたのは島津勢だが、太平洋戦争の伝でいくなら、惨禍の責任は大友宗麟・義統父子にあるということになる。彼らは豊後国に君臨しながら、島津勢の豊後侵攻になすすべなかった。否、積極的に手を打たなかった。

(注2)ルイス・デ・アルメイダは、ポルトガルの貿易商人。東方貿易で莫大な富を手中にしたが、宣教師たちとの出会いを通して思うところがあり、豊後府内(大分県大分市)にとどまって医療活動に従事した。小説に描かれた通り、医学校出身とはいえもともと商人であったアルメイダの医療技術は決して高くなかったと推測されるが、患者に献身する真摯な姿勢はいまも大分の医療従事者たちの模範となっている。








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